少年漫画の原画がルーブル美術館で展示され、「マンガも芸術なの?」と驚きの声があがったことがある。時代をさかのぼれば浮世絵も、日本人がその価値を見いだすより先に、外国人の目を通して評価され、名品の多くが海を渡った。
渋谷にある現代アートのギャラリーNANZUKAは、田名網敬一や空山基など才能は認められていても、芸術としてみなされる機会がなかった作家の作品を、アートの文脈にのせ、世界に勝負を仕掛けている。
NANZUKA代表の南塚真史氏は、どのような姿勢でアートと向き合うのか。現代アート・コレクター/大学教授の宮津大輔氏に話を聞いて頂いた。
はじめに(モデレーター深野一朗より)
現代アートのプレイヤーに語って貰う当企画。コレクターに続いて話を伺うのはアート・ディーラー、なかでもプライマリー・ギャラリーのギャラリストたちだ。
現代アートのコレクションでは、「誰(=作家)を買うか」と同じくらいに「誰(=ギャラリー)から買うか」ということが重要になる。これまでのコレクターたちへのインタヴューで、ギャラリーの存在がいかに大切かは既にお分かりいただいたかと思う。
海外に目を向けると、「アート界のGAFA」ともいうべき、ブルーチップな作家ばかりを扱う欧米のメガ・ギャラリーの存在感がますます大きくなっている。今やメガ・ギャラリーの協力抜きには、美術館ですら展覧会を開催できないと言われている。
コレクターもこの10年間で大きく変わった。とりわけアジアのコレクターの台頭はめざましく、メガ・ギャラリーは香港に次々と支店をオープンしている。伝統的な商慣行も変わりつつある。対面による売買がいまだに主流を占めるアートの業界にも、遂にECが導入され始めた。ここでも先導役はメガ・ギャラリーである。このようにマーケットが変化するなか、果たして日本のギャラリーは自らの役割をどのように認識しているのか。
この連載に当たり私は、過去にご登場いただいたコレクターの皆さんに、話を聞いてみたいギャラリーを推薦して貰えないか、更には自らインタヴュアーになって貰えないか依頼した。前回は取材される立場だった方々が、今回は逆に取材する立場になるわけだ。
コレクターとギャラリーは切っても切れない関係である。作家とは一切付き合いがないというコレクターでも、ギャラリーなくしてコレクションは出来ない。そんなコレクターならきっと面白い話をギャラリストから引きだしてくれるに違いない。そう期待してのことである。
第一回目のインタヴュアーは宮津大輔さんだ。彼が取材先として選んだのは、独自路線でアート界を突っ走る気鋭の若手ギャラリスト、NANZUKAの南塚真史さんだった。
宮津大輔さんより
東京を代表するギャラリーを選ぶにあたり、悩みに悩んだ末、その強い革新性からNANZUKAとその代表を務める南塚真史さんを推したい。2005年、若干27歳で、ギャラリーでの修行経験ゼロのままNANZUKA UNDERGROUND(現NANZUKA)を開設して以来、南塚さんはアートとは何ぞやという問いを、私たちに突きつけ続けてきた。
グラフィックデザイナーとして認知されてきた田名網敬一が、米国・ウォーカー・アートセンター『International Pop』展や、英国・テート・モダン『The World Goes Pop』展(いずれも2015年)にとりあげられ、話題の村上隆キュレーションによる『Bubblewrap』展に空山基、山口はるみらが出展されるに至り、ギャラリー名のみならず、彼が手がける全仕事から、アンダーグラウンドという文字が消えつつある。
展覧会、アートフェア、有名メゾンとのコラボレーションなど、あらゆる方法でアートの可能性を拡げる、NANZUKAへの期待は尽きない。
ご本人の柔和な笑顔や、ポップでハッピーな作品イメージとは裏腹に、アカデミックで論理的な理(ことわり)とエロスが並存している点が最大の特徴である。
逆境でこそ際立つNANZUKAブランド
宮津大輔(以下、宮津):この記事を読まれる方に、まず言いたいことがあるんです。アートフェアでNANZUKAのブースを見てほしい。ギャラリーも作品ももちろん素晴らしいですが、NANZUKAは、アートフェアのブース作りも要チェックなんです!
南塚真史(以下、南塚):ありがとうございます(笑)。
宮津:とりわけ印象に残っているのが、2016年のアートバーゼル香港。アートフェアには、数多くのブースが軒を連ねますが、中でも勢いのあるギャラリーのブースからは、オーラのようなものが感じられます。NANZUKAのブースが、まさにそう。
南塚:間口の狭い場所を割り当てられた年ですね。「主催側は、あまりみせたくないのだろうな」と思いました。実は前年の2015年にも、似た経験をしていたんです。その時、知人づてに「空山基さんの作品を出そうとしていることがよく思われていないようだ」と聞きました。セックスをテーマにしているし、そもそもアートの文脈では語りにくいからと。
結局2015年は「NANZUKAはアカデミックな引き出しもある」とみせる必要に迫られ、田名網敬一先生のレトロスペクティブ的な展示をしました。
宮津:それも素晴らしいプレゼンテーションで、高く評価されましたよね。
南塚:はい。だからこそ2016年は空山さんを、と思ったところに、残念な場所を割り当てられた。これが最後くらいのつもりで、好きにやろうと決めました。
南塚:まず間口が狭いことを逆手にとり、外からはブース内の様子が見えないように囲いをしました。さらに入口をふさぐために、作家のオリバー・ペイン(Oliver Payne)に、暖簾を制作してもらいました。
CYDERHOUSEとオリバー・ペインのコラボレーションで作った、パンクなデザインのレザージャケットを着せたモデルに受付としてブースの外で立ってもらい、暖簾の下からは空山さんのスカルプチャーの足だけが覗きみえる。
暖簾をくぐると、中にはスカルプチャーがあり、奥にはオリバー・ペインと、田名網先生の作品。皆がファインアートと認識するものと、空山さんの作品をジョイントさせることに成功した例だと思っています。結果的に、間口を狭めたことで入口に人だかりができ、群衆につられて人が殺到して。
宮津:話題の中心は、南塚さんでした。ちなみに、その翌年はどうなったのでしょうか?
南塚:頼んでもいないのに大きなブースになりました(笑)。
宮津:(笑)。にこにことお話をされていますが...。
南塚:扱うのはセックスとパンクで。
宮津:逆境を逆手にとって、「喧嘩上等」なところが面白い!
南塚:父親が左翼の学者なので、基本的姿勢が反権力なのかもしれません(笑)。常に逆張りすることを意識しつつ、あくまでポジティブに。
サッカー少年、人間の証に魅了され美術の道へ
宮津:若い頃の南塚さんは裏原系の、渋谷にいるような若者でした。上野の森美術館の学芸員の岡里崇さんは、同級生だそうですね。
南塚:彼は、大学院の時の同期です。
宮津:かたや上野の森美術館の学芸員。かたや裏原系。雰囲気が真逆なので驚きましたが(笑)、たしかにまじめな話になると、南塚さんの語り口や思考は、実にアカデミックで美術史的です。どのような経緯でアートの世界に?
南塚:生まれたのは東京都府中市です。高校までずっとサッカーをしていたことで、グレずに済みましたが、当時はヤンキーだらけの地域でした。
父や母に連れられて、美術館には行く方だったと思います。高校生になっても、よく行きました。アートへの関心と理解度が深まりつつある中で、アートってなんなんだろう。人間が決めただけの価値で、本質的には実用性がない。でも皆、価値があると信じている。そう疑問を持つようになり、「文化や芸術は、人間が、動物ではなく人間である証」だと思い至りました。無形の価値は人間が人間でいるために必要なもの。もう少し勉強してみたいと思い、大学では美術史を専攻しました。
大学院では、美術のアカデミズムから外れた日本人アーティストたちを研究していました。丸木スマや山下清、谷内六郎など、いわゆるセルフトート・アートやアウトサイダー・アートですね。その研究テーマだと、学芸員になれる口もないだろう。自分でギャラリーをやってみてはどうかと。そこではじめて、ギャラリーに意識が向きました。
UNDERGROUNDからアートの世界へ
宮津:NANZUKA UNDERGROUNDを立ち上げた経緯を伺えますか?
南塚:学生時代から音楽やファッションも好きでした。グラフィックも含めた、アンダーグラウンドストリートカルチャーのある時代で、友人とイベントプロデュースをする中で、宇川直宏さんと出会いました。そして2005年の秋、渋谷でスタートしたのが「NANZUKA UNDERGROUND」です。
宇川さんのアイデアで、アンディ・ウォーホル(Andy Warhol)の「Factory」の発展形をコンセプトにし、アーティストのスタジオ「Mixrooffice」があり、発表の場となるギャラリー「NUNZUKA UNDERGROUND」があり、アフターパーティーができるクラブを併設したスペースを創りました。
宮津:どこかのギャラリーで、丁稚奉公することもなく?
南塚:相談にのっていただいたことはありましたが、修行期間はありませんでした。
宮津:今でこそソフィスティケートされたNANZUKAですが、当時のNANZUKA UNDERGROUNDには、アーティストに限らず、梁山泊のように色々な人がいらした。宇川さんがいらして、大御所の田名網先生がオーラを放っていて、確かギャラリーに立つとその方が作品になってしまうような、出で立ちの女性もいらっしゃいましたよね?
南塚:いました、いました(笑)。NUNZUKA UNDERGROUND立ち上げのメンバーには、アーティスト集団「他社比社」もいましたし、「NANZUKA UNDERGROUND」の名づけ親は、学芸員の高橋瑞木さんです。居酒屋で飲みながら名前を決めたその場には、その後小説家になった原田マハさんもいて。
宮津:僕の目にはカオス状態に映りましたが、南塚さんは、アートもデザインもイラストも分け隔てなく南塚さんの美意識で発掘していたのでしょう。ギャラリーの名称を「NANZUKA UNDERGROUND」から「NANZUKA」に変えたのは、渋谷に戻ってきた2012年ですか?
南塚:はい。「UNDERGROUND」をカットし「NANZUKA」にしました。それまでは「南塚がやっていることはアートではない」という声が多かったのですが、2010年にロンドンのフリーズアートフェア、2011年にスイスのアートバーゼルに受かりました。大きなアートフェアに受け入れられるようになり、ファインアートとして解釈されはじめたと感じるようになったタイミングでもありました。
田名網敬一をアートの文脈に
宮津:田名網敬一先生は、南塚さんを語る上で、キーとなるアーティストだと思っています。僕の中の田名網先生といえば、子どもの頃に父親が読んでいた成人向け小説のイラスト。アバンギャルドでエロくて、子どもは立ち入り禁止な雰囲気でした。田名網先生にアプローチしたのは、宇川さんの影響ですか?
南塚:宇川さんは、田名網先生の唯一の弟子で、宇川さんの紹介があったから、田名網先生も話を聞いてくれたのだと思います。
宮津:田名網先生は、それまでギャラリーに所属したこともなかったのですよね?
南塚:作品を売ることも、ほとんどありませんでした。「なぜ自分なのか」と聞かれ、今の日本でファインアートと呼ばれるアカデミックなアートに対し、僕が否定的な立場であることを伝えました。美術史は歴史学であり、死んだ作家を研究するのが基本。日本の美術研究誌「國華」にも、研究対象は、作家の没後100年、最短でも生誕100年と明記されています。
アカデミックな美術史においては、それが基本ルールなので、存命作家の作品は「純粋芸術になるかもしれないし、ならないかもしれない」。それ以上のことは言えません。
それならば僕は、一度大きく風呂敷を広げることにしたんです。「作家本人が純粋芸術だと考えていようがいまいが、作家が存命ならデザインもイラストもファインアートと同じ土俵にいる」と考えるポジションに立ちました。田名網先生には、海外の美術界では存命作家の研究もはじまっていること、コマーシャルアートでキャリアを積んできた作家もゼロスタートで勝負できることを説明し、了承をいただくことができました。
一点、先生に依頼したことがあります。古風なこだわりではありますが、ペインティングを描いてほしい、ということでした。キャンバスにプリントすれば同じだと先生は言いましたが、「そこは戦略的に手描きで」とお願いしました。アートの土俵に乗せるためには、キャンバスでペインティングであったほうがいい。世界に1点しかないものであることを、モノとして説明しやすいからです。
NANZUKAが拾いあげ、繋ぐもの
宮津:Adidasと田名網先生がコラボした製品が3月21日に発売されますね。空山さんはディオール(Dior)ともコラボしています。NANZUKAの所属作家とファッション・デザイナーがつながるのは自然な流れだと感じますか?
Dior 2019年プレフォール コレクションショー©Alessandro Garofalo
南塚:どうでしょう。芸術はこうでなければいけない(商業的な活動をしてはいけない)と信じる頭の固いアーティストがいないのは確かです。21世紀におけるアートとファッションのコラボレーションは、村上隆xマーク・ジェイコブス(ルイ・ヴィトン)が切り開いた道の延長線上にいます。ポイントは、近年のファッションがアートと同じく、消費されない価値を求め始めている点にあるのだと思います。
宮津:南塚さんは、正当な美術教育は受けているのに、ギャラリーとしてのしきたりにはとらわれない。音楽とアートのごちゃまぜから出発したところや、ファッションとのコラボ案件やブースづくりに、NANZUKAらしさが表れているように思います。今や田名網敬一先生は、アジアで、スーパーリッチな若手コレクターから熱い視線を向けられています。
南塚:アートの文脈にのせるためには、美術史に紐づく形で、英語で説明する必要があります。僕が好きなアーティストは、ファインアート的にはアウトサイダー(枠外)だと認識されてきた人が多いですが、ルールに則って説明をすれば、無視できない存在であることが分かります。
例えば、PARCOの広告で有名な山口はるみのエアブラシ絵画は、実は70年代の中ピ連や魔女コンサートといったウーマンリブ運動と関係していて、女性の社会進出を後押しする文脈を持たせるために意図的に好戦的な女性として描かれています。こうしたアーティストは、空山さんの言葉を借りるなら「周回遅れのトップランナー」で、今ようやくその事にみんなが気付き始めたのかもしれません。
NANZUKAは、既存のファインアートの枠を壊して拡大させるという仮想ミッションがあるからこそ、アーティストとは戦友のような特殊な関係になっているのかもしれないです。
ーおわりー
左から:南塚真史、宮津大輔
NANZUKA
渋谷にある現代アートのギャラリーNANZUKAは、田名網敬一や空山基など才能は認められていても、芸術としてみなされる機会がなかった作家の作品を、アートの文脈にのせ、世界に勝負を仕掛けている。
NANZUKA代表は南塚真史氏であり、2005年、コンテンポラリーアートギャラリーNANZUKA UNDERGROUND設立している。
南塚氏へのQ&A
Q1:いま注目している音楽アーティストを教えてください
超有名DJですが、Nina Kraviz(ニーナ・クラヴィッツ)。実は宇川さんのアートディレクションで彼女が主催するレーベルのアルバムジャケットを田名網先生が制作するのですが、そのアルバムは、彼女が発掘してきたソ連時代の前衛音楽なんです。おそらく当時のソ連では発表すら難しかったであろうアンビエントでトリッピーなサウンドで、ニーナはそれを「サイケデリック」だと言っています(笑)。
Q2:アート以外の趣味はありますか?
釣りです。休みの日があれば、船に乗って沖に出ています。釣果がないと家族に怒られますが……(笑)。
Q3:コンテンポラリーアートをこれから購入する方へのアドバイス
とにかく「好きで買う」スタンスでいいのではないでしょうか。儲かるかどうかならば、売った瞬間にお金以外何も残りません。それならアートでなくていいと思うんです。好きだと思い、思い切って100万円で買った作品ならば、すごく大事にしますよね。
ただし作品にこびるようになってしまった時は、手放した方がいいかもしれません。たとえば100万円で手に入れた作品が、1000万円の価値になった。その途端、家のセキュリティを気にしはじめたり、日にあたって退色してしまうかもしれない、と模様替えをしたり。そうやって、作品にこびるようになってしまったら、もう楽しめませんから。
Exhibition
キャサリン・バーンハート "Big In Japan!"
2019年3月16日(土)から4月13日(土)にかけて、NANZUKAはアメリカ人女性アーティスト、Katherine Bernhardt (キャサリン・バーンハート)の日本初となる個展を開催します。Bernhardtは、1975年セントルイスに生まれ、NYのSchoo of Visual Art のMFAを修了後、現在はNYにベースを構えているペインター。 その作品は、Hirshhorn Museum(ワシントンD.C.)、Rubell Family Collection(マイアミ)などに収蔵されており、近年では、Modern Art Museum(フォートワース)、Contemporary Art Museum(セントルイス)等の美術館で作品を発表しているほか、 2017年にはチューリッヒにて開催されたManifesta 11: The European Biennial of Contemporary Artにも参加しています。
営業時間:11:00-19:00(日・月・祝祭日定休)
会場:NANZUKA
オープニングレセプション:2019年3月16日(土) 18:00 - 20:00
シンクロニシティ ‐宮津大輔コレクション×笠間日動美術館 響き合う近・現代美術‐
インタビュアーを務めていただいた、宮津大輔氏の個展が笠間日動美術館で開催されます。今回の個展は、近・現代美術の作品間に時代や国・地域を超えて見出せる共通点を切り口とし、両コレクションを組み合わせる新たな視点からの試みとなります。
会期:2019年3月23日(土)~ 5月19日(日)
開館時間:午前9時30分より午後5時
休館日:毎週月曜日(但し4月30日、5月6日は開館、5月7日は休館)
会場:笠間日動美術館 企画展示館
終わりに
「この状態がいつまでも続くとは思っていない」今回の取材で南塚さんが語った言葉で最も印象に残った一言だ。
世の中がきな臭くなってくると、アートも政治的なものやシリアスなものの方が主流になる。そうなると空山基のような作家の作品は受け入れられるのが難しくなる。そういった趣旨のご発言だった。なるほど、現代アートの「現代」たるゆえんだが、それにしても私はいつもNANZUKAのオープニングでの大盛況ぶりを目の当たりにしてきただけに、この南塚さんの冷静な分析には驚かされた。
もし仮にそんな状況になっても、NANZUKAは揺るがないだろう。ニューヨークのPetzel Galleryをはじめとする海外ギャラリーとの交流を通じて、所属作家を国外でプロモートすることにも怠りはない。着々と世界を相手にした戦略がとられているのだ。
常に逆張りというこの反権力のギャラリストは、同時に冷静沈着なビジネス・センスの持ち主でもある。今後もNANZUKAの活躍から目が離せない。