日本のグラフィツクデザインの原点  杉浦 非水(1876~1965)

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TORIO 展に、杉浦 非水の「銀座三越 四月十日開店」のポスターが展示されていた。

「今日は帝劇、明日は三越」という名コピーが生まれた大正初期。
三越呉服店は、日本初の「デパートメントストァ宣言」を体現すべく、広告宣伝の新しい形を模索し始めた。
そこで初代図案部の主任として、日本のグラフィックデザインの先導を切ったのが杉浦非水で、200点以上に上る名作ポスターを生み出した。

日本でまだグラフィックデザインという言葉が無い時代でありながら、
非水が手掛けた作品は、現代のグラフィックデザインそのもので、
日本のグラフィックデザインの原点と言っても過言ではない。

杉浦 非水(1876~1965)
松山の生まれ、東京美術学校で黒田清輝に師事、
黒田は1900(明治33)年のパリ万博に派遣され渡仏、当時欧州を風靡していた「アールヌーボウ」様式を持ち帰った。 当然、杉浦も大きな影響を受けた。

非水は、1908(明治41)年、三越呉服店(当時)の嘱託デザイナーとなり、以降1924(昭和9)年に退社するポスターやPR 誌のデザインを多数手がけ、「三越の非水か、非水の三越か」とまで評された。

晩年は多摩帝国美術学校(多摩美術大学)の創立にかかわり、初代校長として後世の美術教育に力を注いだ。

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