JEAN COCTEAU  の リトグラフ 135/150

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2002年 8月「アートカフェ・ 1107  恵比寿」の鈴木正勝さんからお譲りいただきました。
鈴木さんは、当時ホリ・プロの常務で 友人の太細氏の紹介でした。
「49F の金子 國義のリトグラフ」と一緒に求めたものです。

このリトグラフは、作曲家・ピアニストの「深町 純」さんも欲しがっていた作品だったとのこと・・・
1957年の作品で、ジャン・コクトーのサインと 135/150のシリアルナンバーが記載されています。

さて、J.コクトーはモジリアニやピカソ、藤田嗣二などと親交があり、
1936年には世界一周の途中日本に滞在、友人で一時帰国中の藤田嗣治と再会し、
相撲観戦や歌舞伎見物、夜の歓楽街の散策などを共に愉しんだ。
相撲を「バランスの芸術」と呼び、
六代目尾上菊五郎と握手を交わすなど、多くのエピソードが残っている。

もう一つ、
「耳」  私の耳は貝の殻
     海の響をなつかしむ
この短詩の作者こそ、ジャン・コクトー。
堀口大学の訳の、訳詩集『月下の一群』で、日本中に広まりました。

1963年、親友エディット・ピアフの訃報に、心臓発作を起こし74歳で死去。

報せに心臓が麻痺してしまうほどのショック、大親友だったのですね。

最後の画像は,1939年 Edith Piaf とのツーショットです。

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