17世紀、英国はムガール帝国を植民地支配・・・・ 余りにも知らなすぎる歴史

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17世紀、英国はムガール帝国(インド)を「東インド会社」を通して植民地支配、  

その富を略奪し、自然資源から巨萬の利を得た。

「イギリスの産業革命はインドで栄えていた繊維産業など製造業の破壊の上に築かれた」と、シャシ・タルールは述べている。

国土の60%を直轄の州に分割し、
以前から存在していた数百(500)もの領国については
「藩王国」としてその自治権を認めた。

左の画像は、1895年頃、インド総督兼副王を務めていた、
ジョージ・カーゾン侯爵とその妻メアリー。

インドにおける支配を維持するため、
英国の統治者はわざと宗教や民族的違いを強調して人々を分離し、孤立させた。

ムガール人にも限定的な政治的役割が与えられたものの、
その地位を争って、ばしばヒンドゥー教徒とイスラム教徒が対立した。

インド総督だったカーゾン侯爵は、1905年にインド最大の州であるベンガルをイスラム教徒が多い地域とヒンドゥー教徒が多い地域に分けて、さらに対立を煽った。

ムガール人を劣った人種とみなしていたカーゾンの「分断による支配」政策は、激しい抵抗にあった。

1947年、イギリス領インド帝国/英国によるインドの植民地支配が終わる。

イギリス最大の植民地の分離独立は、大英帝国繁栄の終わりの始まりだった。

結果として、インドとパキスタンという2つの国が誕生した。

更に東パキスタンは、バンラデッシュとして独立。

英国によって慌ただしく設定された国境線が激しい争いのもとになり、
1千万人と言われる大量の難民が生まれた。

さて、因果は巡るということか、
22年10月に英国の首相にインド系のスーナク氏が着いた。

英サウサンプトンに生まれ、父親は総合医、母親は薬局経営者。
両親はともにインド系で、東アフリカからイギリスに移り住んだ。

スーナク氏は、南アジア系イギリス人初の首相
宗教はヒンドゥー教を信じている。

2019年にはBBCの取材に応じて、
「両親はこの国に移民してきた。
この国で生まれた同世代の大勢が、この国以外で生まれ、
人生を切り開くためにこの国へ来た両親を持つ」と話し、

「文化や慣習的な生い立ちという意味で言うと、
自分はヒンドゥー教徒なので週末にはお寺に行くけれど、
土曜日には(サウサンプトン・フットボール・クラブの)試合を見に行っていた。

両方やるんだ、両方」と説明していた。  新しい時代が始まっている。

ジョージ・カーゾン( George Curzon of Kedleston, 1859~ 1925)
イギリスの政治家、
スカーズデール男爵家の跡取りとして生まれ、
イートン校を経てオックスフォード大学へ進学。
1887年から1895年にかけて、五回 世界旅行を行う。 

1895年から1898年の間、外務政務次官を務め、
列強諸国による中国分割の中で、清におけるイギリスの権益を守ることに奔走した。

1899年から1905年までインド総督兼副王を務め、
強権的な内政と、ロシアの南下政策への対抗し、
よって大英帝国のインド支配の強化に努めた。

以前から存在していた数百もの「藩王国」には、その自治権を認めた。
後半の画像は、その藩王の王子たちです。

ムガール帝国に関して、ムガールというのはモンゴルの意味。

13~14世紀 最大の版図を占め隆盛を誇ったモンゴル世界帝国は、
16世紀にはアジアの5大帝国に分かれた。
明の中国、ムガール朝のインド、サファヴィー朝のペルシャ、ロシア、そしてオスマン朝。

ルーツはモンゴル世界帝国 (出口 治明著「一気読み世界史」より)

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