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Gustav Becker
グスタフ・ベッカー(Gustav Becker, 1819-1885)は、1819年にドイツに生まれた。 時計職人 ドイツ・オーストリア・スイスの時計メーカーでの修行の後、 1847年 バーデン=ヴュルテンベルク州 フライブルグに工房を設立する。 1852年のシレジア貿易博覧会で金賞を受賞。 このときの金賞のマークと、有名な碇のマークがグスタフ・ベッカーのトレードマークとなる。 1860年代には豪華な手彫りの装飾ケース+ 高品質な高級時計を作るまでになっていった。 1873年ウィーン国際博覧会でも金賞を受賞。 この頃にはヨーロッパのヴィエナ・クロックの草分け的存在となっており、 時の権力者のステータスとして所望されるほどの一流ブランドに発展。 1880年代になるとグスタフ・ベッカーは、ドイツのシュバルツバルトの“黒い森”勢(時計メーカー)との激しい競争を強いられる。 当時、シュバルツバルトにはゼンマイを使ったシンプルかつ安価な時計を作る工場が増え、高価な時計は売り上げが激減した。 グスタフ・ベッカーもこれに対抗するためゼンマイ式の機械とシンプルなケースの時計を製造し始める。 “黒い森”勢との競争の中で生き残りを図るため、 1899年シレジアの幾つかの時計会社と共にグスタフ・ベッカーが中心となったVFU(フライブルグ共同時計製造会社)を設立し、大小様々な時計を製造した。が、 1925~26年に財務面で克服できないほどの厳しさに直面し、 1926年7月にユンハンス、ハンブルグアメリカンと共に再び企業連合を設立。 この企業連合も1930年にユンハンスに買収されることになり、グスタフ・ベッカー社は消滅する。 これ以降もグスタフ・ベッカーのブランドは残ったが、それも1939年 第2次世界大戦への突入と共に消滅した。
HANGING CLOCK Gustav Becker0318
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盛岡 南大通り 「見聞録」 そして Gustav Becker 続き
店主の佐藤さんは、世界有数のシングルモルトのコレクターとして知られていた方です。 何しろ、アイラ島へ、買い付けやオークションによく行くのだとか・・・ 当時国内でも、シングルモルトの人気が高まり静なブームでした。 私もシングルモルトのウイスキーに嵌っていたのですが、 それより、壁一面に巡らされたグスタフ・ベッカーのコレクションに圧倒されてしまいました。 Gustav Becker 1847~1930年 グスタフ・ベッカーは、アンティーク柱時計の〝ロールスロイス” ”One of the better(最良の一つ)”と賞されるほどの最大級の評価を受けている時計メーカーだった。 そうして ある時、 久しぶりだなと思いながら訪ねて、驚いてしまいました。 「う~ん、処分したんだよ」とのこと・・・・ 私は、いろんなところを訪ね歩いていて、結果 「何々が欲しい時には、何処どこへ行けば手に入るということが凡そ分かってしまった・・・」のでね、 という・・・・ そういうこともあるのかなと、納得したような・納得できないような気分で、 バーカウンター背面の空虚な壁を見やりながら、フ~ッと息を吐き・・・・ 潮の香りのグレンリベットを煽ったことでした。
見聞録 Gustav Becker 盛岡 南大通り 2丁目0318