マリー・ローランサンとモード   渋谷 Bunkamura

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Bunkamura ザ・ミュージアムで、出会ったのは、
マリー・ローランサン(1883~1971)と生涯にわたり親交を続けた、ニコル・グレィと娘たちの肖像でした。

ニコル・グレィはポール・ポワレの末の妹で、ローランサンの同性の恋人とも伝えられる。

パステルカラーの簡潔で華やかな、夢見るような独特の画風。

誰もがひと目見れば「ローランサンの絵」だとわかる強烈な個性。
一見優しげな色彩のなかには、強い“意志”が感じられる。

カリスマ的な人気を博したローランサンに肖像画を注文することがパリの上流婦人の間で流行となったという。

ところで、ポワレは、第一次世界大戦後の不況で破産。 ポワレが去りシャネルが来たと言われた時代でした。
画像のドレスはシャネル。往時の状況は、服飾研究家 深井晃子 編「FASHION」に詳しい

狂乱の時代(レザネ・フォル)と呼ばれた1920年代、世界各国から芸術家や知識人がパリに集まり、様々な芸術活動が行われた。

ピカソに紹介された詩人ギョーム・アポリネールは、
結局、マリー・ローランサンに失恋するのだが、
後に「20世紀を連れてきた男」と称されるほど精力的な著作活動を行い、 近代詩の金字塔となる詩「ミラボー橋」が生まれた。

「ミラボー橋の下をセーヌが流れ
われらの恋が流れる
わたしは思いだす
悩みのあとには楽しみがくると
日もくれよ 鐘もなれ
月日は流れ わたしは残る」  堀口大学 訳

堀口大學は、マリー・ローランサンと出会い、絵の弟子入りをすることになったとのことだ。

7枚目の画像は、アンリ・ルソー作「詩人に霊感を与えるミューズ」(ギヨーム・アポリネールと彼のミューズであるローランサン)1909年

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