ユージン・スミス展

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W.EUGENE SMITH
真実と人間愛に生きた写真家
1982年3月19日~3月31日
小田急グランドギャラリー

ウィリアム・ユージン・スミス(William Eugene Smith、1918年12月30日 - 1978年10月15日)は、アメリカの写真家。
著名な写真
・第二次世界大戦の戦場サイパンで米兵により発見された傷ついた幼児の写真(1944年)
・硫黄島で日本兵の塹壕を一掃する米海兵隊(1945年)
・『楽園へのあゆみ The Walk to Paradise Garden』(1946年)
・『カントリー・ドクター Country Doctor』(1948年)
・『スペインの村 Spanish Village』(1950年)
・『助産婦 Nurse Midwife』(1951年)
・『アルベルト・シュヴァイツァー A Man of Mercy』(1954年)
・『ピッツバーグ Pittsburgh』(1955年)
・『ハイチ Haiti』(1958年-1959年)
・『ミナマタ Tomoko Uemura in Her Bath』(1971年)

水俣市へ
1971年8月16日にユージンとアイリーンは水俣病の取材をするため来日、8月28日に日本で婚姻届を出し、東京都内のホテルで披露宴を挙げて夫婦となり、患者多発地域であった熊本県水俣市月ノ浦に家を借り、9月から1974年10月までの3年間、チッソが引き起こした水俣病と、水俣で生きる患者たち、胎児性水俣病患者とその家族などを取材、撮影。
1972年1月7日、チッソ五井工場を訪問した際、水俣からの患者を含む交渉団と新聞記者たち約20名が、チッソ社員約200人による強制排除に遭い、暴行を受ける事件が発生。ユージンもカメラを壊された上、コンクリートに激しく打ち付けられて脊椎を折られ、片目失明の重傷を負いました。その後遺症は重く完治することはなく、暴行の容疑者は不起訴処分。チッソを告訴することも勧められましたがそれを拒み、その後も水俣で患者らの後押しを受けて撮影を続けました。
1973年4月には西武百貨店池袋店で写真展「水俣 生―その神聖と冒涜」を開催。
1975年5月にはアイリーンとの共著で、写真集『MINAMATA』英語版の出版を果たし、世界中で大反響を呼びました。
1978年10月15日、チッソ社員からの暴行が遠因で59歳で死去。日本語版『写真集 水俣』が出版されたのは、ユージンの死後の1980年でした。

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