東銀座 ローヤル・アーツ 村松靖夫さん 追憶 #4
半世紀ほどたったのでしょうか? 昭和40年代のことです。
二十歳そこそこ・ポット出の田舎者にとっての銀座は、
いくらカッコつけて歩いてみても、セイゼイ首都高下の「西銀座サテライトスタジオ」(現在の宝くじコーナー)から始まって、テイジンメンズショップ、三愛ドリームセンター( 水森亜土ショップ )で交わる銀座通りから~みゆき通りあたりへと、極めて狭いエリア、いわゆる、みゆき族エリアですね。
しかし、そんな私が、ディープ銀座へ軽々と分け入るキッカケを、持病の宿痾によって与えられました。
ローヤル・アーツは、銀座3丁目 歌舞伎座の東角を入って、平凡出版社(現マガジンハウス社)の向かい側、シェルマンの並びに有りました。
当時の東銀座でもほとんど見かけることのない木造の仕舞屋でした。
ローヤル・アーツ「王家の美術商」と大そうな店名だが実態は、Royal dump「王家のはき溜め」と云ったところで、気宇は大きくても懐のさみしい駆け出しにとって、実に愉しい、居心地の良い「はき溜め」だった。 (実は、Loyal Artsなのですが)
あるじは、アラビアンナイトで、ランプを擦ると現れる大魔人を彷彿とさせる。
山積みの我楽多の中から、顔をのぞかせているあのアラジンのランプが棲家なんじゃないだろか ?
顔はふっくらとして、髪の毛は薄い、肌は浅黒く目の玉は大きい。
そして眼差しは、あくまでも優しい。
口髭をたくわえた唇からは流暢な東北訛り(?) ウヌ、「おぬし、ただ者ではないナ」・・・ 私はこの大魔人と親交を深めるのにさして時間はいらなかった。
そして、この「ただ者でのなさ」を、ズーッと後に、南青山で、思い知らされることになったし、 その又々ズーッと後にも、世田谷・代沢でまたまた再認識させられたのでした。
さて、このヌクヌクと居心地の良い「はき溜め」は、‘75年 万国古道具「開化亭」と改めて、南青山へ進出したのでした。