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江戸開府400年シリーズ 切手コレクション

平成15(2003)年は、江戸開府400年に当たる。また、その時代が幕を閉じるきっかけとなったペリー来航から150周年を迎える。我が国の中世から近代に至る約300年間の「江戸時代」をテーマとするシリーズ切手が発行されました・・・初日カバーとマキシマムカード集です。

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    第1集 武家の美「江戸図屏風(初日カバー)」 江戸開府400年シリーズ切手コレクション

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    第1集 武家の美「江戸図屏風(マキシマムカード)」 江戸開府400年シリーズ切手コレクション

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    第1集 武家の美「江戸城障壁画下絵(初日カバー)」 江戸開府400年シリーズ切手コレクション

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    第1集 武家の美「江戸城障壁画下絵(マキシマムカード)」 江戸開府400年シリーズ切手コレクション

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    第1集 武家の美「江戸図屏風(初日カバー)」 江戸開府400年シリーズ切手コレクション

    発行 2003.5.23
    図案 江戸図屏風(国立歴史博物館所蔵)
       六曲一双(縦162.5 横356センチ)

     明暦3(1657)年の大火(いわゆる振袖火事)以前の江戸の様子をつぶさに描き出した屏風である。金地に金雲を配し、ほぼ中央に大きく天守・本丸御殿を配し、尾張・紀伊・水戸の徳川御三家をはじめ諸大名や家臣の豪華な屋敷、浅草寺・上野寛水寺・東照大権宮・神田神社・芝増上寺などの社寺、活気にあふれた町屋の様子などが丹念に描かれている。

     本屏風の中心に描かれた江戸城は、天正18(1590)年に徳川家康の居城となって以来、慶長11(1606)年9月に本丸御殿・天守が造営され。その後元和8(1622)年に本丸御殿は規模が拡大され大広間・白書院・黒書院・御座之間などを備えた構成となり、翌年には天守閣がほぼ現代の天守台の位置に移され、寛永元(1624)年には西の丸御殿、同13(1936)年には、二の丸御殿が完成、さらな同15(1638)年に天守閣が大修造されるなど、家康・秀忠・家光の三代にわたって数度にわたる増改築がおこなわれてきた。本屏風の天守は寛永15年に完成した天守で、黒漆仕上げの外観は五層、内部は六階(石垣内の穴蔵が一階、石垣上が五階)基壇から上端までの高さがおよそ60メートルに及んでいた。天守下には壮麗な本丸御殿が建ち並び、周囲に二の丸・三の丸・西の丸を配した覇府としての様相を呈していた。

     城内には三代将軍家光と比定できる人物が随所に描かれており、家光の盛時を示す一代記とも言える構成がとられている。

     本屏風に描かれた江戸城や町並みの大半は明暦の大火によって失われ、防災を意識した都市造りが始められるが。江戸城を象徴する天守は再建されなかった。

    #切手
    #初日カバー
    #FDC
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    第1集 武家の美「江戸図屏風(マキシマムカード)」 江戸開府400年シリーズ切手コレクション

    発行 2003.5.23

    徳川将軍家の居城としての江戸城

     室町時代に太田道灌もよって武蔵国江戸に描かれた江戸城は、小田原陣後の天正18(1590)年に徳川家康の居城となり、慶長8(1603)年に江戸幕府が開かれるにおよんで大規模な修築がおこなわれ、寛永年間には大城郭としての総構が整えられた。
     江戸城は、武家地・社寺地・町地からなる外郭と、狭義の意味で城内に当たる内郭に大別される。内郭は、さまざまな儀式や将軍との謁見などに使用される大広間・書院と諸大名・諸役人が執務をおこなう座敷などから構成される政庁としての"表向"、将軍が日常生活し政務を行う"中奥"、将軍の夫人たちや奥女中たちの生活の場であった"大奥"に区別されていた本丸御殿、大御所となった前将軍や将軍の世子が住んだ西の丸。このほか二の丸・三の丸や東照宮を始め歴代将軍の霊廟が設けられていた紅葉山、広大な吹上御庭(明暦の大火までは尾張・紀伊・水戸の御三家をはじめとする大名屋敷であった)などで構成されていた。
     明暦の大火によって天守が失われ以後再建されなかったが、本丸御殿をはじめとする殿舎は、幾度かの焼失と再建、修築を繰り返しながら幕末にいたるまで十五代にわたる徳川将軍家の居城としてその偉容を誇ってきた。

    #切手
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    第1集 武家の美「江戸城障壁画下絵(初日カバー)」 江戸開府400年シリーズ切手コレクション

    発行 2003.5.23

    江戸城障壁画下絵 本丸表大広間(東京国立博物館所蔵)

    狩野晴川院筆(縦45.5 全長697.5センチ) 
    江戸時代(17世紀)

     江戸城は、慶長8(1603)年に本丸御殿が造営されて以来、慶長11(1606)年・元和8年(1622)年、寛永14(1637)年・寛永17(1640)年・万治2(1659)年・弘北2(1845)年・万延元(1860)年の7回にわたり造営されている。その殿舎を彩っていた障壁画の画題や作者については、寛永年間以来の記録によってたどることはできるが、具体的な図柄については不明な点が多かった。

     しかし十数年前に綿密な調査がおこなわれ公開された「江戸城障壁画下絵」によって、江戸城内本丸・西の丸両御殿内の障壁画の様子がつぶさに伺い知れるようになった。

     この「江戸城障壁画下絵」は、天保9(1833)年に炎上した江戸城西の丸(将軍を引退した前将軍や次の将軍となるべき嗣子が住む御殿)の翌10年の造営と、銅15(1844)年に焼失した本丸の弘北2(1845)年の造営という、二度にわたる城障壁画制作に関して、発注者である将軍(西の丸は前将軍家斉、本丸は十二代将軍家慶)の意向を伺うために絵師が提出した"伺下絵"で、東京国立博物館にその大半の264巻が現存している。絵の制作は幕府の御抱絵師(奥絵師)であった狩野晴川院養信(1769~1846)が中心となっておこなわれた。

     掲出の絵は、将軍と諸大名の対面儀式をはじめとした江戸幕府における最大公式の場であった本丸御殿大広間に描かれていた障壁画の一部である。この大広間は本丸御殿の南端にあって、押板・二つの床・書院・帳台構を完備した上段間と、これに続く中段・下段の間を備えた四百畳を超す広さであった。

    #切手
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    第1集 武家の美「江戸城障壁画下絵(マキシマムカード)」 江戸開府400年シリーズ切手コレクション

    発行 2003.5.23

    「江戸城障壁画下絵」の資料的価値

     「江戸城障壁画下絵」から、従来文字資料によってしか知り得なかった江戸城内の障壁画の具体的な有様を、ヴィジュアルなかたちで認識できるようになった。これらは天保10(1839)年の本丸御殿造営、弘北2(1845)年の御殿造営にかかわる障壁画の小下絵ではあるが、古来からのしきたりにもとづき、万治2(1659)年の本丸御殿造営の際に狩野探幽(1602~74)たちが画いた絵様の先例が参照され、できうる限り再現されたと考えられ、当時の最高の格式と権力を示すにふさわしい江戸時代初期以来の障壁画が如何なる構成であったかを窺うことができる。

     また天保・弘北の西の丸・本丸御殿の絵画制作を務めた狩野晴川院養信の日記『公用日記』の記述によって、発注者の意向を伺うための"伺下絵"の制作、検閲により描き改めが生じれば再度提出、最終的な許可が下れば、小下絵をもとに大下絵を作成して彩色を施し障壁画を完成させるという制作の過程、さらに御用絵師の仕事や生活が明らかとなった。

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    • 登録日:2020/4/23

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