表参道に店舗を構え、ヴィンテージ・アイウェア(メガネ・サングラス全般を指す)業界の先駆け的存在であるショップ、ソラックザーデの代表・岡本龍允(たつや)氏に案内して頂く、目眩くヴィンテージ・アイウェアの世界。
全2回に分けてお届けします。まず前半は、ヴィンテージ・アイウェアに関するイロハから教えて頂きます。
SOLAKZADE
世界的にも類稀なるヴィンテージ・アイウェアの専門店。
扱っている商品は古くは1800年代から1990年代までの、未使用のデッドストック品のみにこだわる。商品の生産地はアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアそして日本と多岐に渡り、10,000本を超える規模とバリエーションで常時保有。膨大なコレクションの中から、1人1人に合わせたベストなフレームを提案してくれる。各時代の素材や製法を熟知した職人としての経験も豊富なスタッフによるレンズの作成、視力測定、レストアやリペアも自社アトリエ内で行なっている。また、近年は国内外の映画のアイウェアやジュエリーの総合監修も請け負っている。
ヴィンテージ・アイウェアってどんなもの?
ソラックザーデ代表、岡本龍允氏
——こんにちわ、本日はよろしくお願いします!
よろしくお願いします。
——早速ですが、ソラックザーデさんで扱うアイウェアはどんな物なのか教えてください。メガネは毎日かけてますが、古いものはかけた事がなくて。
ソラックザーデではアンティーク・アイウェアとヴィンテージ・アイウェア、ざっくり2つの分け方をして取り扱っています。アンティークは大体100年以上前のモノですね。
1800年代初頭の物から取り扱っていて、現状1999年までとしています。店舗や生産メーカーの倉庫などに眠っていた完全未使用品、いわゆるデッドストック品の中でも状態の良いモノのみを取り扱っています。
——1800年代!200年前ですよね、すごい。
ヴィンテージが何処から始まるかの定義は色々ありますが、現代のファッション業界の最先端のデザイナー達や、ストリートファッションが好きな子達が装いの参考にしだす時代からと僕らは考えています。
今は90年代が注目されていますが、もう2000年代初頭は見られ出しているので、そういう意味では2000年代もそろそろヴィンテージになってきます。
30代以上の大人からすると、2000年代初頭はかなり記憶のある時代だと思います。
でも今の20代の子達って2000年代初頭の記憶はあんまり無くて、映像の中の世界でしかない。だからちょっと憧れるというか、レトロな感じがするというか。
なので、来年くらいからは2000年代初頭の商品もヴィンテージとして取り扱う予定です。
——1800年代から2000年代まで、ざっと200年分のアイウェアを取り扱うという事ですね。
ここまで手広いラインナップを揃える店舗は他にないと思います。
アイウェアの歴史を辿る。素材から見る時代ごとの違い。
——アイウェアの歴史について教えてください。
メガネは元々イタリアで生まれてるんですけれども、アイウェアに使われている素材という観点から見ると、現代までを3つの時代区分に分けられます。それぞれの時代区分によって、素材や製法が大きく変わってくる感じですね。
1つ目の区分 1890年以前 伝統工芸品としてのメガネ
1890年以前のメガネには豪華な素材、ジュエリーの様な素材しか使われていません。金や銀に銅、鉄。メタル素材はメッキはなく、無垢材だけの時代です。まだプラスチック素材も生まれていなくて、メタルじゃないものはタイマイというウミガメの甲羅で作られた本鼈甲のみです。
1800年代は、貴族などお金持ちな人たち向けの道具というか、アクセサリーだったのがメガネでした。この頃はお客さんもメーカーも少なくて、一点一点が完全に手作りです。メガネは工業製品ではなく、工芸品の域にありました。
1800年代の銀無垢フレームのメガネ
2つ目の区分 1891年から1970年代まで 産業革命以降のメガネ
メタルの無垢しかないというのが1890年まで続いて、1891年に金張りという素材が生まれます。
金張りは他の金属の外側10%だけに金が巻かれている素材で、無垢じゃない。
素材コストを抑えて、大量生産・大量普及を目指す動きが始まったんです。
金張り素材で作られたメガネ
アメリカでは1860年代ごろから産業革命が本格的に進みますが、メガネが一点ずつ作られる工芸品から、大量生産の工業製品に変わっていくというのが、産業革命以降です。
それが1890年代になって、メガネを大衆に向けてたくさん作っていこう、そのためにもっと一個あたりの製造コストを落とそう、素材のコストも落としていこうという流れの第一歩が、1891年の金張りの開発です。
プラスチック素材も1900年あたりから出てきます。そこから第二次対戦くらいまでは機械を人の手で動かしながら、大量生産を目指して試行錯誤を重ねていく感じですね。
金張りフレームの裏側には12kの文字が見える(提供:ソラックザーデ)
3つ目の区分 1970年代以降 グローバル製品に変わるメガネ
1960年代よりも前は情報やビジネス自体がすごくローカルで、メガネもアメリカのブランドはアメリカで生産して、フランスのブランドはフランス生産してという風に、国の中で完結した産業になっていて、国ごとに製法やデザインに特徴がありました。
理由は無いけど昔からこの順番で作っている、というような生産上の慣習がデザインに反映されていたんですね。
1950年代 フランス製造のメガネ
1960年代にベトナム戦争があって、世界的に大不況になります。例えばアメリカだと、アメリカ人がメガネを作っている限り、素材のコストを落としたり生産効率を上げたりしても限界があるので、海外生産が始まります。
アメリカ国内の市場にも、アジア製の製品が出回り始めます。また、メーカーが更に大量に生産するっていう前提で、海外に向けて製品を流通させ始めます。この流れの中で、世界的にメガネの規格や作り方が統一されてくるようになりました。
1960年代以前には残っていた、国ごとの生産上の慣習も無くなっていきます。メガネが生産も流通もグローバルな製品に変わるのが、1970年代以降ですね。
メガネがグローバルに流通し始める。
昔はこんなにあった!アイウェアのサイズバリエーションについて
——古いメガネは同じデザインでたくさんのサイズがあるんですね。
1960年代製造のアメリカのブランド、タートオプティカルのメガネ。同デザインでサイズ/カラーバリエーションが豊富なのが特徴。
そうなんです。特に1890年代から1960年代というのがサイズバリエーションがすごいんです。1800年代初頭〜中期のメガネはお金持ち向けなので、オーダーメイドに近いというか、サイズバリエーションを作るほど大衆向けじゃありませんでした。
産業革命を経験し、大量生産を目指している時期だからサイズバリエーションが沢山あるんです。1970代以降は更に効率的に大量生産を行うためにも、1デザインにつき1サイズを大量に作るという発想になっていきました。
——逆にデザインのバリエーションが増えたということですか。
そういうことです。1960年代末にはフランスでも五月革命があったりして、戦後の保守的な時代の反動として自由主義が爆発しました。メガネのデザインも自由で独創的なものが増えました。
自由主義の興隆の影響を受け、メガネにも多彩で自由なデザインが生まれた。
また、1970年代〜1980年代にかけて、大きなデザインのメガネが世界的に流行しました。大きなデザインのメガネは個人の顔ごとにサイズを合わせる必要がそれほど無いため、1デザイン1サイズ、デザインバリエーションを沢山作るという流れを加速させました。
ヴィンテージ・アイウェアはこんな所から発掘されている
——こんなに沢山のヴィンテージアイウェア、どんな所から発掘しているんですか?
世界中に仕入れに行っていますが、フリーマーケットには行かないです。一番最初は商店街にある様な、古いメガネ店を回ったりしていました。そういう所からも30年前とか20年前の物なんかはポロポロ出てきます。
海外の倉庫から発見されたデッドストック状態のアイウェア(提供:ソラックザーデ)
メーカーの代理店にも沢山眠っています。例えばレイバンは世界で100以上の国に、国内の販売店への部品や新商品の提供拠点となる代理店があります。
90年代は特に世界中でアイウェアの取り扱いがあったので、色々な国でまだまだ代理店の倉庫にはヴィンテージ物が眠っている可能性があります。カルティエやレイバンなどの1970年代〜1990年代までの物はそういう風に探しています。
デッドストック状態で発掘されたアイウェア(提供:ソラックザーデ)
1950年代以前の物は、それぞれブランドがグローバルに展開していないので、アメリカのブランドの製品はアメリカ国内にしかありません。どこかの倉庫に放置されていた物を、たまたま誰かが見つけると僕らの所に連絡がきて、それをダイレクトに買い付けに行きます。
岡本代表自ら海外に仕入れ買い付けに行く。
(提供:ソラックザーデ)
——すごい、世界中に専属のトレジャーハンターがいるみたいですね。
世界中にコレクターは沢山いますので。そういう人間たちのネットワークもここ10年以上で各国に増えました。例えばイタリアに5人10人と居ますし、ヨーロッパに20人30人くらい居ます。
携帯にバンバン写真を送ってきたり、ドカっと見つかったから来週来てくれみたいな連絡が来たりします。
ガラスレンズの秘密。今は亡きロストテクノロジー
——フレーム以外にもヴィンテージのパーツを仕入れたりしているんですか?
そうですね。積極的に仕入れているのは、やっぱりレンズ、特にガラスレンズですね。
例えばピンクのガラスレンズや、特定の色の調光レンズ(屋外では色が濃くなり、屋内では色が薄くなる機能レンズのこと)は現代では色が出せず、もう作れなくなってしまっているので貴重です。
カラフルなヴィンテージ・ガラスレンズ
——今作れないというのは、ロストテクノロジーという事でしょうか。
ロストテクノロジーに近いですね。製造方法が違法だったり、素材が輸入禁止になったりとか。
技術的な問題もありますね。加工するための機械が旧式のために存在しなくなって、仕上げられなくなったりとか。
昔のガラスレンズは度が入っていないんですが、現代のレンズメーカーに、度入りのガラスレンズを作ってもらっています。昔は作れていたガラスレンズを、現代の技術で復活してもらえる様にリクエストしたりもしています。他店では取り扱ってないレンズがソラックザーデでは買える様になっています。
——プラスチックレンズとガラスレンズの違いはどういうところにありますか?
まず質感ですね。光の抜け方一つ取っても、例えばこのライトはガラス。これはプラスチック。全然質感が違うでしょ、ガラスとプラスチックで。
ガラスのライトの光の抜け方。
こちらはプラスチックのライトの光の抜け方。
1950年代や1960年代は、まだプラスチックのレンズが使われてない時代です。その時代のフレームの質感とマッチするのは、断然にガラスレンズ。フレームをもう一つ上の印象に仕上げてくれるのは、その時代に存在したレンズです。
ガラスレンズは質感がある反面、小さいメガネでもずっしりと重たい。この重量感が耳にかけた時に「ああ掛けてるな」というモノとしての魅力に繋がります。それに、ガラスレンズには熱・キズに強くて長持ちするというメリットもあります。
一方のプラスチックレンズにも、軽いというメリットがあります。大きいレンズのデザインでも、掛けていて疲れない。1980年代や1990年代にはメガネのレンズはプラスチックがメインになってきます。
その時代のフレームに無理やりガラスレンズを入れるよりは、プラスチックレンズを入れた方が良い場合が多いです。そのフレームにとって一番良いレンズをオススメするようにしています。
——未知の領域だったヴィンテージ・アイウェアの世界。その扉が少し開けてきました。記事の後半ではヴィンテージ・アイウェアの専門家集団、ソラックザーデが行う独自の取り組みについて語って頂きます。
ーおわりー
カバン・メガネ・アクセサリーを一層楽しむために。編集部おすすめの書籍
今や最強の"盛れ"アイテム=本格眼鏡を見つけ出して
本格眼鏡大全 旬ブランドの注目フレームを一挙1040本掲載! (BIGMANスペシャル)
いまだ収束の見えない全世界的なコロナ禍において、眼鏡は現代人の必須アイテムとなりました。
なぜか?
マスク装着が常態化したからです。
顔の半分をマスク覆われた以上どこで個性を演出すべきか?
目元です。だから眼鏡に注目なのです。
視力がいいとかコンタクトレンズ派だとか老若男女も関係ありません。
安売り店や近所の眼鏡店では種類や数に限界があります。
ネットで掘り起こすにしても、ブランド名などの検索ワードを知らなければ辿りつけません。
そこで本書です。最旬の1000本から思う存分吟味してください。
1920's-1990'sの眼鏡を約130点以上紹介。
ヴィンテージ・アイウェア・スタイル 1920's-1990's
1920年から1990年までのヴィンテージ・アイウェアを時代ごとに解説した、日本初となる書籍。
ヴィンテージショップを取材して撮影を行い、貴重な131本のフレームを「原寸」で掲載しており、多くのフレームは店で実物を見て、購入することができる。
華麗な彫金が施された 20 年代の金張りフレーム、セルロイド の艶が美しい 40 年代のフレンチヴィンテージ、[ARNEL]や[Wayfarer]といった 50 年代のマスターピース、Christian Dior や pierre cardin な ど の60-70年代デザイナーズブランド……。
本書をきっかけに、奥深いヴィンテージ の世界に足を踏み入れて欲しい。
終わりに
歴史的背景や技術革新の影響を受けて変遷する、素材や製造方法。今は失われてしまった優れた技術。世界中から遺物の様に発見される、ヴィンテージ品の数々・・。古いモノ好きに堪らないエピソードの連続に、夢中で聞き入ってしまいました(笑) 想像を超えて奥の深いヴィンテージ・アイウェアの世界。記事の後半もお楽しみに。