- 0318 Museum
- 158F 盛岡 南大通り 「見聞録」 そしてグスタフ・ベッカー
- Gustav Becker
Gustav Becker
グスタフ・ベッカー(Gustav Becker, 1819-1885)は、1819年にドイツに生まれた。
時計職人
ドイツ・オーストリア・スイスの時計メーカーでの修行の後、
1847年 バーデン=ヴュルテンベルク州 フライブルグに工房を設立する。
1852年のシレジア貿易博覧会で金賞を受賞。
このときの金賞のマークと、有名な碇のマークがグスタフ・ベッカーのトレードマークとなる。
1860年代には豪華な手彫りの装飾ケース+ 高品質な高級時計を作るまでになっていった。
1873年ウィーン国際博覧会でも金賞を受賞。
この頃にはヨーロッパのヴィエナ・クロックの草分け的存在となっており、
時の権力者のステータスとして所望されるほどの一流ブランドに発展。
1880年代になるとグスタフ・ベッカーは、ドイツのシュバルツバルトの“黒い森”勢(時計メーカー)との激しい競争を強いられる。
当時、シュバルツバルトにはゼンマイを使ったシンプルかつ安価な時計を作る工場が増え、高価な時計は売り上げが激減した。
グスタフ・ベッカーもこれに対抗するためゼンマイ式の機械とシンプルなケースの時計を製造し始める。
“黒い森”勢との競争の中で生き残りを図るため、
1899年シレジアの幾つかの時計会社と共にグスタフ・ベッカーが中心となったVFU(フライブルグ共同時計製造会社)を設立し、大小様々な時計を製造した。が、
1925~26年に財務面で克服できないほどの厳しさに直面し、
1926年7月にユンハンス、ハンブルグアメリカンと共に再び企業連合を設立。
この企業連合も1930年にユンハンスに買収されることになり、グスタフ・ベッカー社は消滅する。
これ以降もグスタフ・ベッカーのブランドは残ったが、それも1939年 第2次世界大戦への突入と共に消滅した。