よりみちの寄り道   紅茶スパイ   英国人プラントハンター中国をゆく

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ロバート・フォーチュンが貴重な宝物を盗み出した。

フォーチュンが茶の苗木や製法を中國から盗み出したことで、紅茶はより広い世界に安価な値段で普及した
紅茶スパイ サラ・ローズ著(1845年~1852年)  

紅茶はヴィクトリア王朝時代の英国人にとって生活に欠かせない嗜好品として親しまれていた。
一方、当時、中国帝國(清国)だけが、ほぼ完全に茶を独占的に栽培~販売していた。 
勿論、苗木などは禁輸品であった。
英国は、茶の代金を銀貨で支払う。大きな貿易不均衡が発生していた。 
英国政府を代行していた東インド会社は 「中国に阿片を売りつけ、その収益で中国茶の代金を賄おう」と謀らった。 
中国は茶の販売で得た銀貨で、イギリス人商人からインド産の阿片を買った。
イギリスの綿製品をインドへ → インドの阿片を中國へ → 中国の茶をイギリスへ輸入する。
 当時、イギリス経済の屋台骨を支えた重要な交易で、いわゆる「三角貿易」の始まりだ。
中国国内では禁じられていた阿片だが、密輸が横行していた。
1839年 若きヴィクトリア女王は英海軍を派兵し所謂「阿片戦争」 
海戦で中国は惨敗、南京条約で、香港島の割譲などの不平等条約を強要された。

さて、ロバート・フォーチュンが茶の苗木や製法を盗み出し、インド・ヒマラヤ山麓へ移植することに成功した。
ヒマラヤ山麓は高地であり、土地は肥沃で、良く霧が立ち込める。中国の最高級の茶の産地の気候風土とよく似ていた。  そして、ダージリンティが誕生した。

プラントハンターは、異国の珍しい植物類をイギリス本国へ送り、結果 イギリス繁栄の礎づくりに大きく貢献した。

紅茶つながりで 以前訪れた、TWININGSのフラッグシップのスナップを付けました。
清朝時代の人形が目印の 300年を超える老舗ですが、見逃しそうな間口の小さなお店です。
さて、陽も少し傾いてきました・・・紅茶で一息入れることにしました。

さてさて、フィリップ・コガン著「人類の1万年史」に気になる記述がありましたので、援用します。
世界に版図を広げていた大英帝国はゴムを直に手に入れたいと願っていた。
1876年ヘンリー・アレグザンダー・ウイッカムがブラジルから7万個の種子を持ち出した。

キューガーデンの植物学者たちが種子から苗に育てるのに成功し、
苗はスリランカやマラヤ(マレーシア)の植民地送られ、彼の地は1920年には世界最大のゴム生産地になっていた。
1920年代以降、ブラジルのゴム生産が葉枯れ病で全滅したため、これは幸運な転換になった。

プラントハンターは、異国の珍しい植物類をイギリス本国へ送り、結果 イギリス繁栄の礎づくりに大きく貢献した。

こう言うことも有るのだ、
大英帝国の植民地主義を何と非難すべきなのか・・・言葉がない。

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