名だたるアート・フェアで存在感を発揮する、Take Ninagawa。そのオーナーの蜷川敦子さんは、ギャラリー立ち上げの経緯を「社会的な問題意識や時代背景を共有できる作家と、アートのフレームの中で自分にできることをしたかった」と振り返る。
実際の蜷川さんは、同志ともいえる同世代の作家との横のラインだけでなく、歴史という「縦のライン」も意識し、ギャラリストとしての役割を模索する。
アートの歴史を読み解きながら、作品一つひとつの文脈をすくいとり、マーケットや社会の動きに反応しながら、作家一人ひとりのやり方に寄り添う。そんな蜷川さんに、現代アートコレクターの田口美和さんがお話を聞いた。
3つのバーゼル、2つのフリーズ。参加アーティストの選び方
田口美和さん(以下、田口):世界的に知られるアートフェアのArt Basel(アート・バーゼル)と、Frieze(フリーズ)、その両方に参加されていましたね。
蜷川敦子さん(以下、蜷川):フリーズはオーナーが変わってからは参加していないのですが、過去にはバーゼル3つ、フリーズ2つに出ていた時期もありました。
田口:もう……万能!(一同、笑)。出たいと言って出られるクラスのアートフェアではありませんよね。ギャラリストとして若手の頃から参加できたのは、どのような点が評価されたのだと思いますか?
蜷川:フェアによって評価されるポイントは違うと思います。スイスのアート・バーゼルには2013年に初めて出展しましたが、フィーチャーズという若手・中堅ギャラリストの枠でした。うちがオープンしたのは2008年ですが、すでにFiac(フィアック)やフリーズなど他のアートフェアには出展していて、そこでの見せ方や時代性が評価されたのかなと思います。
田口:見せ方という点では、たしかに他のギャラリーと比べて、Take Ninagawaにはギャラリーのカラーを感じます。作家さんを凌駕することなく、いい塩梅で。プレゼンテーションをよく考えていらっしゃるんですね。
蜷川:場所やタイミングごとに考えて企画します。たとえば2013年には、Frieze New York(フリーズ・ニューヨーク)とちょうど同じ時期にグッゲンハイム美術館で具体美術協会の回顧展をやることになっていたので、具体の創立メンバーである山崎つる子さんの個展を企画しました。アートフォーラムのその時期のカバーも山崎つる子さんの作品。ファイナンシャル・タイムズにもつる子さんの作品がフィーチャーされ、相乗効果でバズを作ることができたと思います。
初めてフリーズロンドンに参加した2011年当時は、まだアート雑誌「Frieze」を立ち上げた二人が主催していました。絵画のように販売ルートが確立していない作品にも理解があり、受け入れる体制が非常に整っていたので、笹本晃さんのパフォーマンス・インスタレーション作品を出展しました。
田口:今年はニューヨークで開催されたIndependent(インディペンデント)にも出られました。どんなテーマにされたのですか?
蜷川:笹本晃さん、宮本和子さん、山崎つる子さん、ドイツ人のCharlotte Posenenske(シャルロッテ・ポゼネンスケ)さんを紹介しました。女性作家のパフォーマティブな作品にフォーカスした企画です。
Installation view of Aki Sasamoto: Yield Point at The Kitchen, New York, 2017, © Aki Sasamoto, courtesy of The Kitchen, New York, and Take Ninagawa, Tokyo. Photo by Jason Mandella
宮本和子, Eight Fun Squares, 1973, © Kazuko Miyamoto, courtesy of Take Ninagawa, Tokyo. Photo by Kei Okano
蜷川:60年代、70年代からずっと活動しているにもかかわらず、評価軸にのってこなかったアーティストがいます。白人男性のコンテキストで定めた評価軸から外れてしまった、周縁化されたアーティストたちを、再評価する動きがニューヨークにはあります。その場所で、その時に、社会的にアートでなされるべきことをテーマに選びたいと思っています。
山崎つる子, Tin Cans, 2004 © Tsuruko Yamazaki, courtesy of LADS Gallery, Osaka and Take Ninagawa, Tokyo. Photo by Kei Okano
Charlotte Posenenske, Relief Serie B, (left) 1967/2012, (right) 1967/2015, © Estate of Charlotte Posenenske, courtesy of Mehdi Chouakri, Berlin and Take Ninagawa, Tokyo
アーティストを支えるシステムを目指して開廊へ
田口:ギャラリストを志したきっかけを教えてください。
蜷川:アートに触れるきっかけをくれたのは祖父ですが、ものの考え方は、両親の教育に影響を受けています。
両親はアクティビストで、高校生になった私をフィリピンに送りグローバリゼーションについて勉強してこいとか。そして、いま自分が立っているポイントが、歴史の流れの中のどこにあり、この先どこへ向かっていくのか。そのために自分に何ができるのかを意識するようにと教育されました。
田口:すごい!そのようなご両親の教育のもと、蜷川さんの意識が、政治ではなくアートに向いたのはなぜでしょうか。
東麻布にある「Take Ninagawa」。取材の日はヤン・ヴォー「To each his due」が開催されていた。
蜷川:社会問題に、アートでならパーソナルな関係からアプローチできる。アートとはそういう媒体だという期待がありました。大学ではアートセオリーを学び、アートスペースに興味をもちました。この先もアートに関わっていきたいと思ったものの、ノンプロフィットでやるか、コマーシャル・ギャラリーでやるかには悩みました。
1990年代後半だったので、いま必要なのはアートを経済的に支えるシステムだと考え、コマーシャル・ギャラリーをやろうと決めます。関西でいくつかアート・プロジェクトに関わった後、ニューヨークへ修行にいき、帰国後にTake Ninagawaをペインターの竹﨑和征さんと連名で立ち上げて、2009年からは、私がソロで運営しています。
アートを仕事に。それは歴史に関わること
田口:一緒に仕事をする作家は、どのように選んでいますか?
蜷川:渡米前から、関西の同世代の若い作家を、どうマーケットに紹介していくかを考えていたんです。それは決して、友だちとなにかをやりたいということではありません。同じ時代や社会的な問題意識を共有する同世代の作家たちと、アートのフレームの中でできることをやっていきたいという意味です。そして、大竹伸朗さんに行き着きました。
Installation view of Shinro Ohtake 1975–1989 at Take Ninagawa, Tokyo, 2019, ©︎ Shinro Ohtake, courtesy of Take Ninagawa, Tokyo. Photo by Kei Okano
蜷川:同世代という横のラインをみつつ、美術史という縦のラインにも目を向けています。少なくともギャラリーをやろうと決めた当時の日本では、コンテンポラリー・アートの教育の場は整っていませんでした。ニューヨークに住んでいた時も、日本のアートヒストリーは、世界でも、日本でも共有されていないようにみえたんです。
最初は同世代の作家と仕事をしていたのですが、彼ら彼女らが影響を受けていたのは、大竹伸朗さんでした。その後、大竹伸朗さんと仕事をし、山崎つる子さんや笹本晃さん、青木陵子さんや泉太郎さんへと私の中でつながっていきました。
アートって、ピンポイントで出会った作品が、別の作品とつながって線になっていくこと、ありませんか?アートに仕事として関わっていくということは、歴史を作っていくことだと考えています。
田口:白紙のページに歴史を書き込むイメージですか?それとも、いまあるアートの歴史に、作家さんを当てはめていくイメージですか?
蜷川:私がアートヒストリーをどう理解するか、ということではありますよね。でも私の考える歴史に、アーティストを位置づけて……なんて厚かましい考えはありません。アーティストが文脈を作るので、私はその一部分に関わるだけです。作品が提示する可能性の一部に、私の関心ある文脈がつながったとき、一緒に仕事がしたいと思います。その連続が自分の歴史観を作るのだと思います。
田口:Take Ninagawaは、蜷川さんの歴史観、世界観があらわれる場所という意味?
蜷川:アート作品が集まると、コレクターさんでもそういうことになりますよね。コレクターさんと異なる点をあげると、ギャラリストはビジネスなので、「なぜ私がそれをする必然性があるか」を考えます。世の中にたくさんいる素晴らしいアーティストと私たちが仕事をすることで、提供できるものがあるか。提供できるものがない場合はやる意味がない。そういったビジネス面での判断も出てきます。
私のお客さまは、まずアーティストなんです。作品を作るのも、文脈を作るのもアーティストですから。コレクターさんを前に憚られますが(笑)。
田口:そんなことをおっしゃるギャラリストさんは初めてです!でも、全然いいです!
ジャイガンティック「ではない」ギャラリーのこれからのありかた
田口:欧米ではAndrea RosenやCheim&Readなど、中堅ギャラリーの閉廊が続きました。ギャラリーの運営やあり方が難しい時代なのでしょうか?
蜷川:一昔前と比べ、経営は難しくなってきていると思います。昔はアートフェアの出展料もずいぶん安く、ローカリティのある中で、皆で仲良く、どこも手弁当で開催していた時代がありました。いまはアートフェアもどんどん値上がりし、そのステップアップについていけず、閉廊に追い込まれる若手画廊もたくさんあります。
欧米や中国のアーティストだと「このギャラリーはどこのフェアに出展しているか」「一緒に仕事をするならアートバーゼルにつれていってくれそうな、あちらのギャラリーが良さそうだ」といった見方もします。アーティストが離れていけば、ギャラリーの経営は立ち行かないものになります。
大きなギャラリーは、もてるリソースを存分に使って海外進出し、そのローカルのアーティストをピックアップし、ローカルのコレクターを獲得してますます大きくなる。それと戦わないといけない中堅ギャラリーが、存在しにくい状況なのは当然かなという気がします。
田口:今後ギャラリーはどうなると思いますか?
蜷川:なくなっていくと思っています。
田口:え!なくなるとは、ECだけで作品が販売されるとかそういうこと?
蜷川:アートスペースがなくなるという話ではないです。アートは空間との関係性の中で成り立つ作品も多いので。「なくなる」というのは、箱さえあればギャラリストと名乗れる時代ではなくなっていく、みたいな考え方です。
蜷川:ディーリングという仕事はかなり昔からありますが、ギャラリストの仕事のあり方はここ数年で急激に更新されてきました。インターネットやSNSを活用した情報共有とか、旅行がしやすくなったこととか、ある種の利便性がギャラリーのビジネスをより複雑にしたと思います。あらゆる変化に順応して、自分たちのやり方を更新しつづけられてこそ、アーティストのニーズにあった仕事ができます。
そうはいってもジャイガンティックなギャラリーとそうでないギャラリーを比較した時、ギャラリーのもつリソースには何倍もの差がある。ジャイガンティックなギャラリーならば、アートに関する知識さえ、元キュレーターや専門家をお金で集めてカバーできてしまいます。
それに対して、私たちのようなリソースの限られたギャラリーは、どうあるべきか。作家さんに「私たちはこれを自信を持って提供できる」と言えるかどうか。
そういったことを考えながら、自分なりの答えをまだ出せていない中、あるギャラリストに言われて面白いと思ったことがあったんです。「大きなギャラリーに行って、作品が良くなったアーティストがいる?」って(笑)。
田口:(笑)
蜷川:ギャラリーにリソースがあれば、作家はいい作品を創れるかといえば、そうではないのだと。じゃあそれってなんなんだってところが一番肝心なんですけどね。とにかく、アーティストが必要としてくれる限りは、続いていくと思います。……ごめんなさい。まだざっくりとしたイメージだけで(笑)。
田口:いいんです、いいんです!バーゼル3つ、フリーズ2つを経験したギャラリストさんが、そんな姿勢でアートに向きあっていると知って嬉しいくらいです。アート界の良心!
蜷川:(笑)。私に限らず、ギャラリストはやっぱりアートが好きなんですよね。みなさん身を削ってやってらっしゃいますし、そうでなければやっていけるビジネスではないです、少なくとも日本では。
2008年から、社会的な必然性を感じてコマーシャル・ギャラリーをやってきたわけですが、いずれはノンプロフィットをやってみたいなと考えています。アーティストがその場を必要としてくれることが大前提ですが。
ーおわりー
左から:蜷川敦子、田口美和
Take Ninagawa
名だたるアート・フェアで存在感を発揮する、Take Ninagawa。オーナーの蜷川敦子氏は「社会的な問題意識や時代背景を共有できる作家と、アートのフレームの中で自分にできることをしたかった」とギャラリーの開廊について語っている。同志ともいえる同世代の作家との横のラインだけでなく、歴史という「縦のライン」も意識し、ギャラリストとしての役割を模索する蜷川さんは、アートの歴史を読み解きながら、作品一つひとつの文脈をすくいとり、マーケットや社会の動きに反応しながら、作家一人ひとりのやり方に寄り添っている。
蜷川さんへのQ&A
Q:良いコレクターとは、どのような方でしょうか
ずっと長くサポートしてくれる方に尽きます(笑)。
Q. すぐに売ってしまう方についてはどう思いますか?
うちに持ってきてくださるならいいかな。どこにあるかちゃんとアーカイブしていく必要がありますから、それが分からなくなるような売り方は困ります。私は、幸い良いお客さまに恵まれていて、作品も大事にしてくださいます。
Q.アート以外の趣味はありますか?
映画が大好きです。学生時代はたくさん観ました。ドイツ映画やイタリア映画は特に好きでしたが、フランス映画はあまり好きではなく(笑)。
Q.蜷川さんはご自身でコレクションもしますか?
アート作品ですね。やっぱり買っちゃいますよね(笑)。最近はHubert Duprat(ヒューバート・デュプラ)の作品を買いました。彼はフランス人です。(笑)
Exhibition
倉俣史朗 : 言葉 夢 記憶
Take Ninagawaは、7月6日(土)から7月27日(土)にかけて倉俣史朗展「言葉 夢 記憶」を開催する。倉俣史朗が書き綴った夢日記を中心に取り上げる本展は、倉俣の家具に囲まれて夢日記を読みながら時を過ごせるような企画となる。
本展は毎夏開催している「Optional Art Activity」の関連企画。初日にはオープニング・レセプションを午後6時より行う。
会期:2019年7月6日(土) – 7月27日(土)
開廊時間:午前11時 - 午後7時 日,月,祝日休廊
会場:Take Ninagawa
終わりに
夜空に輝く満天の星。昔の人は一つ一つの星と星を結んで獅子や蠍に例えた。蜷川さんの美術史とのかかわり方のお話を伺って、星座作りだなと思った。そこにはすでに無数の作家と作品がある。それらをどう結び付けて、一つにまとめるか。ご本人はご謙遜なさったが、それこそまさに文脈づくりにほかならない。
この取材の少し前、たまたま蜷川さんとゆっくり話す機会に恵まれた。そこでの蜷川さんは僕が勝手に抱いていたイメージを気持ちよく裏切ってくださった。海外のギャラリストやアーティストと話していて、日本のギャラリーが話題になると必ずといっていいほど名前が挙がるのがTake Ninagawaである。フェアのブースや海外のパーティーでお見かけする蜷川さんはいつも颯爽とされていて、「肩で風切るやり手のギャラリスト」という印象を受けていた。ところが、初めて二人きりでお話しさせて頂いた蜷川さんは、それ以上に自分がアートの歴史とどう関わるかを常に模索する求道者のようだった。だから取材の最後で「いずれはノンプロフィットを」と仰ったことに僕は驚かない。もともとそういうお方なのだ。
蜷川さんのお話を伺っていて、ハッとさせられた瞬間があった。欧米の中堅ギャラリーが苦境に立たされているというくだりだ。私は、ギャラリーが苦境に立つのは、コレクターが離れていくからだとばかり思っていた。それはとんだ勘違いだった。蜷川さんは、離れていくのはアーティストだと仰った。アーティストがいてこそギャラリーが成り立つ。そんな基本中の基本を教えて頂き、私は自分の無知と自惚れを恥じた。とても有意義な取材だった。