ビスポークブーツメーカーPeal & Co.(ピール&コー)
Peal & Co.という名前をご存知でしょうか?
Peal & Co.とは1791年に創業したイギリスのビスポークブーツメーカーです。
1965年に閉店するまでにジョージ5世や皇太子時代のウィンザー公からロイヤルワラントを授かり、世界各国の著名人や王室のために靴を作っていました。
ブルックスブラザーズとのダブルネームの既成靴で名前を聞いたことがある人もいるかもしれませんね。
しかし、その歴史の長さや評価の高さにも関わらず、一体どのようなメーカーだったのか、どのようなビスポークシューズを作っていたのかあまり知られていません。
Peal & Co.について調べている中で、1人の男性に辿りつきました。創業者Samuel Peal(サミュエル・ピール)氏直系の子孫であり、最後の経営者John Rodney Peal(ジョン・ロドニー・ピール)氏のご子息であるBernard Peal(バーナード・ピール)氏です。
今回、幸いなことにバーナード氏に詳しいお話を聞くことが出来ました。
記事の前半では歴史を深く掘り下げ、後半では氏へのインタビューをご紹介します。
Peal & Co.の歴史を紐解く
Peal & Co.の長い歴史の幕開けは1791年にまで遡ります。創業者のサミュエル・ピール氏はイングランド北部のダービシャー出身の靴職人で、ロンドンのStepney Green(ステプニーグリーン)にお店を開きます。
同年には防水加工革を発明し特許を取得。店舗を街中に近い7 Frederik Place Tottenham Court Road(トッテナムコートロード付近フレデリックプレイス 7番地)に移します。
サミュエル氏は1818年に亡くなってしまいますが、店は息子のNathaniel(ナサニエル)に引き継がれ、1830年には更に中心地に近い11 Duke Street Glosvener Square(グロブナースクエア付近のデュークストリート 11番)に移転することに。
デュークストリート時代はその後の運命を決める重要な時代でした。1851年に開かれたロンドン万国博覧会にPeal & Co.も出展し、ヴィクトリア女王とアルバート公からお墨付きを頂いたからです。
アルバート公からの賞状
その結果ヴィクトリア朝時代の富裕層の顧客を大量に獲得するに至りました。1886年には一等地、487 Oxford Streetに進出しますが、会社の勢いは止まらず487番地の土地を買い取ってしまうほど。
1888年には65 Jeddo Road(ジェッドロード)に工場を開設、他にもNorthfields(ノースフィールズ)にタンナリー(革の鞣し工場)を持っていたようです。そうして200人以上の従業員を抱えるまでに成長します。
ロンドンのヴィンテージショップ、ホーネッツがアーカイブとして保管している、1930年代に作られたシューズ
1960年代の珍しいクロコダイルのローファー(著者の友人所有)
1941年Flack Smith(フラック・スミス)を、1952年には同じOxford StreetにあったBartley&Sons(バートリー&サンズ)というブーツメーカーを買収。ビスポークシューメーカーのFoster&Son(フォスター&サン)が現在掲げているキツネとブーツのマークは、もともとはPeal & Co.がBartley&Sonsから引き継いだものです。
1889年からはアメリカやヨーロッパでのトランクショーをスタートし、アメリカは主要マーケットとなりました。1922年から1964年まで春と秋の年2回北米を訪れていたようです。
1959年、栄光のOxford Street時代に終わりが訪れます。より大きな店舗を求め近くの48 Wigmore Street(ウィグモアストリート 48番地)に移ったのです。
そしてその6年後、高い技術を持った職人欠如に伴い、質の低下を免れないとして、1965年2月に惜しまれつつその174年の歴史に幕を下ろしました。
写真提供:バーナード・ピール氏
Peal & Co.を見て育った稀有な存在、バーナード・ピール氏インタビュー
ーー今日はお時間を頂きありがとうございます。よろしくお願いします。
バーナード氏 : こちらこそよろしくお願いします。私にインタビューに来るのは後にも先にも君だけでしょうね。
ーーそれは責任重大です。早速質問に移らせて頂きたいのですが、Peal & Co.はとても大きな組織だったのですね?
バーナード氏:そうですね、靴の販売やオーダーを取る店舗以外に、工場とタンナリーを所有し、職人も常に100〜200人ほど抱えていました。ビスポークブーツメーカーとしては最大規模でしょうね。
ーー 通常、1つの建物で製造と販売が一緒に行われていますが、それらが分離されているのはとても珍しいです。タンナリーまで所有していたのは驚きました。そういえば、ピールの革はどこのものとも似つかない独特の表情があります。
バーナード氏:全て自社製にこだわっていました。ピールのオリジナルのラバーソールなどもあります。工場の住所「ジェッドロード」と有名なダイナイトソールをかけ合わせて、JEDDITE(ジェッダイト) という名前です(笑)
ーーユーモア溢れる名前ですね!
バーナード氏:また店舗と工場が別会社だったのも興味深いです。
ーーPeal & Co. Ltd という1つの会社ではないのですか?
バーナード氏:表向きにはそうなのですが、実際には店舗が工場に投資し、靴を作らせて、それを売って店舗に投資が還元されるというシステムを取っていたようです。なぜかは私もわからないのですが。工場のことはJeddo Works(ジェッドワークス)と呼んでいましたね。
ーーなにか重要な意味があるのでしょうね。
バーナード氏:面白い資料があるのでお見せしましょう。これらは経営者側が定期的に開いていた従業員全員での夕食会、運動会、水泳大会のプログラムです。
ーー運動会と水泳大会ですか!夕食会では美味しそうなものをたくさん食べていますね。ライブの音楽付きというのも贅沢です。
バーナード氏:工場近くに運動場を持っていましたからね。店が閉店した後も当時勤めていた職人に会うとピールは大きな家族のようだったと私に言ったものです。ちなみにフォスター&サンのテリー・ムーアさんは彼が13か14歳の頃、私の父が雇い入れたと聞いています。
ーー心温まるお話です。伝説と呼ばれるテリーさんのキャリアはピールで始まったのですね!
夕食会のチケット
ーーPeal & Co.についての1番の思い出はなんですか?
バーナード氏:ずばり、Jeddo Roadの工場です。土曜の午後に父に連れられて、お店と工場に毎週のように行ったものでした。革や木、機械のオイルの混ざった匂い、大勢の職人が黙々と各々の仕事に従事している光景が鮮明に浮かび上がってきます。中でも木のブロックからラフ・ターンを製作するラストルームの光景は強烈でした。
ーーお店の外観や内部はどのような感じだったのでしょうか?
バーナード氏:ウィグモアストリートのことはよく覚えています。1階部分が店舗になっていて、2階がオフィス、地下で仕上がった靴の仕上げをしていました。写真も残っていますよ。オックスフォードストリートのお店についてはとにかく暗かったことは覚えています。
ーーありがとうございます。Peal & Co.の資料はお父様から受け継がれたものですか?
バーナード氏:そうですね、父がずっと保管していたものがほとんどです。古いものだと創業当時ものもあります。ただ、デュークストリート時代のものは住所の入った手紙があるのみで、君のライディングブーツケースの写真を見た時は心底驚きましたよ。いつか実物を見てみたいものです。
ブルックスブラザーズと提携、既成靴の展開
ーー最後の質問ですが、ブルックスブラザーズとの関係はいつ頃始まったのでしょうか?
バーナード氏:おそらく1940年代後半だと思います。ブルックスブラザーズがイギリス製品の買い付けをするためロンドンオフィスを設立した時の担当者と私の父は友人だったのです。その担当者から既製品をブルックスブラザーズで展開したいというところから始まりました。
しかし、ピールはビスポークシューメーカーですから既成靴は作っていません。そこでエドワードグリーンにラストや革などを提供し、別注という形でブルックスブラザーズとピールの既成靴が誕生したのです。
ピールの閉店が決まった際、ピール&カンパニーの名前を残したかった父はブルックスブラザーズと粘り強く交渉し、彼らに名前を買い取ってもらうことに成功しました。そのため閉店後もブルックスブラザーズの靴にはピールの名前が刻まれ続けているわけです。閉店後からはエドワードグリーンに代わり、クロケット&ジョーンズやチャーチが作っていました。
バーナード氏の自宅にて保管されているオリジナルのロイヤルワラントと店舗の看板
ーーエドワードグリーン製の既製靴はピールの靴を完璧に再現していますよね。革も同じものを使っていてこだわりを感じます。デザインも忠実でピールフェイシング(スワンネック)やメダリオンもビスポークと同じです。
バーナード氏:とても質の高い既成靴だったようですね。父も自分用に何足も作らせていましたよ。今では自分で作った物が1足だけ残っているだけです。
ーー私が今日履いているものと全く同じデザインですね!
バーナード氏:これも何かの巡り合わせでしょうね。父は殆ど手入れをしていなかったので、君の物ほど美しくありませんね。
ーーそうとう履かれていますね。
バーナード氏:これは1番気に入っていましたからね。
ーー今日は本当にありがとうございました。
バーナード氏:いえいえ。力になれたかどうか。また遊びに来てください。
取材後、氏より素敵なプレゼントを頂きました。創業者サミュエル・ピール氏の名刺です。およそ200年前のものと思われます。バーナード氏が所有する2枚の内の1枚ですが、氏のものはS.Peal、私のものがS.Peelという綴りになっています。当時はさまざまな綴りがあったそうです。
ーおわりー
終わりに
Peal & Co.について調べてみて、相当な量の情報が大切に保管されていて大変驚きました。家族経営の恩恵と言っても良いかもしれません。また貴重なお話を聞かせてくださり、大切な資料をわけてくださったバーナード氏に感謝します。ロンドンから電車で1時間程にある静かな村で暮らす氏の趣味はクラシックカー。インタビュー当日は1957年製のRiley 2.6 (ライリー・ツーポイントシックス)に乗って駅まで迎えにくださいました。とても気さくな老紳士です。この記事を通してピール&コーについてもっと知って頂きたいと思います。