ボクのファッション史。

取材日: 2016年2月17日

文/倉野 路凡

ボクのファッション史。_image

メンズファッションに通じる倉野路凡さんが今気になるモノ、従来愛してやまないモノについて綴る連載です。初回は倉野さん自身が影響を受けたファッショントレンドやブランドについて。なにやら話は多感な中学生時代まで遡るようで……。

公立中学校を中心に吹き荒れた校内暴力。その真っ只中の中学2年生だった1979年暮れ。本屋さんで買った雑誌「ポパイ」に載っていたIVY(アイビー)という三文字にすっかり魅せられてしまった。アメリカのブルックス ブラザーズが日本に上陸するということで、一冊まるごとアイビー特集だったのである。

MuuseoSquareイメージ

基本的にアイドル好き少年だったので雑誌「明星」「近代映画」「GORO」を立ち読みして満足していたのだが、「ポパイ」や「ホットドッグ・プレス」を読んでいる奴がカッコいい~という噂を耳にして、親にお小遣いをもらい「ポパイ」を買ったのだ(笑)。

この頃の日本は、ジャパニーズトラッドの雄VANが倒産し、米国西海岸(ウエストコースト)ブームの余波が残っていた頃だ。一方、海の向こうアメリカでは“マナー”に関する本が売れ、身だしなみがキチンとしているアイビーやプレッピー(※1)が再び見直され、ブルックス ブラザーズをはじめ、ラルフローレンポール・スチュアートJプレスサル・セザラニジェフリー・バンクスアラン・フラッサーといったニューヨーク・トラッドが注目されていた。

その追い風に乗って日本でもアイビー&プレッピーブームが起こったというわけだ。その余波は京都の田舎町にもジワジワと伝わっていて、愛用のUCLAのスニーカーや足跡マークでお馴染みのハンテンのトレーナー、姉から盗んだプカシェル(貝殻のネックレス)という、“なんとなく西海岸”的なコーデではもはや通用しない、新しい東海岸の知的な風が吹き始めていたのだ。

MuuseoSquareイメージ

高校生になったボクは、不向きな労働という行為(別名アルバイト)にも挑戦し、京都・寺町通りにあったトラッドショップ「ツルヤ」でJ・プレスのボタンダウンカラーのシャツを買ったり、復活したVANで同じくボタンダウンをコツコツ買ったりしていた。この「ツルヤ」は1928年に創業した老舗で、アラン・フラッサー氏(※2)の名著「MAKING THE MAN 男の服装学」(1983年初版)の中でも紹介されている。高校生には入りづらい格式のある老舗だった。
余談だが・・・、毎夜、ウェルドレッサーで有名な往年のハリウッドスター、ケイリー・グラント(※3)の写真集を枕元に置き、まるで聖書を読むように写真集を見てから眠りにつくという、敬虔なアイビー少年だったことも記しておこう。

高校をなんとか卒業すると、テイジンメンズショップ(※4)でエーボンハウスのブレザーやシェトランドフォックス(日本製靴製)の靴、リーガル・ブリティッシュコレクション(イギリス製)の靴を買ったり、キーウエストのクレリックカラーのシャツを買ったりして、トラッドアイテムをコツコツ買い足していった。1980年代半ばになるとアメトラのVANより英国志向の強いエーボンハウスやアラン・フラッサーの服に心惹かれた。ほどよいイギリス調のウエストのシェイプやグラマラスなシルエットに美しさを見い出すようになっていく。

靴は英国老舗靴ブランドのチャーチ。1980年代の製造モデル。赤のウールソックスも80年代に購入。我ながら物持ちがいい。

靴は英国老舗靴ブランドのチャーチ。1980年代の製造モデル。赤のウールソックスも80年代に購入。我ながら物持ちがいい。

エーボンハウスの旧タグがついたオックスフォードクロスを使ったシャツ

エーボンハウスの旧タグがついたオックスフォードクロスを使ったシャツ

今では珍しいクジラの髭が素材に使われたアルバートサーストンのサスペンダー。

今では珍しいクジラの髭が素材に使われたアルバートサーストンのサスペンダー。

ロンドン老舗シャツブランド・ターンブル&アッサー。初めてビスポークシャツ。

ロンドン老舗シャツブランド・ターンブル&アッサー。初めてビスポークシャツ。

1980年代のコーデを再現しました(笑)。 セザラニのジャケット、クリーヴのオックスフォードのボタンダウンの組み合わせ。

1980年代のコーデを再現しました(笑)。 セザラニのジャケット、クリーヴのオックスフォードのボタンダウンの組み合わせ。

ボクのファッションのベースを作ったのは、間違いなく1980年代初頭~1990年代初頭のテイジンメンズショップである。当時はDCブランド全盛期だったが、トラッド一直線の熱い青年だったため、不思議なくらい興味がなかったのである。その当時よく通っていたのが吉祥寺パルコだ。南口の丸井より北口のパルコの方が100倍カッコよかったのだ。パルコにはテイジンメンズショップや三峰(後にポール・スチュアート)、ラルフローレン、リーガル、白山眼鏡、コレクターズが入っていて、お金より時間がたくさんあったので、よく覗いていた。

テイジンメンズショップでは大西さんという紳士的な販売員が対応してくれ、セールでしか買えなかったボクに、そっと「このイギリスの生地を使ったネクタイがおすすめですよ」とか「鹿革の手袋でいいのがあります」と教えてくれたりしたのだ。

80年代に購入したネクタイたち。もちろん今も現役。写真中央の2本(ペイズリー柄/えんじ色)はテイジンメンズショップのスタッフ・大西さんにオススメしてもらったもの。

80年代に購入したネクタイたち。もちろん今も現役。写真中央の2本(ペイズリー柄/えんじ色)はテイジンメンズショップのスタッフ・大西さんにオススメしてもらったもの。

コレクターズというお店ではペンドルトンエルエルビーンウールリッチといったアウトドアブランドの他、ハリソンやブルックリンのソックスをよく買っていた。エルエルビーンは吉祥寺に大きな店ができる前の話だ。ブルックリン(ミュージアム)は今ではバッグや財布が有名なブランドだが、当時はカラフルなソックスに力を入れていてハリソンと双璧を成していたのだ。

1988年に代々木にあったメンズファッション専門学校を卒業し、シャツブランドの企画や商品管理の仕事をしていたのだが、バブル時代ということもありフリーターに転職。適当に仕事をしながら好きな絵を描いていたのだ。しかしバブルが崩壊し、そろそろ手に職をつけないと・・・そんなときに運よく講談社のホットドッグ・プレス編集部がフリーライターを募集していたのだ。採用試験に無事合格し、1990年代の初めから「ホットドッグ・プレス」誌でフリーランスのファッションライターとして働き始める。トラッドブームはすでに過去のものになり、バブル崩壊後はヒップホップやダンサーが普及し始め、ハイテクスニーカーや古着(おもにデニム)、G-SHOCKといったストリートファッション全盛期を迎えることになる。おかげ様で古着のデニムはずいぶん勉強した。その後「モノ・マガジン」で連載をもらうなど、さまざまな雑誌の取材や撮影を通して、たくさんの服やモノに触れる機会に恵まれた。ライター生活20数年の間で目と体が少しずつ肥えていったのである。余談だが、エッチ(エロ)ページ担当のライターとして山田ゴメスさんも編集部に出入りしていた(笑)。当時のライターの多くはまだ手書きの原稿だった。

パンツのビスポーク。職人・尾作隼人さんに仕立ててもらったもの。

パンツのビスポーク。職人・尾作隼人さんに仕立ててもらったもの。

ライター生活の中で、とくに影響を与えたのがアンティークの世界(ウォッチ、シルバーカトラリー)、シューズのリペアやシューシャイナーの人たち。さらにビスポークのテーラーやシューズ、バッグ、シャツ、帽子の職人たちだ。デザイナーよりパタンナー、パタンナーよりも縫製する人、作る人に興味が湧く性格のようだ。そのおかげで、既製品にはないグレードの高いモノを見る機会が増えた。手を抜かない完成度の高いビスポークの製品から学び、そのステージから既製品を見ると、どこが優れていて、どこを手抜きしているかがよくわかるのだ。つまりモノの良し悪しを判断できる、モノを見る目が完成したのである。ライターにとってはものすごく有難いことだ。

そんなボクの趣味性を貫いて、モノ作りに携わる人たちやアンティークの世界、背景の見えるモノ、あまり流行に左右されないモノを紹介していきたい。アイドルのビキニ姿にしか興味がなかった色白の少年も、ずいぶんオタクな大人に成長したと思う(笑)。

※1:アイビー、プレッピーとは
アイビーはアメリカ東海岸の名門私立大学8校、つまりアイビーリーグ(ハーバード、プリンストン、ペンシルバニア、イエール、コロンビア、ダートマス、ブラウン、コーネル)に端を発するファッション。プレッピーは同じく東海岸の名門私立高校に通う学生のファッションからの流れで、グリーンとピンクがプレッピーカラーと呼ばれている。ボタンダウンカラーのシャツはアイビーおよびプレッピーの象徴的な存在。ブランドでは老舗のブルックス・ブラザーズやJプレスをはじめ、洗練された都会的な雰囲気をもつポール・スチュアートがアイビーリーガーおよびアイビーリーグ卒業生御用達店と言われてきた。日本では1960年代半ばと1980年にファッションとして流行している。

※2:アラン・フラッサーとは
アメリカ出身のメンズデザイナーであるが、10代でサヴィルロウのテーラーでスーツを仕立てるなど、イギリス好みのスーツを愛用。1980年代初頭に台頭してきたニューヨークトラッドのデザイナーの一人であるが、ラルフ・ローレンよりもイギリス志向の強いスーツを提案した。アメリカントラッド全盛期だった1980年代初頭の日本に“イングリッシュドレープ・スーツ”という言葉を植えつけた。正統派の装いに関する本を数冊出版している。

※3:ケイリー・グラント(1904-1986)
イギリス生まれだが早くから渡米し、ハリウッドスターになる。ヒッチコック作品の多くに出演。「汚名」「北北西に進路を取れ」「泥棒成金」が代表作。晩年にはオードリー・ヘプバーンと「シャレード」で共演している。ウェルドレッサーとして知られ、ロンドンのサヴィルロウのテーラー「キルガーフレンチ&スタンバリー」(現キルガー)や香港のテーラーなどで仕立てた。長い俳優人生の間、無地のネクタイを愛し、結び目の下にはディンプル(くぼみ)を欠かさず作っていた。


※4:テイジンメンズショップとは
1960年に銀座4丁目にオープン。VANが出資していたらしく当初はVANの商品を取り扱っていたが、1960年代後半から海外の一流ブランドを輸入し販売するようになる。1960年代と1980年のアイビーブームを支えてきた老舗店である。アイビー世代は親しみを込めて“テイメン”と呼んでいた。1980年代初頭にリーガルの英国調のコレクション、「シェットランドフォックス」を取り扱っていた。

Read 0%