第1集 武家の美「江戸図屏風(初日カバー)」 江戸開府400年シリーズ切手コレクション

0

発行 2003.5.23
図案 江戸図屏風(国立歴史博物館所蔵)
   六曲一双(縦162.5 横356センチ)

 明暦3(1657)年の大火(いわゆる振袖火事)以前の江戸の様子をつぶさに描き出した屏風である。金地に金雲を配し、ほぼ中央に大きく天守・本丸御殿を配し、尾張・紀伊・水戸の徳川御三家をはじめ諸大名や家臣の豪華な屋敷、浅草寺・上野寛水寺・東照大権宮・神田神社・芝増上寺などの社寺、活気にあふれた町屋の様子などが丹念に描かれている。

 本屏風の中心に描かれた江戸城は、天正18(1590)年に徳川家康の居城となって以来、慶長11(1606)年9月に本丸御殿・天守が造営され。その後元和8(1622)年に本丸御殿は規模が拡大され大広間・白書院・黒書院・御座之間などを備えた構成となり、翌年には天守閣がほぼ現代の天守台の位置に移され、寛永元(1624)年には西の丸御殿、同13(1936)年には、二の丸御殿が完成、さらな同15(1638)年に天守閣が大修造されるなど、家康・秀忠・家光の三代にわたって数度にわたる増改築がおこなわれてきた。本屏風の天守は寛永15年に完成した天守で、黒漆仕上げの外観は五層、内部は六階(石垣内の穴蔵が一階、石垣上が五階)基壇から上端までの高さがおよそ60メートルに及んでいた。天守下には壮麗な本丸御殿が建ち並び、周囲に二の丸・三の丸・西の丸を配した覇府としての様相を呈していた。

 城内には三代将軍家光と比定できる人物が随所に描かれており、家光の盛時を示す一代記とも言える構成がとられている。

 本屏風に描かれた江戸城や町並みの大半は明暦の大火によって失われ、防災を意識した都市造りが始められるが。江戸城を象徴する天守は再建されなかった。

#切手
#初日カバー
#FDC
#江戸開府400年シリーズ

Default