燕尾服で思い浮かべるイメージ
ロンドンでは10月になると朝晩は10度を下回るようになり、秋冬物のジャケットが必須。もう少しするとコートが必要になってきます。服好きとしてはもっと寒くなるのが待ちきれないところです。
以前の記事でもお伝えしましたが、私は大学でコントラバスを勉強しています。数ヶ月前に、演奏会で燕尾服(イブニング・テールコート)を着る機会がやって来ました。しかし急で用意していなかったため、どうやって調達するか考えなければなりません。
燕尾服と聞いて何を想像しますか?オーケストラの団員が着ているゆったりとした演奏着でしょうか、それともフレッド・アステアのエレガントな舞台衣装でしょうか?おそらく大半の方が前者を思い浮かべると察します。
ヨーロッパでは燕尾服=音楽家というイメージは少なからず定着しています。音楽家以外に燕尾服を定期的に着る職種は皆無であり、世界的にも王室関係の行事以外で燕尾服指定のものはないというのが現状だからです。
燕尾服とは
夜の最高礼装。源流は乗馬用のコートにあり、短くカットされた前裾や中心にスリットが入ったテール等は、鞍に跨った時に服がもたつかないようにするための名残。燕尾服の特徴として、上着はボタンを留めるように出来ていない。それでもダブルブレステッドになっているのは18世紀からの伝統を受け継いでいるため。燕尾服は第二次世界大戦以降より社交界から徐々に姿を消し始めた。現代でもオーケストラのコンサートで団員が燕尾服を着て臨むのは19世紀中頃からの伝統であるため。また燕尾服の見た目が聴衆にコンサートという非現実的な時間を実感させ得るため。そしてボタンで前を留めないので演奏者の身体の自由度が大きくなる、実用性のためだと考えられる。
活路はヴィンテージ・ビスポークにあり
燕尾服は紳士服の中でももっとも作ることが難しい物の1つとされています。前をボタンで留めない特有のデザイン。そして、フロックコートやモーニングコート同様、ウエストに張り付くようにかなり攻めたフィッティング。
そのため、一般的には仕立て屋さんでビスポークするか、サイズの合わない既製品を買うかのどちらかになります。ただ、ビスポークは学生には予算の面で難しいですし、見た目や着心地の悪い既製品には魅力を感じません。既製品をサイズ直しして着ようにも、燕尾姿は作るのも難しければ直すのも難しいのです。例えば、ウエストや着丈等は殆ど動かせません。
そこで、ヴィンテージ・ビスポークに活路を見出しました。ヴィンテージの燕尾服のほとんどが1920〜30年代製のもの。私をはじめ、現代日本人の体型が1940年代以前のイギリス人の体型と良く似て華奢なので、自分に合ったものが必ず見つかるだろうと思っていました。ヴィンテージショップを数軒回り、見つけたのがヘンリープールの燕尾服です。
お直しで紐解くヘンリー・プールの燕尾服
ヘンリープールはエリザベス女王から王室御用達(ロイヤルワラント)の認定を受ける、歴史あるテーラー。そのような由緒あるテーラーの燕尾服に出会えたことは非常に幸運なことでした。
しかし、オリジナルのトラウザーズとウエストコートは欠けており袖のライニングはボロボロ、生地はバサバサ。おまけにラペルと胸に針で刺したような傷が入っていたりと、問題が多々ありました。
ダメージがあるとは言っても、ヴィンテージのヘンリープールは着てみたいものです。羽織ってみると肩周りはソフトで演奏に最適、何より快適さに目を見張りました。オリジナルのトラウザーズとウエストコートがないというのはごく普通で、幸い同じバラシアという生地のトラウザーズやコットン・ピケ(マセラ)のウエストコートはたくさん見つかりました。
ただ、ウエストの位置がぴったりなウエストコート(袖のないベスト)とトラウザーズを見つけるのには骨が折れました。
30年代頃の燕尾服の上着はかなりハイウエストになっています。トラウザーズのウエストバンドは上着の前身頃の裾の上に来なければいけません。またウエストコートはトラウザーズのウエストバンドを隠しつつ、上着の裾と同じ長さか、あるいは少し上に来ると美しいとされています。
サイズがちょうどのトラウザーズとウエストコートを見つけたとなれば、燕尾服の見栄えも整えなければなりません。バサバサしていた生地はスチームとプレスで見違えるようになり、ラペルと胸の傷もかなり目立たなくなりました。袖のライニングに関しては日本に帰国した際、信頼できる東京都内の仕立て屋さんに交換をお願いをしました。
実際に縫いの仕事やサイズ調整、体型補正が必要な場合は職人さんにお願いするのが安心です。破れた裏地をそのままにして着続けると最終的には表地まで痛めることになります。少し長いと感じていた袖丈を詰め、背中に出ていた月皺(つきじわ)も取って頂き見た目もすっきりしました。
この燕尾服はフルハンドメイドで作られています。速く、安価なマシンで修理するのもありですが、当時の手での縫製技術を鑑みると忍びなく思います。個人的には服を仕立てた職人の名誉を傷つけるような気がします。
ベーシュの布が麻芯
お直しを担当して頂いた方によると、「全体的にはシンプルに作られてあって、それが逆に生地の良さを引き立てるような仕立てになっている。肩から裾にかけて使われている麻芯は現在では非常に珍しい」とのこと。着るほどに馴染むとされる麻芯。しかし高価であるため、現在ではサヴィル・ロウでも使うテーラーはごく僅かになっています。
過去の情報を引き出すのも、ヴィンテージの楽しみ
先ほど1932年製と書きましたが、なぜ製造年が判断出来るのか。
それは、ビスポークのスーツやコートには右胸ポケットに、持ち主の名前と作られた(完成した)日付が書かれたラベルが付いているためです。持ち主の名前を見ていると、どういう方が着ていたのか知りたくなります。名前をグーグルで調べてみると見事にヒットしました。
Ernest James Wythes(アーネスト・ジェームズ・ワイズ)氏はロンドン郊外のEpping(エッピング)という地に300エーカーの領地を所有し、名門イートン校、オックスフォードはクライストチャーチを卒業後、第一次世界大戦に従軍しています。
ここまでの情報が手に入ったのは、ワイズ氏が非常に著名であったこと、またラベルに記載されている名前の後に「C.B.E」と書かれていたからです。
「C.B.E」とはCommander of British Empireの略で年代的に第一次大戦に従軍したことがわかります。コートのラペルと胸にある傷は、実はメダルを取り付けたために出来たものなのです。彼は大戦で武勲を上げ、メダルを授与されたことが推測されます。また戦後もロンドンの超名門ジェントルマンズクラブに所属しており、燕尾服が仕立てられた当時彼は69歳、その歳でもとても姿勢が良かったことがコートからわかります。
デザインに目を向けてみると、左胸にポケットがありません。現代のスーツには当たり前のように付いているものですが1900〜1910年代頃までは付いていないものの方が普通でした。
また1930年代には厚い肩パッドを使った構築的な肩や幅広いラペルを持つものが多いですが、このコートは驚くほど肩まわりがソフトでした。前身頃の6つのボタンの配置もエドワーディアンを想起させます。初めて見た時は間違いなく1920年代以前のものだろうと思いました。
これは私の想像なのですが、69歳の男性が流行の最先端のカットを欲するでしょうか?答えはノーだと思います。現在では伝統的スタイルとして扱われる30年代のスタイルも当時は流行物、またその頃のヘンリー・プールはとても保守的な仕立て屋だったのではないかと思われます。前時代的なスタイルを保持していても不思議ではありません。
現在のワイズ氏のお屋敷 Copped Hall(コップトホール)
たった一つのコートからこれだけの情報を引き出せるのは稀ではありますが、間違いなくヴィンテージの楽しみの一つであると言えます。Provenance(出所)を知り、その品とともにこの先ずっと大切にしたいというのが私の思いです。
ーおわりー
クラシッククロージングを一層楽しむために。編集部おすすめの書籍
「世界中でもっとも階級にとりつかれた国」
〈英国紳士〉の生態学 ことばから暮らしまで
自転車を「bike」と呼ぶか「cycle」と呼ぶか、眼鏡は「spectacles」かはたまた「glass」か。イギリスの階級意識はこんなところにも現れる。言葉遣い、アクセントにはじまり、家や食べ物、ファッション、休暇を過ごす場所……あらゆるものに微妙な、あるいは明白な階級をあらわす名札がついている。「世界中でもっとも階級にとりつかれた国」、作家ジョージ・オーウェルはイギリスをそう評している。
現在の変貌する紳士服の聖地「サヴィル・ロウ」を象徴する全11テーラーを紹介
終わりに
ヘンリープールの燕尾服をテーラーの方と分析するというのは非常に贅沢な時間でした。このコートは良い材料を惜しげも無く使い、最高の技術と手間暇をかけて作られたこと、そしてその歴史を着る度に感じられる特別な存在です。ロンドンでは残念ながら良いお直しをしてくれる職人さんが非常に少なく、日本でお願いするのが最適と判断しました。修理の内容自体は地味ではありましたが、全て手でやって頂いたことに意味があると思います。