コレクター小松隼也さんより
憧れの写真家、細江英公さん、東松照明さん、森山大道さん、荒木経惟さん、、、。みなさん、タカ・イシイギャラリーが作品を取り扱われている作家さんなんです。それがギャラリーを知ったきっかけでもあり、オーナーのタカさんを知ったきっかけでした。ギャラリーに通うようになって、それまで知らなかった海外の作家や若手作家の作品を知っていくうちに、「タカさんのギャラリーの作家さん、みんな好きだな」って気付きました(笑)。
タカさん本人もとても魅力的な方なんです。自分がまだ20代半ばで、コレクターなんて名乗るには本当におこがましいような時から、とても親身になって話を聞いてくれるし、よくお勧めの作家を教えてくれたり、ビンテージプリントを見せてくれたりして。2014年に私がニューヨークに留学していたときは、知り合いも殆どいなくてお金もまったくない時期だったんですが、タカさんがニューヨークにギャラリーを開いたタイミングで、よく食事に連れて行ってもらったり、人を紹介してもらいました。
しかも、タカさんが紹介してくれた方々が「タカさんの紹介なら」と言ってとてもよくしてくれるんです。自分もこんな大人になりたいなぁと常に思っています。そんなタカさんのステキな感性や人柄がどのようにできあがったのか、掘り下げて聞いてみたいとずっと思っていました。
若くしてレジェンドたちと繋がりをもった90年代
小松隼也さん(以下、小松):「1991年までアーティストとしてロサンゼルスで活動をしていた」と以前タカさんからお聞きしました。ロスにいた時から、ギャラリーをやろうと決めていたのでしょうか。
石井孝之さん(以下、石井):やると決めたのは帰国後ですが、ロスにいた頃からプライベート・ディーラーのような仕事はしていました。父親が倒れたことをきっかけに1991年に帰国し、1994年6月にオープンし、ギャラリーに勤めていたわけではないので見よう見まねでスタートしました。
小松:最初の展覧会では、どなたを取り上げたのですか?
石井:写真家のラリー・クラーク(Larry Clark)さんです。ロスのリトルトウキョウにあったTemporary Contemporaryというスペースで、彼の『タルサ』というシリーズのプリントを見ました。セックスやバイオレンスを主題にしたもので、「なんて力がある作品だろう」「自分がギャラリーをやるなら絶対にこの人の展覧会を」という思いが、ずっと脳裏にあったんです。帰国後には、森山大道さんや田原桂一さんをみて「日本の写真家はすごいな。素晴らしいな」と感じました。
小松:当時の写真界で、ラリー・クラークはどのような存在だったのでしょうか?
石井:すでにレジェンドでした。写真雑誌「アサヒカメラ」や「deja-vu」でも特集が組まれる存在でした。
小松:タカさんはまだ30代前半ですよね??どのように繋がりを?
石井:はじめに所属ギャラリーを訪ね、作家を紹介してもらい、それからラリーのスタジオに行きました。だだっ広いスタジオの壁にクリストファー・ウール(Christopher Wool)のスプレーだけで描かれたペインティングがあり、天井からサンドバッグがつるされていたことを覚えています。
小松:刺激的ですね。ラリーのスタジオは、勝手ながら小汚いイメージを持っていました。
石井:小汚くもありましたよ(笑)。ラリーの展覧会にあわせて、本国では「幻の」と言われた写真集『タルサ』の日本版も出すことにしました(1996年刊行)。その時の、ラリーからのリクエストは、「英語を一切使わず、すべて日本語に訳すこと。数字も漢字で」と。さすがに漢数字まではできませんでしたが。
小松:(笑)
『タルサ』タカ・イシイギャラリー刊(1996年) Courtesy of Taka Ishii Gallery
石井:その展覧会にきてくれたのが、荒木経惟さんです。直接「今度個展をやらせてくれませんか」と話を取りつけ、開催したのが『墨汁綺譚』でした。ジャック・ピアソン(Jack Pierson)や、クリストファー・ウールとも90年代のうちに展覧会を開催し、なんとなくギャラリーの方向性が、写真に定まっていきました。
小松:森山大道さんの展覧会も、90年代からされていますね。
石井:1995年に展覧会をしました。スペースを気に入ってくれ、展覧会をやろうという話になりました。その条件として「写真集をつくってほしい」と。タカ・イシイギャラリーが出版した、最初の写真集になりました。『Imitation』という写真集です。雑誌「Cut」に紹介記事が載ったところ注文の電話が殺到。7000円でしたが、限定1000部があっという間に完売しました。
タカ・イシイギャラリーでは新しいことをしたかった
小松:錚々たる作家の名前がつづきますが、中でも印象に残っている展覧会はありますか?
石井:2000年のダグ・エイケン(Doug Aitken)の展覧会です。映像を作品にしている作家自体珍しい時代でした。映像作品を映すと両側から透かしてみられるスクリーンが、日本では見つけられなかったので、その布を海外で買ってきたり、壁をすべてダークブルーに塗り変えたり。そのような準備を、アシスタントと私ですべてやりました。ダグはそういった作業は一切やらないのですが(笑)、作業後には一緒にサーフィンにいったりして。
東京・六本木にある「タカ・イシイギャラリー」。取材の日は、マリオ・ガルシア・トレス 「Falling Together In Time」が開催されていた。
石井:映像作品は、レーザーディスクというメディアで販売しましたが、これが売れない。それでも、楽しかった。ダグのようにミュージックビデオやコマーシャル出身で、ファインアートも制作する作家は珍しく、新しい存在でした。自分のギャラリーで、新しいことをしたいという気持ちが強かったんです。
小松:作品のディーリングやプロデュースに魅力を感じ、作る側から扱う側に変わったのですね。キャリアチェンジした当初、葛藤はありましたか?
石井:すでにアート・ビジネスの面白さに気持ちが向いていたので、葛藤はありませんでした。目の前を通り過ぎる色々な良い作品をみていると、「自分がそれを超えるのはちょっと難しい」と思ってしまったところもあります。「自分ならそれ以上の作品ができる」と思える人が、アーティストとして飛躍していくのでしょうね。
若手作家を探す難しさ
小松:扱う作家さんは、感性で探すのでしょうか?
石井:そうですね、それがこの仕事をしていて何より楽しいことです。ただいくら作品がよくても、性格があわない方だと難しいですね。ギャラリーと作家は長い付き合いになります。50:50の関係が築けるかどうかは重要です。そういう関係を築くことができる方には、ギャラリーとしても100%のサポートができます。
小松:森山大道さんや荒木経惟さんとは、どのように関係を築かれたのですか?
石井:僕が29歳の時に、彼らは50代。親子のような年齢差ですが、お二人ともお酒が好きで、朝まで付き合ったり。もっと若い頃はもっとハチャメチャだったとは聞きますが(笑)。
小松:ベテランか若手かは意識しますか?
石井:年に1人は、若手作家の展覧会を企画するようにしています。アートフェアや雑誌でみつけてくるのですが、今年はポルトガルの作家レオノール・アントゥネス(Leonor Antunes)とロシア出身の作家サーニャ・カンタロフスキー(Sanya Kantarovsky)の2名。レオノールは40代、サーニャはまだ30代です。
日本にも良い作家はいますね。「写真家」ということにこだわらず、面白ければよいと考えています。いまは写真をとる上での技術的なハードルが下がったせいか、ペインターでも写真作品を発表したり、パフォーマンスをしたりしますから。
ただ、表現の幅が広がってきたことで、若手作家の選び方がわからなくなってきています。作家の活動全体をみる必要があり、作品単体では評価が難しい。何かひとつが良くても、全体が良くなければいけない。そういう状況なので、作家を決めるのが難しくなったとも感じます。
作品と評価者を繋ぐのは、美術館とギャラリー
小松:そのような時代の中、タカさんは、ギャラリーの役割をどう考えますか?作品と評価する人が揃って初めて、作家の価値が生まれるなら、そこを繋ぐのがギャラリーでしょうか。
石井:作品と評価者を繋ぐのは、美術館とギャラリーですね。ギャラリーの展示を美術館の方がみて、作家が有名になっていく。しかし今、そのシステムは壊れてきています。
小松:僕自身がニューヨークにいた頃の感覚として、アメリカでは、美術館がギャラリーと一緒になって作家の価値を高めていこうという流れがありました。
石井:アメリカは、特にそうですね。歴史がない分、自分たちで作っていかなくてはいけないという意識が強いでしょう。ヨーロッパは日本と同様、歴史がありアカデミズムの世界も確立しているので、なかなか難しいところがあります。
必要なのは、ジャンルを横断し若手が発表する場
小松:そのような状況下で、タカさんが今後やりたいことはありますか?
石井:自分のギャラリーを大きくしたいという思いはあまりなく、写真センターのようなものができたらいいなと思います。美術館では扱いにくいテーマや、若手作家を取り上げた企画展をしたり、コレクションもする。現代アートの業界全体でも同様に、アートセンターがあるといいですね。
欧米ではアートセンターが展覧会を開き、それを見たギャラリストが作家をピックアップして個展を企画します。ギャラリーを見たキュレーターが、美術館に展開させていく。コレクターは美術館に足を運び、良いと思ったらギャラリーで買うという流れがシステム化されています。
日本には、かつて草月アートセンターがありました。勅使河原蒼風さんと勅使河原宏さんが呼びかけて、ジャスパー・ジョーンズ(Jasper Johns)やジョン・ケージ(John Milton Cage Jr.)を呼んだり、磯崎新さんのように建築家もいてジャンルを横断した繋がりの場、若手の発表の場を作っていたそうです。
小松:タカさんは、年4回京都造形芸術大学で講義をされていますよね。若手の作家たちの現状を見てそれを感じますか?
石井:みんな就職してしまうんですよ。学生さんたちは急に伸びる。その成長を見るのはとても楽しいけれど、卒業後にアーティストとなる人はほとんどいない。「食べていかないといけないから」と。若い作家が作品を見せる場がないと、前に進んでいけません。
小松:だからこそ、アートセンターがあるといいんですね。
石井:そう。若手作家に発表の機会ができるスペースがあるといい。その発表でギャラリーが作品を見て、展覧会を企画する。そうなるといいですね。
日本には日本にあったやり方があるでしょうから、すぐにどうという話はできませんが、海外であれば若手作家の展覧会を、ギャラリーと美術館が時間差なく企画し、インターナショナルに広めている。私たちも、日本の美術館と一緒にそれができれば。あるいは野心があり、協賛を集めるところまでできる、若手のインディペンデント・キュレーターとかが出てくるといいですね。
ーおわりー
左から:小松隼也、石井孝之
タカ・イシイギャラリー
現代アートを扱うギャラリーはまだ少なかった1994年、当時31歳の石井孝之氏によってタカ・イシイギャラリーが開廊。
写真界のレジェンドたちと多くの繋がりを持つ石井氏のギャラリーは東京六本木に2つ、品川に1つと、香港にも1つある。
石井氏へのQ&A
Q:ロサンゼルスへ留学に行く前、幼少期のころについて教えてください
下町の普通の小僧ですよ。小学生のころは競技スキーをやっていました。その後中学生になりスケートボードを、高校生になりサーフィンをはじめました。中学生の時にPOPEYEやFINEが創刊され、そこからファッションに興味を持ちロサンゼルスのOtis College of Artand Designに留学するわけです。
Q:アート以外の趣味について教えてください
サーフィンになるんですかね。いまはあまりやっていませんが、カットバックなどの技もできます。サーフィンをしている時には波のことしか考えていません。ヨガみたいで、精神衛生上いいですよ。
Q:プライベートでもコレクションをしていますか?
家具や、写真作品を主にコレクションしています。一番最初に買った作品はシャガールの版画です。24、5歳で、まだ学生でした。シャガールやピカソなどのオリジナルを扱うギャラリーにいった時に、エッチングを見せていただいたんです。4500ドル(当時約80万円)ほどでなんとか買える値段だったので、分割で購入しました。そのギャラリーの方が最近アートフェアのブースに来て、「シャガールを買ってくれたでしょう」と声をかけてくれたんです。一点しか購入していないのに覚えていてくれて、すごく感激しました。
Exhibition
荒木経惟 「梅ヶ丘墓情」
タカ・イシイギャラリーは荒木経惟の個展「梅ヶ丘墓情」を開催する。1994年のギャラリー開廊以来、四半世紀にわたりほぼ毎年開催された荒木の個展は、今年27回目を数え、中判フィルムにて撮影したカラー、モノクローム写真の新作約90点を発表する。
また、展覧会に合わせ、写真集『梅ヶ丘墓情』が刊行される。
会期: 2019年5月25日(土)- 6月15日(土)
会場: タカ・イシイギャラリー 東京
タカ・イシイギャラリー 開廊25周年記念グループ展: Survived!
開廊25周年を祝う作家総勢36名によるグループ展を開催。complex665(六本木)3Fのギャラリースペース、1Fのビューイングルーム、AXISビル(六本木)2Fのフォトグラフィー/フィルムの3会場で同時開催する。25年の歴史を振り返るカタログも刊行予定。
会期: 2019年6月25日(火) – 7月27日(土)
会場: 都内3会場にて同時開催
1: タカ・イシイギャラリー 東京 (complex665 3F)
2: タカ・イシイギャラリー 東京 ビューイングルーム (complex665 1F)
3: タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム (AXISビル 2F)
終わりに
タカ・イシイギャラリーさんの印象は幾つかある。まず、ビジネスマナーが行き届いていること。ある時ちょっとしたことで、お渡しするのも憚れるような実に些細な「祝いの品」を持参したことがあった。すぐにスタッフの方から御礼のメールを頂いた。職掌柄珍しいことではなかったが、ギャラリーさんからこの手のメールを頂いたのが新鮮だった。
次に、スタッフの皆さんが作家と作品に精通していること。展覧会の初日、早い時間にギャラリーにお邪魔して、何度か「勉強会」の場に遭遇したことがある。作家さん自らがスタッフの皆さんに、展覧会のテーマや作品のコンセプトについて解説するのだ。このおかげで、スタッフの皆さんは作家さんの代弁者として来廊者の質問に答えることが出来る。
いずれも私の個人的な経験で、ほかのギャラリーでも実践されていることかも知れないが、石井さんの運営方針が隅々まで浸透している感じがして、深く印象に残っている。その石井さんへの取材であるから、私も楽しみにして臨んだ。
「アートセンターを」という未来への提言は重要である。アートセンター、ギャラリー、美術館とそろって初めて現代アートのエコシステムが成り立つ。日本はそのうちの一つ、アートセンターが欠けてしまっている。この問題意識は、前回取材させて頂いた小山登美夫ギャラリーの小山さんと共通するものだ。それを小山さんは「ローカル」と仰っていたが、評価が確立されていない若手に発表の機会を、という点で一致している。日本を代表するギャラリストのお二人が、同じ問題意識をお持ちなのは無視できないことだ。
奇しくも先日まで水戸芸術館現代美術ギャラリーでは『アートセンターをひらく』というプログラムが開催されていた。アートセンターを巡る議論は今後ますます重要になるだろう。