センスのあるなしを、語ることは難しい。数値化して比べることもできなければ、その有無を判定する基準もないからだ。しかし世間には「センスがあるね」と言われる人がたしかにいる。現代アート・コレクターの神田さんもその一人だ。
モデレーターの深野は、とあるギャラリーで神田さんを紹介された時、着ていた服のセンスの良さに驚いたという。国内のギャラリーや海外のアートフェアでも、しばしばその姿をみかけ、顔を合わすうちに、こんな興味を抑えられなくなった。
「誰もが知る有名ブランドに身を包めば、間違いはない。けれど神田さんは洋服を、人の基準や世間の評価では選ばない。神田さんはそのセンスで、どんなアートをコレクションしているのだろう」
実は"神田さん"とは、仮の名前だ。
神田さんは、極めて私的な行為として現代アートを蒐集し、ふだんは東京・神田で「普通に会社員をしている」という。今回は名前と顔写真の掲載を伏せることで、インタビューに応じてくれた。
取材の日も、セルリアンブルーのロングシャツに、ネイビーのパンツ。奇抜なところはないのに、ハッとさせられるセンスと品に溢れた装いで現れた。
純粋な好みで選んでいる
——現代アート・コレクションのインタビューなのですが、はじめに今日のファッションについて、伺えますか?
シャツはJUN MIKAMIで、ボトムスはSans limiteです。
——その靴はどこで買われたのですか?
nirというブランドのものです。ハウス@ミキリハッシンで買いました。
——ほら!初めて聞くような名前ばかり!(一同、笑。※モデレーターの深野は、ファッションに関する書籍の著者でもあります)神田さんにとってアート作品を買うのと、服を買うのは同じ感覚なのでしょうか?
少し違う気がします。服は消耗するものですし、買うとなると似合う似合わないや、サイズ、手持ちの服とのバランスでも制限されます。流行もあるので、長く付き合うことは考えません。
でもアート作品は、基本的に一生のものですから。その意味では、アートの方が、純粋な好みで選んでいる気がします。
海外のアートフェアで買う理由
——作品はどこで買うことが多いですか? 海外のアートフェアでも、お会いしたことがありますね。
基本的には、プライマリーのギャラリーさんで購入しています。海外の場合は、アートフェアで購入することが多いです。
——日本人のコレクターさんは、海外のアートフェアに行っても結局日本のギャラリーさんから買ってしまう方が多いように感じます。神田さんは、特に抵抗感なく購入できるのですね。
たしかに日本で購入するよりも、面倒は多いです。シッピングの相談もしないといけません。
手で持ち帰るにしても、箱がついておらず、一応ラップのようなものでくるんでくれますが、あとは「はい、どうぞ」ということもあったり。日本のギャラリーさんは、購入後も手厚い。それに比べると……(笑)
——たしかに海外には作品の扱いが雑なギャラリーもありますね……(笑)。ちなみに英語でのやりとりは得意ですか?
特別に英語が得意なわけではありません。普通だと思いますが、今はGoogleの翻訳機能がありますよね。
——スマホやタブレットの?
はい。アートフェアでは、ギャラリストさんたちも作品を売りたい気持ちがあるので、翻訳機を使いながらでも、きちんとお付き合いしてくださいます。ある程度、英語がわかれば、翻訳機の英文を少し手直しする程度で、ちゃんと伝わります。
翻訳アプリ「Google Translate」。オフライン翻訳が可能なので、海外の電波が通じない場所でも使用することができる。Google および Google ロゴは Google LLC の登録商標であり、同社の許可を得て使用しています。(C) Google
——それは今後、海外のアートフェアに行く方々の参考になりますね。海外まで足を運ぶ動機はなんでしょうか?
「あえて海外で買おう」という意識はなく……。
——欲しい作品が海外にあるから海外へ?
はい。できることなら作品と直接対面し、モノをみて買いたいのです。たしかに過去には、現物を見ずに購入したこともあります。たとえば手塚愛子さんの、織物の一部をばらしたような作品は、ベルリンのギャラリーさんからネットで購入しました。
それは手塚さんの存在や作品をすでに知っており、コンセプト重視の作品で、しかも日本のギャラリーさんでの取り扱いがなかったからです。そのような事情がない限り、できれば直接作品を見て購入したいです。
——自分の目でみて買うことを、大切にされているのですね。
最初の1点はアピチャッポン
——神田さんが、現代アートをコレクションしはじめた経緯を伺えますか?
最初の1点は、2013年のアートフェア東京で購入したアピチャッポン・ウィーラセタクン(Apichatpong Weerasethakul)の写真作品でした。アートフェア東京には、それ以前も行ったことがありましたが、購入したのはその時が初めてです。
SCAI THE BATHHOUSEさんのブースで、パッと見で「これはいい」と思う作品があり、それがアピチャッポンの写真だったんです。
彼のことは映画監督として以前から知っていましたが、現代アートの文脈で紹介されることは、ほとんどなかった頃なので、さらに興味をもちました。
——アピチャッポン・ウィーラセタクン。タイの作家ですね。ちなみに、どのような作品だったのでしょうか?
20×30㎝くらいの、モノクロの写真作品です。海の中に子供らしき人がいて、鑑賞者の感情を動かす何かがありました。値段を聞いてみたところ、そんなに高くなかったので「お願いします」と。それが最初の1点です。
©Apichatpong Weerasethakul, Eastern Beach, 2013,lambda print, Courtesy of SCAI THE BATHHOUSE
アート作品は自分にも買えるのだと知り、その約1カ月後には2点目を購入しました。
興味を持っていた作家さんの作品も買えるのかもしれないと考えて、問い合わせをしたのです。そして小山登美夫ギャラリーさんで、エルネスト・ネト(Ernesto NETO)のドローイングを購入しました。以来、コンスタントにアート作品を購入するようになりました。
アートに限定しない、カルチャー全般への関心
——ファースト・コレクションが、2013年のアピチャッポン。その次がネト。本格的にコレクションを始める前から、尖ったセンスと審美眼をおもちだったのですね。アートに関心をもった、きっかけはありますか?
大学生の頃から、文化全般に興味を持つようになりました。現代美術に限らず、本を読んだり、ミニシアター系の映画や小劇場系の演劇を観たり。少女漫画も読みましたし、ファッションも。
音楽はテクノやハウスを中心に、CDを2000枚近く集めていた時期もあります。池田亮司さんなどを好んで聞いていた気がします。西麻布Space Lab YELLOWにも、たまに足を運びました。色々な要素が組み合わさり、そのバランスで今の自分、今のコレクションができているように思います。
——中でも、現代美術に触れたきっかけは?
本や雑誌で「スーパーフラット」という概念があることは知っていました。それが気になり、2001年の『村上隆展 召喚するかドアを開けるか回復するか全滅するか』(東京都現代美術館)を観にいきました。
この展覧会がきっかけだと言えるかわかりませんが、印象に残っています。
——コレクター歴5年目の現在、コレクション点数とメディウムの内訳も伺えますか?
現在は、70点程度です。絵画とドローイングがメインで、立体はニール・ベロウファ(Neïl Beloufa)などがいくつか。写真作品は、最初のアピチャッポンの他はあと1点のみです。映像も1点だけです。
小さい作品10点程度は自宅に保管し、大型の作品は実家に。自分の部屋にしまうものもあれば、リビングに作品を勝手にかけて、たまに入れ替えたりもします。
——現代アートのほか骨董の類もコレクションされているそうですね。
小山登美夫さんの本『見た、訊いた、買った古美術』(新潮社)をきっかけに、年に1度ほど茶碗や俑(よう)、浮世絵などの古美術を浦上蒼穹堂さんで購入しています。
自慢のコレクション「フレディ・ナドルニィ(Freddy Nadolny)」
©Freddy Nadolny, The Moon in the jar, 2014,watercolor on paper, Courtesy of SCAI THE BATHHOUSE
©Freddy Nadolny, Ghosts wandering, 2014,watercolor on paper, Courtesy of SCAI THE BATHHOUSE
「フレディ・ナドルニィは、初めてコミッションさせていただいた作品です。彼は2014年@KCUAで開催されたアピチャッポンの個展『PHOTOPHOBIA』に、 アピチャッポンの知人として参加していました。その展示作品を購入できないかSCAI THE BATHHOUSEさんに問い合わせたところ、ブラッシュアップした作品を再製作してもらうことになりました。静謐な作風が気に入っています」(神田さん)
注目の若手アーティスト「リュウ・ジーホン(劉致宏)」
「注目している若手作家は、リュウ・ジーホン(劉致宏)さんです。作品自体の魅力はもちろん、色々な作品を作る力があり、展開の幅もキャパシティも広い印象があります。ベースは油絵ですが、昨年はディオール(DIOR)の企画で世界中の著名なアーティストが同メゾンの象徴的なバッグのデザインを手掛けるプロジェクト『DIOR LADY ART』の台湾の代表作家に選ばれ、作品(バック)を作られたりもしています」(神田さん)
アート作品を購入するときに大事にしていること
——コレクションを選ぶときに大事にしていることを教えてください。たとえば気に入った作品があった時、最終的に買うかどうかは、何を決め手にしていますか?
決め手という意味では、予算ですね。
——それは少し、意外に聞こえます。
自分の中にこれまでにない感情を起こさせてくれ、それを観たことで自分の感情が揺り動かされる。そんな力をもつ現代アート作品を、コレクションしたいと思っています。
ですから、作品を観る時に、第一印象は大事にしています。ギャラリーでもパッと見て「これは気になる」という作品があれば、とりあえず会場を一通りみてから、気になった作品に戻り、その1点を10分くらいでしょうか。飽きるまで見ます。
作品を前に「何が気になるんだろう」と自分に問いかけるけれど、たいてい、その答えは出ないんですよね。「それでもなんか気になるぞ」となれば、ギャラリストさんに声をかけて、CV(curriculum vitae:履歴書)とプライスを拝見し、折り合いがつけば購入します。
Art Basel in Hong Kong 2018 © Art Basel
——プライスを確認されるのは最後。だから、決め手が予算になるのですね。CVではどのような点をみますか?
キャリアと値段が見合っているかどうか。たとえば美術館で展示された経験のない作家さんの作品に、ものすごく高い値段がついている時は避けますし、反対に多少迷う価格だったとしても、CVをみて購入を決めることもあります。
たとえば2015年のアート・バーゼル・ホンコンでは、ブラジルのギャラリーMendes Woodさんでパウロ・モンテイロ(Paulo Monteiro)の『Untitled』というペインティングを購入しました。
——2015年といえば日本で彼の初個展が開催される2年も前ですね。当時からモンテイロをご存じだったのですか?
いいえ。ですから予備知識なしで良いと思い、CVとプライスをみたところ、当時すでにMoMA(ニューヨーク近代美術館)にコレクションされていた。その割に、安かったので購入をしました。
——ギャラリストさんに相談して決めることはありませんか?
ほぼ、ありません。ギャラリーさんは、作家さんをマネージメントして育ててくれる存在であり敬意をもっています。ただ購入については、目の前の作品とCVで決めています。
——自分の目だけで購入を決め、あとから見え方が変わってしまい、手放したくなったことはありませんか?
見え方が変わることはありますが、良い方に変わる方が多い気がします。作品はできることなら一生手元に残したいと思っていますが、過去に何度か、経済的な理由で手放したことはあります。
その時はまず、購入したギャラリーさんに相談をしました。条件はありますが、買ってくださるところが多いです。
——オークションに出品する方法もありますよね?
それはあまりお勧めしません。ギャラリーさんは、作家さんを管理されています。将来的に、作品を美術展に出そうとした時、オークションで売られてしまうと、作品の所在を把握できなくなってしまうからです。
——コレクションする時は、ご自身の審美眼が基準。作品を手放す時は、ギャラリーや作家の活動に不利益がないように、ということですね。
はい。ギャラリーさんは、責任をもって作家さんを育てている。やはり、そこへの敬意があります。
ですから先ほど、購入前にギャラリストさんと相談することは、ほとんどないとお話しましたが、初めて現代アートを買おうという方には、最初はギャラリーさんで、作品と直接対面して買うことをお勧めします。欲を言えば、プライマリーで。
——その際、初めての方もCVは見た方がいいですか?
目的によります。資産形成が目的の方であれば、アドバイザーをつけるなり、色々調べて買ったほうがいい。そうでないならば、自分の気に入ったものを買うのがいいのではないでしょうか。
——最後の質問です。幅広いカルチャーにアンテナをはってきた神田さんが、現代アートをコレクションするのはなぜでしょうか?
悩むところですが、精神的な充足を得るためだと思います。
気に入ったものに囲まれて生活するのは、それだけで気持ちが和みます。その手段として、インテリアや洋服もありますが、私個人的な感覚として、現代アートがもつ力は他とは異なります。
洋服は消耗品であり流行があります。インテリアは一度固定したら変更は難しく、また場所を取ります。一方、美術品はインテリアに比べて場所を取らず、長い時間付き合うことができるのです。
ーおわりー
終わりに
その服どこで買ったんですか?という僕の問いに照れる神田さんが発したひとこと。「ミキリハッシンです・・・」この時の衝撃を僕は今も忘れない。
アートコレクターとしてはまだまだ駆け出しの僕だが、お洒落には少しばかりうるさい。他人の服装を見てムムッと思うことはまずない。そんな僕が狼狽えたのが神田さんだ。神田さんはいつもイケている。しかも誰もが知るメゾンではなくて、聞いたことのないブランドを着こなしている。それがカッコいい。
そんなエッジーな神田さんが一体どんな視点でアートをコレクションしているのか。興味津々で臨んだ今回の取材であったが、やはり僕は狼狽えた。
実は神田さんが早くからモンテイロをメンデス・ウッドから買っていたのは知っていた。しかし同ギャラリー所属のベロウファもコレクションされていたとは知らなかった!
ベロウファといえば2015年に上海のK11で行われた個展が記憶に新しいものの、当時(今でも?)日本での知名度はそれほどでもなく、そんな作家をお持ちと聞いて僕はやはり心中穏やかではいられなくなった。ミキリハッシンで服を買い、ベロウファをコレクションする男。神田さんはやっぱりカッコいい。