WORK OF YUTAKA HANIYA

WORK OF YUTAKA HANIYA

7

埴谷 雄高(はにや ゆたか、1909年(明治42年)12月19日 - 1997年(平成9年)2月19日)は、日本の政治・思想評論家、小説家。本名般若 豊(はんにゃ ゆたか)。
青年期にマックス・シュティルナーの「唯一者とその所有」の影響を受け、個人主義的アナキズムに強いシンパシーを抱きつつ、ウラジーミル・レーニンの著作「国家と革命」に述べられた国家の消滅に一縷の望みを託し、マルクス主義に接近、日本共産党に入党し、もっぱら地下活動に従事し、思想犯取り締まりのため1932年に逮捕されました。検挙後埴谷は未決囚として豊多摩刑務所に収監され、形式的な転向によって釈放されました。
獄中ではカント、ドストエフスキーから圧倒的な影響を受け、出獄後は経済雑誌の編集に携わり、敗戦を迎えました。
代表作は、存在の秘密や大宇宙について語りつくそうとし、第一章が「近代文学」創刊号(昭和20年12月30日付)に掲載された大長篇小説「死靈(しれい)」。全12章予定で未完作となりましたが幾度かの空白を挟み書き続け、死の直前まで第9章までを書き継ぎました。ほぼ全編を、物語でなく観念的議論によって進行する世界文学史においても未曾有の形而上学的思弁小説で、この一作で比類ない評価を受けました。
埴谷の没した日には、有志によって「アンドロメダ忌」という記念会が催されています。

Default