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ミューゼオとは? よくある質問
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MINIATURE CAR (KONAMI)

ゲームソフトメーカーであるコナミが、2004年から「絶版名車コレクション」、「Car of the 80's」の1/64スケールモデルや箱スケールの「国産車名鑑」を展開していました。2008年に「Car of the 80's EDITION RED」の発売を最後に、予定されていたシリーズも発売されず撤退しました。

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    PRINCE SKYLINE SPORT (BLRA-3) 1962

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    HINO CONTESSA COUPE (PD300) 1965

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    ISUZU 117 COUPE (PA90) 1968

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    MAZDA FAMILIA ROTARY COUPE (M10A) 1968

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    MAZDA LUCE ROTARY COUPE(M13P) 1969

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    TOYOTA 2000GT (MF10) 1969

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    NISSAN FAIRLADY 240ZG (HS30) 1971

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    NISSAN SKYLINE GT-R (KPGC110) 1973

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    MAZDA COSMO AP (CD23) 1975

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    PRINCE SKYLINE SPORT (BLRA-3) 1962

    1962年にプリンス自動車が発売したスカイライン・スポーツ(BLRA-3型)は、日本初のスペシャルティカー。つり目4灯ヘッドライトの特徴的なスタイルのデザインは、ジョバンニ・ミケロッティ。
    当時の価格はブルーバード3台分に相当するもので、総生産台数はクーペ75台、コンバーチブル25台でした。

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    • 登録日:2018/9/8

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    HINO CONTESSA COUPE (PD300) 1965

    コンテッサは、日野自動車がルノー・4CVのライセンス生産で得た経験をもとに開発し、1961年から1967年まで生産したRRの乗用車。
    1965年に新たに設定されたクーペは、出力65ps、最高速度145km/hを公称。低く流れるようなスタイリングは、1960年代の日本製乗用車の中でも屈指の美しさといわれています。
    4灯ヘッドライトと細いピラー、長いリアデッキを基本とするスタイルは、ジョバンニ・ミケロッティが手がけ、その優雅なスタイリングから、イタリアのコンクール・デレガンスで複数年に渡り4度の賞を受賞しました。デザインモチーフには、グリルレスノーズとデュアルヘッドライト、リアサイドの直線基調なプレスラインなど、当時のミケロッティのデザイン趣向が見られます。

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    • 登録日:2018/9/8

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    ISUZU 117 COUPE (PA90) 1968

    流麗なデザインを備えた4座クーペで、1970年代の日本車を代表する傑作。
    1968年に発売されて以来、長期にわたり生産され、長くいすゞのフラグシップでした。
    車名の由来は開発コード番号で、117サルーンのコードネームで開発されていたフローリアンのクーペ版としての位置づけで、シャーシ、ドライブトレーンをフローリアンと共有。
    コンセプト、デザイン、パッケージ、スタイリングはカロッツェリア・ギアに委託され、当時のチーフデザイナーであったジョルジェット・ジウジアーロが担当。その後ジウジアーロは独立、イタルデザインを立ち上げ、量産指導はイタルデザインの初仕事となりました。プロトタイプは1966年3月のジュネーヴ・モーターショーで発表され、コンクール・デレガンスを獲得。
    斬新で繊細なデザインの完成度の高さは今日に至るまで高く評価されており、4座のラグジュアリークーペとしてのカテゴリを確立した車でもありました。
    発売開始以来の10年間に1台も廃車が出なかったとの業界記録を持っています。

    このミニカーは、第1期(1968年 - 1972年)の一般に「ハンドメイド・モデル」、「ハンドメイド117」と通称される初期型です。

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    • 登録日:2018/9/24

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    MAZDA FAMILIA ROTARY COUPE (M10A) 1968

    1968年にマツダから発売されたファミリア・ロータリークーペ(M10A型)は、2代目ファミリアの車体にコスモ・スポーツのエンジンを搭載。エンジンは多少ディチューンされているものの強力なエンジンに車体が追いついていないと当時評されていました。排気量は491cc×2ですが、出力は当時の2000ccクラスでした。

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    • 登録日:2018/9/8

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    MAZDA LUCE ROTARY COUPE(M13P) 1969

    マツダが1969年から1972年まで製造・発売したFF2ドア・クーペ。開発コードはRX87。
    655cc×2ローターの13A型ロータリーエンジンは126馬力を発揮し、最高速度は190km/hと公表され、カタログでのキャッチコピーは「ハイウェイの貴公子」。トヨタ・クラウンハードトップなどの上級モデルより一段高価で、まだハンドメイドだったいすゞ・117クーペの価格に匹敵しました。
    しかし、オーバーヒート、大きな前輪荷重によるアンダーステア、ドライブシャフトからの異音など、熟成不足や信頼性の面での疑問が指摘され、販売台数は伸びず、1972年の生産打ち切りまでに生産された台数は僅か976台でした。

    https://youtu.be/sL3OvscJMo8

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    • 登録日:2018/9/8

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    TOYOTA 2000GT (MF10) 1969

    トヨタ自動車とヤマハ発動機が共同開発し、ヤマハ発動機への生産委託でトヨタブランドで販売されたスポーツカー。
    エンジンは、クラウン用のM型直列6気筒4ストロークSOHCエンジンをベースに、ヤマハが生産したDOHCヘッドを装備したもの。
    1967年5月から1970年8月までの3年3か月で試作車を含め、337台が生産されました。
    このミニカーのボディカラーは、前期型では特注色、後期型で正式採用されたトワイライトターコイズメタリックです。

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    • 登録日:2018/9/8

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    NISSAN FAIRLADY 240ZG (HS30) 1971

    1969年にダットサン・フェアレディに代わって発売されたS30系は、ヨーロッパ製の高級GTに匹敵するスペックと魅力あるスタイルを兼ね備えながら、格段に廉価であったことで、北米市場を中心に大ヒットしました。日産(DATSUN)のイメージリーダーカーとして、10年もの長期に渡って生産され、世界総販売台数55万台(うち日本国内販売8万台)という、当時のスポーツカーとしては空前の記録を樹立しました。
    1971年に追加されたL24型エンジンを搭載した240Z-Gには「グランドノーズ」(通称“Gノーズ”)と呼ばれるFRP製のフロントバンパー一体型のエアロパーツとオーバーフェンダーが装着されました。

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    • 登録日:2018/9/8

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    NISSAN SKYLINE GT-R (KPGC110) 1973

    4代目スカイライン(C110型)の2ドアハードトップ2000GTをベースに1973年1月から4月の3か月間2000GT-Rとして販売。
    GT系と比較して、専用ラジエータグリル、前後オーバーフェンダー、リアスポイラーを装備。
    エンジンはKPGC10同様S20型エンジン。このエンジンは昭和48年排出ガス規制に適合せず、レースカーもコンセプトカーが発表されたのみで実際のレースへ参加することなく、わずか197台で生産・販売が終了しました。

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    • 登録日:2018/9/8

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    MAZDA COSMO AP (CD23) 1975

    2代目コスモAP(1975年 - 1981年)
    コスモスポーツ製造中止より3年後の1975年にコスモAPとして復活。
    APとはアンチポリューション・公害対策の意味。オイルショック後にマツダが初めて発表したモデルで、コスモスポーツと路線の異なるスペシャルティカーとなった背景には、北米市場の要求がありました。
    エンジンは135PSの13B型エンジン、125PSの12A型エンジン、レシプロエンジンの2,000cc、1,800ccの4タイプのバリエーション。
    前期型は丸型4灯のヘッドランプとL字型のテールランプ、縦基調のラジエーターグリルと、マツダ独自の空力理論に基づくエンジンフード先端の処理が特徴でした。
    自動車排出ガス規制の影響で、スポーツモデルが次々と消えていこうとしている時期に登場したパワフルなコスモAPは一際目立つ存在となり、発売から半年で2万台を売り上げる大ヒット作となりました。

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      19がいいね!と言っています。

    • 登録日:2018/9/24

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