1969年 京都 中山舶純堂 追憶 #2
その頃(’60年代の後半~)は、高度経済成長の真ッ只中、
「価格破壊」で流通革命を牽引したダイエーを筆頭に、
GMSチェーンの発展期でした。
(1972年 ダイエーが三越の売上を抜いて小売業売上日本一になる)
たまたま、GMSの店舗設計・施工の会社に職を得る事が出来た駆け出しのデザイナー見習いは、一人前のJOBをあてがわれ、
クライアントの店舗新設・改装計画に必死に取り組んだものです。
人手不足は、今以上で、それこそ昼も夜も有りません。
そんな状況でも、いやそんな状況だったからこそでしょうか、
地方への出張はわずかな息抜きでした。
殊に京都への出張は、凄く楽しみでした。
「Men's Club」や「平凡パンチ」などに採りあげられた、
「是非とも行ってみたい」ところが沢山あったからです。
さて、京都でアンティークと言えば、清水寺へ続く産寧坂の古道具屋街や、
河原町の骨董屋街でしょうが、毎月21日、空海ゆかりの東寺境内で催されている「弘法さん」や、25日の北野天満宮「天神さん」の露店市。
夜明け前から門前一帯や境内にところ狭しと並ぶ、おびただしいガラクタ。
古都を賑わす蚤の市の雑踏は、駆け出しの身の修行の場でもあったのです。
それもこれも、 50年も過ぎてしまった、遥かな想い出です。