南青山/開化亭    村松靖夫  魔訶 大魔神 追憶 #4

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さて、このヌクヌクと居心地の良い「はき溜め」は、

‘75年 万国古道具「開化亭」と名を改めて、南青山・骨董通りを西へ少し入った住宅街に移転した。

案内文に曰く『明治・大正期に日本へ渡来してきたもの--舶来して百年近く滞日した

“帰化西洋古道具”を主に扱っております。 

近年渡来して来る西洋骨董とは、ちょっと匂いの違うアチャラカ・開化物。 
明治・大正期のばかばかしい道具類が、店内にゴチャゴチャころがっております。 

どうぞ、かき回して何か“お目にかなったもの”をお探しください。 店主敬白』 

少し長くなりましたが、魔訶 大魔人・村松さんの人柄をいくらかでも感じて頂ければと、開店のコピーを援用しました。 

写真は、'78年秋に青山通り、小田急南青山ビルの地階に続けて開店したパブレストラン。

曰く『シャンソンでも聴きながら、冷たいワインを傾けて 過ぎ去った佳き日を呼び戻してください、味も保証付きです。―昔の支那料理・開化亭』

これで分かることは、大魔神は大いなるプロデューサーで・コンセプト・クリエーターであるという事です。

特に、「―昔の支那料理店」は、いにしえ・上海の英国租界のエキゾチックな雰囲気を再現し、大いに繁盛していました。

さて、この南青山・骨董通りを西へ少し入った住宅街の小路には、程なく、

代官山・ジャンクシティの豊田さんが、メンズショップ「Lloyd Clothing」を開店する。

その後も英国のキッチン・アンティークを集めた「Dee’s」など新感覚の店舗が軒を連ねるようになりました。 
大魔人はやはり、目利きのプロデューサーであったのでした。

しかし、この頃になると、大魔神は昼でもアルコールの匂いをプンプンとさせていていて、

365日 ワインボトルが手放せなくなってしまっていた。 やれやれ

「昔の支那料理店・開化亭」は、町田恭子さん( 手風琴 )と弟さんが仕切っていたし、

万国古道具「開化亭」と「ANTIQUE 20」は、順ちゃん( 北沢順造 )が、番頭をしていた。

順ちゃんとの長いお付き合いの始まりだ。 「人来たり、人去りぬ」

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