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飛行の歴史初日カバーコレクション

1978年~1979年に発行された「飛行の歴史」をテーマとした外国切手を初日カバーで集めたものです。子供の頃、外国切手は偽物が多いと聞き、あんまり手を出しませんでした。しかも中々情報も無く、どういう切手なのかも分からない。。。なんか興味が薄れてしまいました。このコレクションは日本語で切手の説明が付いている事とカバーが素敵だった事で集めてみました。初日カバーに興味を持つキッカケとなったのが、実は外国切手だったという。。。(^o^)今も大切にファイリングされております。 発売元はフランクリンミント社です。

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    オットー・リリエンタール(飛行の歴史初日カバーコレクション)

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    ライト兄弟(飛行の歴史初日カバーコレクション)

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    ツェッペリン飛行船「Z-1」-1900年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

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    アンソニー・フォッカー-1908年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

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    ウィルバーライト・フランスルマン飛行-1908年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

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    ライト兄弟-1909年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

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    ライト兄弟「南フランスポーでの飛行」-1909年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

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    ハンス・グレード/ルイ・ブレリオ-1909年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

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    ヘンリー・ファルマン-1909年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

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    ルイ・ブレリオ② -1909年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

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    A.V.ロウ-1909年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

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    オーレル・ヴライク -1910年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

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    チャールス・A・リンドバーグ-1927年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

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    フライング・ドクター・サービス-1927年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

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    ブレメン号-1928年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

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    ウィリー・ポスト-1931年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)(飛行の歴史初日カバーコレクション)

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    北極横断飛行 -1937年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

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    アタランタ/ヴィッカース・ヴィミー -1931年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

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    飛行艇「ショート・ハイザ」-1952年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

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    オットー・リリエンタール(飛行の歴史初日カバーコレクション)

     このファースト・デー・カバーの記念切手は、19世紀末の10年間に航空界において先駆者的業績を果たしたドイツの技術者オットー・リリエンタールをたたえるものです。リリエンタールの業績は、ライト兄弟などによる航空力学のその後の発展の基礎を築いたものでした。アフリカ西部の共和国オート・ボルタが発行したこの切手には、彼が1891年に制作し飛行に成功した最初の固定翼グライダーに乗ったリリエンタールの姿が描かれています。カバーのオリジナル彫刻画には、航空学の規範的文献に数えられる著作『飛行の基礎としての鳥の飛翔』を執筆しているリリエンタールの姿が見られます。1889年出版されたこの本は、鳥のつばさの構造と鳥の飛行の空気力学を人間が空を飛ぶことに応用しようとする詳細な研究でした。

     1891年から1896年にかけて、リリエンタールは2,000回以上の飛行に成功しました。彼のグライダーは、操縦者が自分の腕で機体上に体を支えながら下りの斜面を駆け下り離陸し、両足はそのまま下方にさげているという形のものでした。そして、体を動かして重心の位置を移動させることにより方向転換を行いました。リリエンタールは、90メートルから230メートルほどの高度での飛行を行い、非常に高度の操縦に成功しました。彼はその後動力を用いたグライダーの実験もしましたが、これは彼が致命傷を負った1896年8月の墜落事故で悲劇的な中止を見ることになりました。

    #切手
    #初日カバー
    #FDC

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    • 登録日:2019/8/10

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    ライト兄弟(飛行の歴史初日カバーコレクション)

     ライト兄弟はオハイオのディトンで自転車店を経営していましたが、このファースト・デー・カバーにはこの店がテーマとしてとり上げらえています。ウィルバーとオーヴィル兄弟の肖像が描かれた切手は、アンティーグァにより発行されたました。この国の西インド諸島の美しい島国で、リゾート地としてもてはされているところです。

     1895年、ライト兄弟は自転車の販売及び修理を始めましたが、間もなくこの仕事は大へん繁盛し、自分たちのブランド名をもった自転車の製造までも手がけるようになりました。また更に格安のライト・スペシャルという自転車を売り出し、成功をおさめました。そして後に飛行の研究に没頭するべくこの事業から手を引く頃には、大量の自転車の売り上げによりあまりある資金を手にすることが出来たのでした。

     兄弟は、このこじんまりとした自分たちの店の中で、最初のグライダーの制作に取り組みました。もっとも効果的な翼のデザインの追求のために、小さな風胴を設置しました。それは今日新しい飛行機の性能テストに使用するものとほぼ同じように進んだものでした。この店は、人類による大空制服の幕開けである1903年の歴史的飛行をなしとげたライト兄弟をたたえて保存されています。

    ※1978年の当初の説明です

    #切手
    #初日カバー
    #FDC

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    • 登録日:2019/6/29

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    ツェッペリン飛行船「Z-1」-1900年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

     西インドの諸島の島国グレネーダが発行したこのファースト・デー・カバーの切手は、世界最初のツェッペリン飛行船「Z-1」号の処女飛行を記念するものです。カバーのオリジナル彫刻画には。フリードリクスハーフェン(ドイツ)のコンスタンス湖に浮ぶハンガーから出発する「Z-1」号が描かれています。

     フェルディナンド・フォン・ツェッペリン伯爵の設計・制作によるこの巨大な飛行船は3回の飛行に成功し、毎時約28.7キロの速度を出しました。この「Z-1」号は。一連の改良型ツェッペリン飛行船の開発につながり、たとえば「Z-2」号は、85馬力という「Z-1」号のそれの5倍以上の出力をもつエンジンを2基搭載していました。そして、「ドイッチラント」と名付けられた「Z-7」号には上等の乗客用設備が設けられて。フリードリクスハーフェン、ステュットガルト、マンハイム、ケルン、デュッセルドルフ間の定期運行を開始しました。これにはすぐに他のツェッペリン飛行船が新造されて加わり。1914年までに合計1,508回の定期運行が行われました。第1次世界大戦の勃発により運行が中断するまで、総計約172,560キロを34,288人の乗客が飛んだのです。この立派な業績は、空の旅への世界的関心をひきおこすことになりました。

     コロンブスが1498年に発見したグレネーダは、かつて重要な砂糖の産地でした。しかし、島の砂糖産業は1780年に倒壊し、ナツメグが砂糖にとってかわりました。この貴重な香辛料は、現在もグレネーダの小ような輸出産品のひとつです。

    #切手
    #初日カバー
    #FDC

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    • 登録日:2019/8/10

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    アンソニー・フォッカー-1908年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

     このファースト・デー・カバーに貼付されているオート・ボルタ共和国発行の切手は、航空史における偉大な洗駆者のひとりアンソニー・フォッカーを記念するものです。切手には、フォッカーの肖像と、数多くの支柱やワイヤのゆえに「スパイダー」号と呼ばれた彼の最初の飛行機が描かれています。カバーのオリジナル彫刻画には、この小型飛行機の飛行準備をしているフォッカーと助手の姿が描かれています。カバーには、オート・ボルタで発行初日消印が押されました。

     ジャワに生まれ、オランダで教育を受けたフォッカーは。第1次世界大戦中にドイツのために制作した戦闘機で知られています。彼は、ライト兄弟がフランスを訪れた1908年以来飛行に関心をもつようになり、間もなく自分の飛行機を作りあげました。彼が戦闘機の技術面において果たした最大の功績のひとつは、プロペラ後方機関銃からプロペラを撃つことなく弾を発射できるようにしたシンクロナイザー(同調機)でした。この装置を取り付けたドイツの戦闘機は、第1次世界大戦初期に連合国側の飛行機をほとんど壊滅させてしまったのです。フォッカーはまたドイツのエース、マンフレット、フォン、リヒトオーフェンが操縦した有名な三葉機と、第1次世界大戦の最も優れた戦闘機と言われた「D-Ⅶ型」機を導入しました。

     フォッカーは、戦争後も航空界の進歩に数々の重要な貢献をしました。1920年代に導入された三基の原動機をもつ頑丈で信頼性の高い彼の飛行機は、世界中で広く利用されました。

    #切手
    #初日カバー
    #FDC

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    • 登録日:2019/8/12

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    ウィルバーライト・フランスルマン飛行-1908年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

     このファースト・デー・カバーには、地中海のギリシア近くに浮かぶ島国キプロスにより発行された切手が添付されています。同国で発行消印が押されたそれらの切手の図案はライト兄弟と彼らの歴史的飛行機「ライト・フライター」号です。

     オリジナル彫刻画には、ウエルバー・ライトと初の女性飛行家ハート・バーグが1908年10月7日フランスのルマンの東約11キロの軍事基地キャンプ・ドーバーからまさに飛立たんとしている所が描かれています。

     ウィルバーは、フランにおけるデモンストレーション飛行のため」に同年5月に来仏し、「ライト・フラオヤー・A型」複葉機の組み立てにかかりました。当時ヨーロッパでも飛行に成功した人々がいましたが、空中において機を思いのままに操縦するまでにはいたっていなかったため、ライト兄弟の業績は信じがたいものだったのです。

     ウィルバーによる当地での飛行準備には数ヵ月を要しましたが、ついに8月8日、ユノディエルの小さなレース場で数人の見物人が見守るなかを、空中での飛行機の完ぺきなコントロールを披ろうしました。更に、キャンプ・ドーバーにおいても100回を超す飛行を行ない、その操縦の確実さを披ろうしたのでした。フランス人たちは、このA型機のすぐれた性能に舌をまき、ウィルバーは彼の飛行機の製造契約をとりつけることに成功したでした。

    #切手
    #初日カバー
    #FDC

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    • 登録日:2019/10/23

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    ライト兄弟-1909年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

     今回のファースト・デー・カバーのデザインは飛行史上重要な出来事のひとつがテーマとなっています。即ち人間を乗せる初の動力飛行機の共同開発者ウィルバー・ライトとオーヴィル・ライトの兄弟が揃って飛行しているところです。彼らが揃って飛んだのはこの時だけで、その歴史的飛行は1909年5月25日にオハイオ州デイトンで行われました。

     カシェ封筒ににみられるのは、ヨーロッパで飛行のデモンストレーションを行い、大成功を収めアメリカへ戻ってきたばかりの兄弟が、ライト・フライヤー複葉機で飛んでいるところです。切手はライト機の平面、独面、および正面を図案化して描いたもので、シンガポール共和国で発行され初日消印が押されています。

     ライト兄弟は1903年12月17日にノース・カロライナ州キティ・ホーク近くのキルデヴィル・ヒルで人類初の動力付き有人飛行に成功したのです。コインを投げて決めた先行者は、オーヴィルでしたが、ほんの12秒間滞空して飛行距離はわずか40メートルでした。最初の飛行に成功した名誉はオーヴィルでしたが、ウィルバーはほとんど1分近くの滞空で約250メートルを飛ぶことに成功しました。しかしこの歴史的な偉業もはじめはほとんど一般の関心をひかず、飛行の時代の幕開けとなったこの飛行を見守っていたのは、兄弟以外には5人だけでした。

    #切手
    #初日カバー
    #FDC

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    • 登録日:2019/8/11

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    ライト兄弟「南フランスポーでの飛行」-1909年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

     有名なライト・フライヤー1号機の姿が、これらのグラナダ発行の切手に描かれています。グレナダはコロンブスの第3回目の新大陸への航海で1498年に発見された、絵のように美しい島です。

     1903年のキティホークで行われた初飛行成功の後、兄弟はオハイオ州デイトンの自宅付近の野原で更にライト・フライヤー号の実験を続けました。そして合衆国政府へ彼らの飛行機の買い上げを申請しましたが、一笑に付され、1908年軍用機として最初の契約が結ばれるまでには5年間も待たねばなりませんでした。

     この同じ1908年にウィルバー・ライトはフランスへ向かいました。そこでも初めは新聞の冷やかしの種にされるばかりでしたが、ル・マンで多くの観衆を前に数回のスリルに満ちた飛行を行い、ヨーロッパとアメリカの第1面の見出しを飾ることになりました。その夏ライト・フライヤー号はフランスの有名な航空技術者で気球飛行家のエルネスト・ザンスを最初の客として迎えました。

     1909年の初めには南フランスのポーで、弟のオーヴィルも加わって飛行が行われ、多くの政治家、王族、科学者、それに報道陣がヨーロッパ各地から詰めかけました。カバーの彫刻画に描かれているのは、これらの著名な観客たちの何人かが、この飛行機と勇気のあるパイロットによって行われる離れ業を見るべく、馬車から降りる場面です。

    #切手
    #初日カバー
    #FDC

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    • 登録日:2019/9/18

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    ハンス・グレード/ルイ・ブレリオ-1909年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

     1909年11月、ハンス・グレードは自家製の小型単葉機で処女飛行に成功した初のドイツ人となりました。今回のファースト・デー・カバーに貼付されている切手はドイツ連邦共和国が発行したものですが、その1枚にグレードの飛行中のグレードの単葉機が描かれ、その歴史的な出来事が称えられています。カバーのオリジナル彫刻画には、頭上を飛ぶ飛行機に驚いて見上げる人々が描かれています。

     他の1枚の切手も飛行史に輝くもう一つの快挙「初のイギリス海峡横断飛行」を称えています。1909年にこの歴史的な横断飛行を行った勇敢なフランス人ルイ・ブレリオが操縦する小さな飛行機が描かれています。ブレリオが約376キロこの飛行を達成しえたのは幸運といわんかえればなりません。離陸後まもなくエンジンがオーバーヒートし、」パワーが出なくなってしまったのです。もし突然雨が降ってきてエンジンを冷やしてくれなかったなら、ブレリオは海峡の途中で飛行をあきらめざるをえなかったに違いありません。

     一方、信頼性の高い20馬力のエンジンをそなえたグレードの飛行機は、はるかに効率的でした。約350メートルもの高度を飛んだだけではなく、操縦性もすぐれており、8の字型の飛行を行ってグレードは1万ドルの賞金を手にしました。この飛行機は、操縦席を機体の下にロープで垂っただけの見すぼらしいものではありましたが、滞空54分の記録によりその信頼性を証明しました。

    #切手
    #初日カバー
    #FDC

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    • 登録日:2019/8/10

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    ヘンリー・ファルマン-1909年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

     数年先輩にあたるライト兄弟と同じように、ファルマン兄弟も最初は自転車制作・修理業を営んでいました。フランスの飛行開拓期に活躍した2人の兄弟の兄ヘンリー・ファルマンがモンゴルの切手に称えられています。切手には彼の肖像とその有名なタイプⅢ複葉機が見られます。

     ヘンリーと弟のモーリスが1907年に最初に飛行機を開発した時、ヘンリーは自転車競技のチャンピオンとしてヨーロッパ中にその名を知られていました。その飛行機を使ってヘンリーは11月にテスト飛行を成功し、1908年1月にはヨーロッパ初の公式1キロメーロル円形飛行をなしとげました。彼は高度、距離、耐久性、速度と次々に記録を達成し、その業績により、1909年にレジオンドヌール勲章受賞者となりました。同年、兄弟はファルマン飛行機製作所を成立しましたが、これは後にヨーロッパで最も成功した飛行機メーカーのひとつとなりました。

     カバーのオリジナル彫刻画に描かれている状況も、同じく1909年の出来事に関係しています。その年のラムム飛行競技会で、ヘンリーは約10キロのコースのまわりを2人の乗客を乗せて180キロの無着陸飛行の記録を樹立し、長距離賞を受賞したのです。これにより、飛行機は1人で楽しむスポーツ用の乗物だけではないことが証明されたのです。ヘンリー・ファルマンⅡは飛行史を飾る名飛行機の一つに数えられるようになり、またファルマン兄弟は他にも多くの飛行機を開発しました。

    #切手
    #初日カバー
    #FDC

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    • 登録日:2019/8/10

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    ルイ・ブレリオ② -1909年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

     カバーに添付されているアフリカにローデシア発行の切手には、ライト・フライヤー号とブレリオⅩⅠ単葉機が描かれています。カバーのオリジナル彫刻画に描かれているのはイギリス海峡横断飛行に初めて成功したルイ・ブレリオで、バックではドーヴァーの崖へ近づく彼の愛機がみられます。カバーの発行初日消印もローデシアで押されたものです。
     このフランスの飛行家が海峡横断飛行を完了したのは1909年6月25日のことでしたが、飛行機の完成のために過去9年間を費やしたブレリオは、フランス航空界の開拓者中でも傑出した存在となっていました。1908年にはヨーロッパで最初のクロス・カントリー飛行を、トゥーリーからアルテネーまでの32キロの間で行っています。

     海峡横断飛行の2日前、彼はガソリンの爆発で右足を負傷してしまいました。しかし、杖を頼りにびっこをひいて愛機に乗り込まなければならなない状態にもひるもことなく横断を敢行したのです。短いテスト飛行の後、午前4時41分にカレー近くの村から離陸し、数分後にはイギリス海峡のドーヴァーの白い崖が見えてきました。午前5時18分、ドーヴァー城付近の草原に着陸しましたが、凸凹の多い地面であったため、プロペラと着陸装置を破損してしまいました。この横断はわずか数分間たらずのものでしたが、それはイギリスにとって海によりヨーロッパ大陸から孤立していた状態に終止符を打つこととなったのです。

    #切手
    #初日カバー
    #FDC

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    • 登録日:2019/9/5

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    A.V.ロウ-1909年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

     このファースト・デー・カバーには、アジア最小の独立国、マルディブ共和国発行の切手が貼付されています。うち2枚はイギリスの偉大な動力飛行の先駆者A.V.ロウをたたえ、残りの1枚はハドレーの手製三葉機を描いています。航空史におけるロウの活躍は1907年3月にロンドンで行われた実際に飛ぶことができる模型飛行機のショーでまず始まりました。ゴムのベルトを動力とした彼の複葉機が一等賞も75ポンドを獲得し、彼はこれを資金とし本物の飛行機を初めて作ったのです。これも複葉機でしたが、ほんおわずかしか空中に浮かびませんでした。

     ロウは、この結果にくじけることなく、協力者とともに1909年に三葉機を完成させました。しかし、協力者のあいだがうまくいかなくなり、この飛行機は部品が競売に付されてわずかの金額で売却されました。ロウは、その同じ年、もう1機の三葉機を制作しました。翼幅6メートルほどの小型機には9馬力のエンジンが搭載されていて、翼とフレームには紙がはってありました。カバーのオリジナル彫刻画には、翼に紙をはりつけているロウの姿が描かれています。この飛行機は7月13日に約30メートル飛ぶことに成功し、ロウはすべてのイギリス製の飛行機を操縦して飛ばせた初のイギリス人パイロットとなったのです。1913年には「アヴロ504型」複葉機の開発が成功しました。史上最も有名かつ広範に使用された飛行機のひとつであるこの複葉機は、第1次世界大戦中イギリス空軍の標準飛行訓練機となりました。

    #切手
    #初日カバー
    #FDC

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    • 登録日:2019/8/10

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    オーレル・ヴライク -1910年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

     今回のファースト・デー・カバーに貼付されている切手は、ルーマニア社会主義共和国により発行されたものです。この国の北部および中央部を弧状によぎる山岳地域には、美しい景観に恵まれたハイキングコースやスキー場などの整備された観光地があり、東欧でもっとも人気のある行楽地となっています。特に農村の祭りと民謡は興味深いもので、その起源はかつてこの国を流浪していた無数のジプシーにさかのぼることができます。また、ルーマニア人は、彼らの祖先と言語が初期のローマ帝国に起源を発する東欧唯一の民族です。

     切手に肖像に描かれているオーレル・ヴライクはルーマニアの技師、発明家、飛行士であるばかりでなく、航行学上の優れた開拓者でもありました。ドイツは彼の飛行機制作に施設の提供を申し出ましたが、ヴライクは1908年に祖国へ帰る決意を固めたのでした。そして切手とカバーの彫刻画に描かれているヴライク1号機は1910年6月17日にブガレストでその最初の飛行に成功し、4~5メートルの高度に達しました。1912年には、国際飛行大会で当時のすぐれた飛行士たちと覇を競い見事優勝しました。

    #切手
    #初日カバー
    #FDC

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    • 登録日:2019/8/29

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    チャールス・A・リンドバーグ-1927年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

     1927年5月21日午後10時過ぎ、チャールス・A・リンドバーグは、その銀色の小型単機「セントルイスの魂」号をパリ近郊のル・ブールジェ空港に着陸させました。空港では何千というフランスの人々が、史上初の大西洋横断の単独飛行に成功したこの勇敢な若い飛行士を盛大に歓迎しました。

     このカバーに貼付の切手は、西インド諸島の島国グレネーダがリンドバーグを記念して発行したものです。カバーのオリジナル彫刻画には、1927年6月13日にニューヨーク・シティーに戻った彼を待っていた熱狂的な歓迎の模様を伝えています。街頭には何万もの人々が出て、この新しい国民的英雄に歓呼の声を送りました。

     ウィスコンシン大学を1922年に中退して飛行学校をに入ったリンドバーグは、シカゴ=セント・ルイス間の郵便物空輪パイロットであったときから大西洋横断単独飛行の夢を抱きはじめました。そして、その後の数年間に「セント・ルイスの魂」号制作のための資金援助を得て1927年5月20日、ロング・アイランドのルーズヴェルト・フィールドから、1,700リットルほどのガソリンを積んだその小さな飛行機に乗って、大西洋横断の飛行へと東の空へ向けて飛び立ったのです。そして、その33時間後、彼はル・ブルジェ空港で彼の到着を待つ群衆の眼前に、歴史的な着陸をしたのでした。彼のこの先駆者的飛行は、アメリカ-ヨーロッパ間の海を越える定期旅客輸送への道を築くことに大いに貢献しました。

    #切手
    #初日カバー
    #FDC

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    • 登録日:2019/8/10

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    フライング・ドクター・サービス-1927年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

     このオーストラリアの切手は、飛行機を利用した医療機関ロイアル・フライング・ドクター・サービス創立50周年を記念しています。1928年以前オーストラリアの未開の奥地には医師や看護婦が不在で、重病人は馬車や自動車で長く苦しい道のりを経て治療を受けに出かけなければなりませんでした。ヴィクトリア金鉱地に生まれ育ったジョン・フリン医師は、早くも1912年に飛行機による医療活動の可能性を考慮していました。

     1922年にエアリアル・メディカル・サービス・ファンド(飛行医療活動基金)が成立され、電力をもたない地域からの連絡方法が検討された結果。足踏み式の発電機を使って発信する方法がとられることになりました。1927年、クイーンズランド・アンド・ノーザン・テリトリー・エアリアル・サービス(カンタス航空)がイサ山に医師を派遣して骨盤の折れた患者を連れてくることに成功しました。これがきっかけとなり、ただちに飛行機利用の医療機関の発足が提案されました。翌年、外科医のK・セント・ヴィンセント・ウェルチが任命されると、カンタス航空はD.H.50複葉機を提供しました。ファースト・デー・カバーのオリジナル彫刻画に描かれているのがその複葉機です。活動を開始した初年度にウェルチ医師は250人の患者を診察し、飛行距離20.000マイル(1マイルは1.6093キロメートル)を記録しました。現在、フライング・ドクター・サービスの医師は年間1万回以上の診察を行い、千人以上の患者が12の医療基に運ばれています。

    ※1978年当初の説明です

    #切手
    #初日カバー
    #FDC

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    • 登録日:2019/8/10

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    ブレメン号-1928年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

     このファースト・デー・カバーに貼付されている2枚の切手は、初の東から西への太平洋横断飛行を記念してアイルランド共和国が発行したものです。このルートの飛行はすでに8回試みられて7名の命が失われましたが、ついにコンカースW-33低翼単葉機ブレメン号が1928年アイルランドの首都ダブリンからカナダのラブラドール半島冲のグリーンリー島までの飛行に成功したのでした。

     失敗に終わった飛行のうちの1回は、同ブレメン号が1927年に行ったものでした。同機は他のコンカー単葉機とともにアメリカに向けてドイツを飛び立ちましたが、悪天候の為引き返さざるをえませんでした。2回目の飛行では、機長ヘルマン・コエル、副操縦士ジェームズ・フィッツモーリスおよびスポンサーのグェンテール・フォン・ヒュエネフェゥト男爵を乗せたブレメン号はダブリンのボルドネル飛行場から出発しました。海面からわずか30メートルのところを霧に閉ざされて飛んでいた時、コンパスに故障をきたしてしまいました。しかし、4時間の盲目飛行の後、ついにラブラドールの岸が見えてきたので、一気に嵐の中に突進して着陸することにしました。起伏の激しい凍った地面に強制着陸したため機体は損傷をきたし。飛行の続行は不可能となってしまいました。乗り組み員たちは救援機でニューヨークまで行き、ブレメン号は犬ぞり隊でカナダ本土まで運ばれました。切手とカバーに描かれているオリジナル彫刻画は。飛行中のこの歴史的な飛行機の雄姿です。

    #切手
    #初日カバー
    #FDC

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    • 登録日:2019/8/10

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    ウィリー・ポスト-1931年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)(飛行の歴史初日カバーコレクション)

     このファースト・デー・カバーには、1931年7月に世界一周飛行のスピード記録をうちたてたアメリカのパイロット、ウイリー・ポストを記念してアフリカのオート・ボルタ共和国が発行した切手が貼付されています。ポストは、旅回りの曲乗り飛行団で翼の上を歩く役として飛行界に入りました。しばらくして、ロッキード・ヴェガという飛行機を買いいれたオクラホマの石油商人F.C.ホールが、彼を操縦士として雇い入れました。この飛行機は「ウィニー・メー」号と名付けられました。それからすぐ、ホールはもう1機のロッキード・ヴェガを購入し、これも「ウィニー・メー」号と名付けて、グラフ・ツッペリンのもつ世界一周飛行記録を破る試みのためポストに借し与えました。

     6月23日、ニューヨークのルーズベルト・フィールドから、ポストはナビゲーターのハルロド・ガッティとともに出発しました。この飛行は平穏無事におこなわれたわけではありませんでした。「ウィニー・メー」号は、シベリアでの燃料補給中空港のぬかるみにはまりこみ、アラスカの浜辺での離陸中には転覆してプロペラが曲がってしまいました。しかし、2人は、8日と15時間51分の世界記録をたててルーズヴェルト・フィールドに戻ってきました。ポストは、さらに1933年7月、今度は単独で飛行して、自分の記録を破る7日と18時間49分の2度目の新記録を達成しました。

     切手には、ウィリー・ポストが「ウィニー・メー」号をバックにして描かれています。カバーのオリジナル彫刻は、新記録樹立単独飛行から帰ったポストがその単葉機から出て歓迎の人々に手をふっている姿が描かれています。

    #切手
    #初日カバー
    #FDC

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    • 登録日:2019/8/10

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    北極横断飛行 -1937年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

     このファースト・デー・カバーに貼付されている切手は、アジア東部の山国モンゴル人民共和国が発行したもので、初めて北極を横断してアメリカまで無着陸で飛んだソビエトの飛行家V.クカリフ、G,バイドウコフ、A.ベリアコフを称えています。オリジナル彫刻画には、彼らが1937年6月にカナダのバンクーバー経由でモスクワからワシントンに飛んだ単発式単葉機ANT-25が描かれています。

     彼らは1932年にすべてこの飛行を計画していましたが。ANT-25の徹底的なテストを完了するのに5年の歳月を費やしました。この間に国内でのテストを行い、モスクワから約9,280キロの飛行に成功しました。その結果、スターリンにより危険をともなう北極横断アメリカ飛行が許可されたのでした。

     指揮官と操縦士をかねたクロカフ、副操縦士のバイドウコフ、航路案内人のベリアコフを乗せたANT-25は6月18日モスクワを飛びたちました。北に進むにつれ、機体に氷の被膜がつくという最悪事態が始まったため、飛行中何度も高度を変更しなければなりませんでした。そして6月19日午前4時、北極を通過、63時間強にわたる約8,480キロの飛行のすえ翌日にバンクーバーに無地着陸したのでした。

    #切手
    #初日カバー
    #FDC

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    • 登録日:2019/8/21

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    アタランタ/ヴィッカース・ヴィミー -1931年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

     今回の初日カバーの切手は南アフリカの国ローデシアにより発行されたもので、航空機の発達に貢献した2種いイギリスの飛行機が描かれています。切手の1枚には、大西洋無着陸横断に初めて成功したヴィッカース・ヴィミーが、他の1枚にはインペリアル・エアウェイズの運行に最初に採用されたA.W.15アタランタが描かれています。カバーのオリジナル彫刻画にもシンガポール上空を飛ぶアタランタの姿がみられ、発行初日の消印もローデシアで押されたものです。

     1931年から1932年にかけてアームストロング・ホイットワース社が制作したアタランタは、インペリアル・エアウェイズのナイロビ=ケープタウン路線とカラチ=シンガポール路線で運航された4発の旅客機です。この飛行機は貨物輸送機として設計されていたため、乗客はわずか9名しか収容できず、340馬力エンジン4機を装備した機体は鋼鉄を合板で覆った構造でした。

     ヴィッカース・ヴィミーは第1次世界大戦中も爆撃機として設計されましたが、配備が遅かったため戦闘には参加しませんでした。しかし終戦後、歴史的な大陸横断飛行を行っただけでなく、訓練機や郵便輸送機としても目ざましい活躍をしたのでした。この飛行機に改良を加えて乗客と荷物の輸送用にしたものは、ヴィミーコマーシャル(商業用ヴィミー)として知られています。、

    #切手
    #初日カバー
    #FDC

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    • 登録日:2019/9/26

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    飛行艇「ショート・ハイザ」-1952年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)

     1952年4月12日、飛行艇「ショート・ハイザ」はイギリスのサザンプトンからフォークランド諸島のスタンリーまでの初めての直行飛行をなし遂げました。南アフリカ南端の東方に位置するイギリスの直轄植民地フォークランド諸島が発行した切手は、この歴史的な飛行を記念しています。33ペンスの切手には「ショート・ハイザ」の飛行ルート、11ペンスの切手にはスタンリーの港に保留されている飛行艇に貨物や乗客を岸まで運ぶためのボートが接近していく場面がそれぞれ描かれています。カバーのオリジナル彫刻画にはスタンリーの上空をゆく飛行艇が描かれています。

     飛行艇「ショート・ハイザ」は、第2次世界大戦中イギリス空軍の哨戒用として大活躍した「ショート・サンダー・ランド」を改造したものです。大戦中、700機以上製造された「ショート・サンダー・ランド」は、敵機にそなえて機関銃が装備され、900キロ以上の爆弾を搭載することができました。

     装備を取り除き、乗客収容設備を加えてつくられた「ショート・ハイザ」が商業飛行についたのは1946年のことでした。1,030馬力のプロストル・ペガサスXVⅢエンジンを5基備えたこの飛行機は、時速285キロで24人の乗客を運ぶことができます。フォークランド諸島にはかつて飛行艇しか近づくことができませんでしたが、1972年には仮設滑走路が建設され、陸上飛行機が週一度飛来しています。

    #切手
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    #FDC

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