コレクター神田さんより
大田さんのギャラリーから初めて作品を購入したのは、2015年のアートステージシンガポールだった。スタッフの清水さんから紹介された大田さんはとても気さくな方で、当時は訳の分からない存在だったであろう私のようなコレクターにまで丁寧に接してくださった。
この頃から(いや、私が知らなかっただけでこれ以前からだったと思うが)、大田さんは、草間彌生さんという軸も持ちながら、アジアの作家を日本に紹介することを自らのコレクションも使いながら積極的に行っている。その姿勢は今でも変わっていないし、作家や作品のチョイスは的確だと思う。アジアの作家を日本に紹介したいという情熱はどこから来るのか、その的確なチョイスの源はどこにあるのか、このインタビューで少しでも解き明かせたらいいと思う。
また、最近、久門剛史さんがアピチャッポン・ウィーラセタクンとのコラボレーションでヴェニスビエンナーレに選出されるなど、日本人作家のプロモーションも抜かりない印象もあり、その辺りも伺ってみたい。
若手作家も草間彌生も、作品には良い嫁ぎ先を
神田:大田さんが恵比寿にスペースをもち、画廊という形で営業を開始されたのが1994年。まだ日本に、現代アートのギャラリーがほとんどない時期ですね。
大田秀則さん(以下、大田):ワコウ・ギャラリー(現WAKO WORKS OF ART)さんがすでにオープンされていたので、うちを始める時ご挨拶に伺ったことを覚えています。
立ち上げまもない頃の所属作家は、PHスタジオという建築家グループ(現在、BankARTディレクターである池田修が主宰するユニット)、フェミニストの作家、嶋田美子さん、あとはブブ・ド・ラ・マドレーヌさん。社会的なメッセージ性のある作家が好きです。
神田:草間彌生さんは、立ち上げ当初からの所属では?
大田:いいえ、1995年からの所属なんです。草間さんからご連絡をいただきました。
僕は前職のフジテレビギャラリーで草間さんの担当でしたが、1993年に退職した時にこちらから声をかけることはしなかったんです。草間さんに限らず、他の作家さん、お客さんにも連絡はしませんでした。当時、業界にどういう仁義やルールがあるか分かりませんでしたが、前の職場のお客さんや作家には、手を出さない方がキレイかなと思って。
神田:そうだったのですね。いまや「オオタファインアーツといえば草間彌生さん」というイメージが強いです。
大田:どこのギャラリーでも売上は数名の作家に偏るものですが、草間さんは超ド級。マザーギャラリーとしてDavid ZwirnerやVictoria Miroへの作品の委託や展覧会構成、それに海外美術館のツアーなども専任スタッフが担当しています。
「草間彌生展」オオタファインアーツ上海 2018年
神田:作品の価格の設定についてもお聞きしていいですか?
大田:うちは、若手作家は比較的安価です。最近では若手作家の作品でも、マーケットさえあれば何十万円とかで設定されるケースがありますよね。すぐに値段を上げたがる画廊もある。
でもうちは、かつての値付けの相場のままですね。若いならばたくさん作ればよく、まずはたくさんの方の手に渡ることが大切だと思うんです。作家にも、エンジンが温まるまでは「いまはちょっと我慢がいるけれど、制作環境の安定と長く続くことを第一義に考えましょう」と。作品は、コレクターさんのところにお嫁にいくわけですから、嫁ぎ先で幸せになったらいいんです。オジサン的な言い方になりますが(笑)。
神田:作家との関係を長期的な目でみているんですね。オークションの価格は意識されますか?
大田:セカンダリ市場を持つ作家は稀ですが、セカンダリの価格が本来の価格とも言えます。草間作品やクリスティン・アイ・チョー(Ay Tjoe Christine)のオークション価格には留意していて適宜価格のサポートも行います。ただ、現在のセカンダリの過熱感と過剰流動性は90年代のバブルを彷彿とさせます。
作品を大切にしてくれる買い手を探すのは本当に難しい。その上、オークションになると、新しい人が自由に参入してくるから、余計に難しいです。
自由なムードを求めアート業界へ
神田:もともと美術業界に興味があったのですか?
大田:興味をもっていたのは、音楽です。大学卒業後は、いけばなの草月に就職しました。勅使河原宏さんが家元をされていた頃です。草月会館では第一線で活躍する美術家や建築家を講師に招いた教室を開催していました。私はその事業の担当でした。
草月会館は、草月アートセンターから引き継いだ美術コレクションや関連図書も充実しており、自然と美術に興味を持つようになったのです。もともとは音楽が好きだったのですが、時代的に音楽が、インダストリーとして成立しだした時期でもあり、そこにある種の不自由さを感じていた。そこから逃げるように、美術に関心を持つようになりました。もっと自由なムードがあるようだと期待して。
3年ほどお勤めして草月会館を退職した後、フジテレビギャラリーの採用情報を見つけ応募しました。当時の上司は白石正美さん(現SCAI THE BATH HOUSEオーナー)でした。
自由で居心地の良い会社でした。3年ほどお世話になり、1993年のヴェニスビエンナーレに、草間彌生さんと柳幸典さんを出したあとに退職しました。
大田:その後、スペースは持たないけれども「オオタファインアーツ」の名前でディーリングをはじめると、お金のたくわえも持たずに独立した僕を気の毒に思ったのか(笑)、購入してくれる人や美術館がいて、少しお金ができました。恵比寿に場所をかりてスタートしたのが、1994年です。
作家と挑戦を続け、新たな地図を作る
神田:今ではシンガポールと上海にも拠点をお持ちですね。
大田:実際、草間さんで大きな利益が出るんです。アートで稼いだお金はアートに戻していくべきだと考えて作ったのが、シンガポールと上海のスペースです。
OTA FINE ARTS SINGAPORE
OTA FINE ARTS SHANGHAI
大田:きっかけは、2011年の東北の震災でした。たまたまスタッフがシンガポールにいっていたら、帰国できなくなり、1カ月ほど滞在することになった。その時にシンガポール政府から「こんな企画があるけれど」と声がかかったのです。
震災以前から、日本の行方に対しては、皆さん大なり小なり不安を持っているものだと思っていました。これはある意味でチャレンジ、ある意味ではリスク分散だと考え、シンガポールにギャラリーをオープンすることになり、「国際的」でも「日本の」でもない中間的な「アジア地域」という考えに向かう契機となりました。
その後、上海でもウエストバンド・アート&デザイン(WEST BUND ART & DESIGN)のディレクターから声がかかり、「声がかかったらやらなくちゃ!」みたいなところもあり、お引き受けしました。
神田:ローカルでとても上手く運営されている印象があります。
大田:意識したのは、それぞれの場所にあるギャラリーのアイデンティティの再構築でした。シンガポールの作家も、中国の作家も取り扱いますが、ブレンドの加減と塩梅が難しい。できるだけローカライズして、現地の社会に入ろうと努力しています。
美術は個人で作るものですから、本来、ナショナリティは重要ではないと思うんです。しかし、「自国の作家を大切にしなきゃ」という人の目もある。ラフシモンズ(RAF SIMONS)とコムデギャルソン(COMME des GARÇONS)で上下あわせるほどの自由自在はアジアの美術業界にはなく、まだその辺りに保守的な感覚があります。そこをeraseしていくことは、課題の1つでしょうね。
神田:創業時から、海外進出を目指していたのでしょうか?
大田:いや。もともと僕は、ただ美術が好きで、親しい作家のものをコツコツと日常的に取り扱っていくタイプだったと思うんです。
でも草間さんは、Uncharted Territory、日本人作家の誰もいったことのない領域にまできた。ここから先は教科書に書かれていない。どうしたらいいか分からない領域だからこそ、作家と一緒に、いただいたチャンスは出来る限りチャレンジしていくしかない。行けるところまで助長して、記録して、次の世代に残せたらと思うんです。
近年の草間マーケットはプライマリーで100億円、セカンダリーはその数倍の規模があります。そうなると作品は金融商品の性格も帯びて市場はマネーゲームの場と化します。作品が短期で売りに出されると自分はなんて人を見る目がないんだと、すごく落ち込む。
だからどの人に売るのが正しいかとか、デューデリジェンスもしないといけない。価格推移のテクニカルや作家や作品のファンダメンタルズといった金融的な知識も必要になります。
国際的な作家をもつギャラリーは、きっと、そういうことをしてきたのだと思うのですが、僕は経験がありませんでした。
そういう点で、ここをオープンして以来25年、新しい体験をしつづけています。作家にとってのマーケットバリューとアカデミックバリューの壮大な実験なのかなと思っています。
近くて差異のあるアジアの作家の魅力とは
神田:国内外問わず、新しい作家はどのように発掘されていますか?
大田:昔から、付き合いのある作家が「面白いよ」という作家さんは、かなり高い確率で面白いです。最近は、研究熱心なお客さんが教えてくれることもあります。9月に展覧会を予定しているマリア・ファラー(Maria Farrar)は香港のお客さんの紹介でした。フィリピンのマニラで生まれ、下関で育ち現在はロンドンで活躍している女性作家です。
神田:オオタファインアーツさんは、アジアの作家さんの割合が多く感じられます。
大田:こだわりはないのですが、シンガポールや上海に進出したことは、影響しているでしょうね。まだ他のギャラリーの狩場になっていない場所ならば、良い作家が必ずいる。自分で地図を作っているような面白さがあります。
…と、口で言うのは簡単ですが、よく分かっていなかったりもします(笑)。
アジアのアートは、欧米的なアートと違う文法だったりする。ご飯なのかおかずなのかデザートなのか分からないけれど、とりあえず味わってみて、「この辺りかな?」と感覚である程度理解し、作品について作家に話を聞き消化していくんです。
神田:マーケットとしてだけでなく、作品や作家そのものにも魅力を感じるのですね。
大田:はい。ギャラリーは作家と一緒にやっていくものです。作品だけを扱うオークションハウスのようなドライなビジネスではありません。
中国独自のインクアートや、古代の話を現在に持ってくるとか、欧米のアートにない文法のものを見るのは楽しいです。これが西欧起源の要素だったりすると、文化的に遠すぎて分からないこともあるでしょうね。アジアは適度に近く、適度に差異がある。そこに面白さと心地よさを感じます。
出したものがおいしければそれで良い
神田:年1回ほど、ギャラリーで所有されている作品のコレクション展を開催されていますね。いつも楽しみにしています。
大田:うちのギャラリーの若手が「倉庫にずっとしまってあるものを、たまには出しませんか?」と提案してきたので、やらせることにしたんです。画廊は売るだけではないし、せっかくスペースもあるから、見せることにしようと。
六本木にあるオオタファインアーツ。取材当日はコレクション展 「進行的収蔵」が開催されていた。
神田:美術館、アートフェア、ECなどある中で、ギャラリーには、展示場所としての存在意義もあると思われますか?
大田:外での展示にチャレンジできればそれは良いことかもしれませんが、せっかく自分の画廊という、展示可能な恒久施設があり、観にきてくださる方もいるのだから、それを充分活用すれば良いのかなと。施設の新しさや機能的なところを批評軸にする方もいるかもしれませんが、作品が面白いかどうかの方が重要。
ただ……、画廊の姿勢って、大きな声でいうものではないとも思うんですよね(笑)。出した作品、いわば、お皿に出したおかず、ご飯がおいしければ良いんじゃないかなと。ここを始めた時、お客さんは5~10名でした。今では東アジアや東南アジアの広域のお客が見守って応援してくれているのでとても刺激的です。
神田:最後に、今後の展望をお聞かせください。
大田:シンガポールや中国には、まだ活動の余白があるようなのでそこは頑張りたいです。そして日本も含め良い作家、面白い作家に出会いたいです。作家はマラソンランナーだと思っているので、一緒に長く活動できる作家さんがいいですね。だって草間さんも、これだけ知られるようになったのは、50歳を過ぎてですから。
ーおわりー
オオタファインアーツ
所属作家に、日本を代表する現代美術家の草間彌生が名前を連ね、シンガポールと上海の海外拠点も順調に力をつけているオオタファインアーツ。代表の大田秀則氏が1994年に恵比寿にて創業。
自由な空気を求めて現代アートの世界に入ったという代表の閉塞感を好まない気質が影響しているのか、ギャラリーでは若手のスタッフたちがのびのびと働いている。
大田氏へのQ&A
音楽が好きで草月に入社したとのことですが、いまでも音楽を聴きますか?
聴きますよ。そういえばこの間の誕生日、ドバイのお客さんから、ギブソンのレスポールをいただいたんです。それが僕が生まれたのと同じ59年製。サンバーストという色の黄金期のものでした。久しぶりに弾いたりしたいですね。
最近購入した作品を教えてください
ジャオヤオ(ZhaoYao)の「天国からのシグナル」です。チベットの僧が、山や野外で修行する時につかうテントがあるんです。中でお経を読むためのテントを、ギャラリーに持ち込んで、テントの中では「TED」の映像を流している。コンセプチュアルを超えて、何ですかこれ?というものです。
ジャオヤオ「天国からのシグナル」2018年制作 テント、映像
アートをこれから購入する方へのアドバイス
若手スタッフにもよく言うのですが、ギャラリーで徹底的に質問をすると良いです。5万円、10万円分の話をするつもりで。それにちゃんと付き合ってくれる画廊と付き合うことをお勧めします。
Exhibition
アキラ・ザ・ハスラー + チョン・ユギョン「パレードへようこそ」
オオタファインアーツでは、1969年生まれのアキラ・ザ・ハスラーと1991年生まれのチョン・ユギョンの二人展「パレードへようこそ」を開催中。京都市立芸術大学在学中に既にアーティストとして注目されていたアキラと、ちょうどそのころ神戸に生まれたチョン。年齢の離れたふたりのアーティストの共通点、それはアキラがゲイ、チョンが在日韓国人3世というマイノリティ、つまり偏見や差別の対象となり得るグループに属するということ。自身のあり様を表現すること自体が「社会的」と受け止められる彼らの作品は、翻って社会的マジョリティが持つ鈍感さを映す鏡に他ならない。
会期:2019年4月27日(土)-2019年6月29日(土)11:00-19:00 / 日・月・祝 休廊
会場:オオタファインアーツ
King of Kowloon - 九龍皇帝
香港九龍地区の王であると自ら名乗った書家がいた。50年代半ばより2007年に亡くなるまで九龍地区のあらゆる公共空間に自らの出自および香港が自らの王国であることを訴えるステートメントを書き続け、イギリス政府と香港行政府に抵抗した伝説のカリグラフィ作家。オオタファインアーツは、香港という古くから時代の変遷に翻弄されてきた場所ならではの作品10数点を展示する。
会期:2019年7月9日(火)-8月17日(土)11:00-19:00 / 日・月・祝 休廊
会場:オオタファインアーツ
「無題」2003年 紙にインク
終わりに
インタヴュアーの神田さんが仰るように、大田さんは大変気さくな方だ。ギャラリーやアートフェアのブースでお会いすると、いつもお声を掛けて下さる。泣く子も黙る草間彌生が所属する大ギャラリーのオーナーと聞けば、近寄りがたいイメージをお持ちの方もいらっしゃるかも知れないが、実際の大田さんはそのイメージを良い意味で大いに裏切る実にオープンマインドな方なのだ。
大田さんが取材中に仰った「どの人に売るのが正しいか」というくだりに驚かれた読者の方もいらっしゃるだろう。ここがプライマリー・ギャラリーというビジネスの難しいところだ。売れればいいというものではない。草間彌生ほどの作家ともなれば、「幾らで売るか」ということ以上に、「誰に売るか」ということが重要になる。払うものを払えば好きなものが手に入るという世界ではないのだ。
ギャラリーを立ち上げられた当初の所属作家が建築家グループやフェミニストの作家だったというお話は大変興味深かった。それがオオタファインアーツの原点であったとするなら、今でも大田さんの根底にはそのスピリッツが宿っているように僕には思える。「画廊の姿勢って、大きな声でいうものではない」と仰る大田さんに、草間彌生という大看板を抱えつつ、常にオルタナティブなものにチャレンジし続けるというアンビバレンスな魅力を感じるのは僕だけではないはずだ。