そこには今後も受け継ぐべき「本物の体験」があるのか
世界のファッション業界から注目を集める日本のマーケット
成松:タケコシさんはイッセイミヤケやグッチ by トムフォード以降も、バーバリーやエルメネジルド・ゼニアなどにも携わられていますね。
タケコシ:はい。どちらも本国と日本の代理店、双方から直接依頼を受けてクリエイティブディレクターとして従事していました。
Ermenegildo Zegna在籍時のタケコシさんのデザイン画
成松:インポートブランドをそのまま持ってくるのでなく、日本国内にローカライズすることもあったと思います。
タケコシ:日本にはファッションコンシャスな若者が多く、新しいマーケットを試す実験場としての価値があるんですよ。
本国から試作品が届けられるのですが、伝統ある「おじさんブランド」だと若いデザイナーを使っていてもどこかダサいアイテムになってしまっていたりする。そこを実際のトレンドに合わせていかなければならないのですが、正しく否定してこちらの提案を通すのがなかなか難しいんですね。はなから「これはダメですよ」といってしまうと、「なんだって? これを売りたいんだからやってみてくれ」っていわれ、見事に失敗してしまいますから。
成松:日本のマーケットに合わせることも大切ですよね。世界で活躍されてきたタケコシさんだからこそ、手腕が発揮されるところなんでしょう。
バーバリーは国内の営業権が三陽商会から本国に渡りましたが、若者向けのアイテムが好調でリブランディングに成功しましたよね。バーバリーの背骨は何だと思いますか?
タケコシ:やっぱりトレンチコートとギャバジンという生地にありますね。イギリス人がよくいう「ヘリテージ」。受け継いでいくべきものですね。その背骨を大切にしつつ、ショーでは下半分をなくしたトレンチコートを出したりとイメージを刷新していました。
そうしたおかげで若い子たちに「かっこいいブランド」だと認知されたんです。何十万円もするトレンチはなかなか手が出ないけど、Tシャツやトレーナーは買いたいな、と。
成松:長らくコートやスーツと親和性の高い「おじさんブランド」という印象を持っていた方も一定数いたように思いますが、そうしたリブランディングで若返りを成功させたんですね。
タケコシ:そうですね。ヘリテージを大事にすることですね。
自身のこだわりが詰まったオリジナルブランド「スミズーラ」
成松:そしてスミズーラという、ご自身のブランドも立ち上げられました。
タケコシさんが立ち上げたメイドトゥメジャーのブランド「NAO TAKEKOSHI Su Misura」
タケコシ:個人的に興味のある、趣味的なオーダーメイドだけのメンズブランドです。
メンズの醍醐味は、オタク的な良さがあるところ。こだわりのある特殊な作り方を追求してみたくなったんですね。イタリアのサルト(テーラー)には一切量産をせずオーダーメイドしか受け付けないところがいっぱいありまして、その人達を組みました。デザイナーズブランドとしてのセンスと、テーラーのクオリティを融合させたかったんです。
成松:ものづくりの粋を極めたような。
タケコシ:僕はこれまでデザイナーズブランドでやってきましたけど、クオリティはそこそこかな……と思うことがけっこうありまして。
一方、テーラーにおまかせすると、どうしてもおじさんっぽさが出てしまい、それにも納得行かなくて。だから、自分がやりたいモダンなデザインを、最高の技術で作ってみたかったんです。
成松:オーダーメイドブランドということは、採寸からやられているわけですか?
タケコシ:はい。正しく採寸するために、イタリアからテーラーがやってきますよ。そういったサービスも、体験的におもしろいのかなと思いますし。
成松:これまで携わってきた大きなブランドと、そうしたごく一部の顧客に向けたプライベートブランドでは何が違いますか?
タケコシ:お客様だけのために特別なものを作るわけですので、接する時間も濃密になりますし、いろいろな人と接する機会も増えます。
自分にとっても、お客様側の意見を直接聞けるし、いろんな体型を生で体験できるので動きやカッティングの勉強になるんですね。それは既製服では味わえない体験です。
本物のブランドたらしめるのは「カルチャー」
成松:僕はブランドというものの範囲を広くとらえ、それこそ一個人が立ち上げたばかりの小ロットな商品でも一種のブランドだと考えているんです。
世界的に広がる所謂ハイブランドから、ごく小規模なブランドまで、大小さまざま存在する中で、どこに違いがあると思われますか?
タケコシ:つまるところ、提供の仕方に違いがあるだけかもしれませんね。
成松:今年亡くなられた著名コピーライターの小霜和也さんは、「ブランドとは、そこから得られる体験の保証」とおっしゃっていてなるほど、と思いました。
「どのような価値を体験させられるか」が充実していればブランドの規模の大小は問わないのでしょうか?
タケコシ:最終的にお客様が得ることができるのは、たしかに「体験」でしょうね。
商品を購入し、家に帰って袋から取り出し、箱を開けるまで、すべてのクオリティが保証されているじゃないですか。そして、商品を着て鏡に映し出された自分の姿も、着心地の良さも、ずっと続く。
成松:商品やサービスを体験するに至るまでの過程に違いはあれど、本質的には共通する部分は多いと。
タケコシ:モノってひとり歩きするもので、手に入れたあとはどのブランドの商品であれ重要なことは同じだと思うんですよね。
ジャケットを羽織ったあとに「あのときの採寸は楽しかったな」とか、ボタンホールを見て「やっぱり手縫いはいいな」とかのストーリーを思い出すのか。
得られる体験に満足できるかどうか、だけですよね。
成松:タケコシさんからは、よく「オーセンティック(本物の)」という言葉が出てきますが、それは服のテイストのことだけでなく、「体験」についても当てはまることですか?
タケコシ:あらゆる点において、僕が絶対に求めるのはクオリティなんです。そして人間は、一定以上のクオリティを満たしたものについては、純粋な好みで選ぶようになる。
女性がバッグを購入するときにシャネルとディオールのどちらを選ぶのか、スポーツカーならフェラーリなのかランボルギーニなのかというのと同じで、どのブランドも前提として期待以上のクオリティを秘めているんです。そうなったら、判断材料は好みだけで。
成松:そのレベルに到れるのが、本物のハイブランドだと。
タケコシ:そうです。その上にデザインがある。オーセンティックってまずブランドとして絶対に保たなきゃいけないことなんですね。
このご時世、ハイブランドからオーセンティックなアイテムが登場すればすぐファストファッションブランドに真似されてしまいますけど、ハイブランドが持つカルチャーや香りまでは作れないわけですよ。
成松:確かに、フェイクはどうやったって本物にはなれませんね。
タケコシ:昔、とあるイギリスの高級車メーカーの関係者が「まだ日本は車が作れない」といっていました。いくらエコで高性能な自動車を作れていても、革命的なモータリゼーションを生み出したヨーロッパ車のカルチャーには比肩しないのだと。
僕が手掛けるファッションも、カルチャーがあるからファッションなのであり、ただの衣服ではないんです。昨今では機能を重視したクロージングが多く、それらも出来のいい製品ではあるし、れっきとしたブランドではあるんですけどもね。
成松:でも、カルチャーがなければ単に寒さや日差しから身を守る道具のようなものになってしまって、価値が目減りしてしまう。
タケコシ:興味深いのは、そうしたカルチャーはモノから確かに伝わるということ。
アート作品もイッセイミヤケの服も、ちゃんと理解できている玄人が見ればいいモノだと判断できるんです。それはやっぱりある意味オーセンティックと呼べるような、つまり今後も受け継いでいく価値があるモノだと認められたということになるんじゃないかな。
日本ブランドが陥りがちな罠と再認識すべき価値観
「どこにもないモノ」がブランドの背骨になる
成松:昨今ではファッションやメーカー、飲食業以外でも、「ブランディング」に力を入れる企業が増えているように思います。先程の話に出たカルチャーが希薄でも、機能や価格に強みを設けたりと工夫をこらして。
ただそこでいうブランディングとは結局なんなのかが今一つはっきりしないケースもあるように思います。
タケコシ:そうですね。従来はブランディングをそこまで意識せずに商売してきた人たちが大多数だと思うんですけど、マーケティングの重要性が広まると同時に、ブランディングという概念が日本でもちょっとずつ定着しはじめたんだと思います。
成松:始めることのコストが下がりどんどん参入も増えて競争も激化するので何か差別化の対応を取らざるを得ないですよね。
タケコシ:それに、自ら発信していかないとなかなか人に届けられない時代にもなってきているじゃないですか。開化堂の茶筒のように、いいモノは自然と広まるのはそのとおりですけども、情報にあふれた現在だと自分たちから発信していかないといけない。それもあってブランディングの戦略を練る必要性が高まっていると思いますよ。
成松:ファッションの世界で、ライフスタイル展開を打ち出したアメリカブランドにヨーロッパ勢が学んだように。
タケコシ:そうですね。特に高級なところほどシビアな世界ですので、ハイブランドといわれるところから「ザ・ブランディング」みたいなものが世界的に広がっていったんでしょうね。
成松:ブランディング戦略を進めるにあたり、大切なのは何だと思いますか?
タケコシ:言葉と行動は別だっていうじゃないですか。いまはSNSもあっていろいろな方法でメッセージを発信できますけど、実際にどのような行動を起こしているのかが重要です。
それこそ、実際に「体験」してみれば一発で見抜けるんですよ。行動が伴っていたのかが。マーケティングだけうまくても、中身が伴ってなければウソと同じ。そういう会社が続けられるかというと、怪しいと思いますね。
成松:僕もそう思います。ブランドは、誠実な行動も示さなければいけませんよね。
ちなみにリブランディングするにあたっては、ブランドのヘリテージを大切にすることが重要だとお話いただきましたけど、ゼロから作る場合は何が「背骨」になると思いますか?
タケコシ:やっぱり「どこにもないモノ」ですね。他にない、絶対的なモノ。ほんのちょっとでもいいかもしれません。巷の流行に合わせて生み出したモノだと、ブランドを支える“背骨”にはならないと思いますよ。
塗り替えられる旧来の大量生産・大量消費体制
成松:最近では「社会性をつけなきゃいけない」みたいな流れがありますが、それについてはどう思いますか?
タケコシ:あまりに薄っぺらくて、それについてはどうかと思っています。僕の個人的な見解なんだけども、「金儲けだけするのはどうか?」というヒッピー世代から築き上げてきた大人に対する価値観が、今熟してきてると思うんですよ。拝金主義や企業の社長を疑おうという反逆心があり、大人の世代とは違う社会で新事業を立ち上げたいという、ある意味青臭い理想像。ピュアじゃないんですけど、それがかっこいいんだっていう価値観を作り出してきたのがシリコンバレーだと思うんです。
成松:シリコンバレーが生み出したITは、それまでのビジネスや働き方を一変させましたもんね。
タケコシ:今の若い子たちはまた次の世代。公害やゴミの問題、貧富の差など、こんな世の中にしてしまった大人への不満を持っている。ブランドとしてそうした課題を解決する商品やサービスを提供する動きもありますけど、金儲けが大前提だから、不満というニーズの上澄みをちょっとすくっただけのようなモノも多い気がしています。
成松:目先の利益だけを追うようでは、「社会性」云々という話にはならないですよね。
タケコシ:若者はちゃんと見抜いていますよ。とある国際的な環境会議のため、200機近いプライベートジェットが利用されたなんていうニュースも目にしましたけど、そういう欺瞞がバレてしまう時代になってきていますから。
成松:一昔前までは、明るくて華やかなライフスタイル像を見せるだけで売れていましたけど、今はサステナブルな姿勢だったりと、本質的なところまでちゃんとした考えを持っていないと受け入れられなくなっていますね。
タケコシ:これまでのファッション業界にもあった、大量生産・大量消費というのは根本的に変わっていくでしょうね。安いからと購入しては、すぐダメにして捨てるようなものは。実はテーラーでオーダーメイドした服って、長く着れるという意味では完全にエコなんですけどね。
成松:スケールメリットを活かせない小さいブランドだからこそ、そうした理念を大切にできるかもしれない。
タケコシ:大量生産・大量消費を続けること自体、時代を読めていないということで問題意識を持たれますからね。そうしたブランドが、トレンドを大切にするファッションを語れるのか。
日本ならではの価値を今一度認識するべき
成松:ここしばらくの日本はずっと効率と売上至上主義に傾注してきたけれど、逆にそのことによって首を締められている部分もあると思うんですよ。
タケコシ:そうなんですよ。肝心なものづくりを忘れてしまったんじゃないですかね。悪い副作用が今出てしまっていて。
成松:そうですね。今若い子に聞いてみると、時計を買うにも「高く売れそうだから」だというんです。事前にメルカリで値段を調べるそうで。「かっこいいから買う」ならより理解できるのですが。
タケコシ:まあ、それがブランドの普遍的な価値といえるのかもしれないですけどね。
成松:「You are what you eat」という言葉がありますが、同様に感性や知性などの領域では「体験」したものの複雑性と奥深さによって将来の自分ができあがってくるところもあるじゃないですか。その「体験」が、換金価値だけに依存しているというのは怖いことだなと思うんですけどね。
タケコシ:オメガのスピードマスターが「人類ではじめて月に行った腕時計」であるように、そういうストーリーまで味わえるのならいいのですけどね。
成松:なんだか、全体的に価値観が一本調子になってるというか。日本にはもっと多様な価値観があったと思うのですけども。
タケコシ:僕が出会った世界の一流のデザイナーたちは、みんな日本の文化に関心を示していましたよ。茶の湯や禅、昔からのデザインなどにね。日本にはミニマリズムの源流があり、みんな日本に来ては「なんて美しい国だ」と感動するんです。
最近はブラジル出身のアメリカ人だというカルバン・クラインのクリエイティブディレクターが来日して一緒に仕事をしたんですけど、合間を縫って東京や京都を見回り、ちょっとした日本オタクになっていました。京都の伝統美から今のモダンデザインまで、崇拝してるんですね。
日本人は、自分たちの身近にある魅力や価値をもっと知ったほうがいいと思いますよ。
成松:僕が関わっているITやバイオの業種では、日本は世界に負け続けているように感じていますが、そうした硬直した価値観も影響を及ぼしているように思っています。そういう意味では、ファッションはどうですか?
タケコシ:似たような問題は抱えていると思いますけど、ファッションは天才が現れる限りはどうにか持つんですよ。各時代に、必ずそうした天才は生まれてくるものです。
若者をインキュベートして良好な関係を築く
成松:天才はどうやって生まれるんですかね? 教育方法?
タケコシ:まったく謎ですね。教育方法によっては秀才が生まれると思うのですけど、天才にとって後天的な環境はあまり関係がありません。
投資家のピーター・ティールが「ゼロ・トゥ・ワン」という本を書いていたように、イチからなにかに派生させるというのはものすごく簡単だけど、ゼロから生み出すのはとても大変なこと。天才は、そうしたこともやってのけてしまうんですよね。
ちなみにアメリカでは、これまで独自性を伸ばすような教育を行ってきていましたけど、最近では恐ろしいほどの詰め込み教育も施すようになってきました。アメリカでさえ、天才や秀才を発掘することに危機感を持っているんです。そうした状況を見ていると、ますます日本は大丈夫かなという気になってしまいますね。
成松:中国の教育もすごいですよね。アメリカに追いつけ、追い越せで。それに大量の人が大量の競争をこなすから。
世界にはそうした国があるなかで、やっぱり日本は日本という文化や環境、感性を大切にした上で独自性を磨くことが、違いを生み出せる道だと思うんですよね。
タケコシ:そうですね。ありふれた表現になっちゃうけど、個性をいかに伸ばすか、ですよね。企業は「個性のある人材を求めてます!」とかいいながら、リクルートスーツを着ていなかったり金髪に染めていたりしたら採用しないわけで、そういう矛盾があると何を信じていいのかわからなくなってしまう。
「周りに合わせたほうが得だ」とどんどん刷り込まれていけば、個性なんか育ちませんよ。そうした負の要素が、日本の文化、社会にはあるような気がしています。
成松:それは間違いなくありますね。年功序列による弊害も、出る杭は打たれる的な社会性もありますし。
タケコシ:維新を起こした人たちの年齢を考えてみてください。みんな20代だった。いまでいうスタートアップですよね。「おじさん」ではなかった。本当は出る杭を打つよりも、そうした若者をインキュベートする立場になればいいんですけども。
若者を支援すれば、彼らの考えを学べたりエネルギーをもらえたりという利点もあって、良好な関係が築けるんですけどね。
成松:年を取って「昔はよかった」なんていうのは最悪ですよね。何事も頭から否定せずに、世の中の変化を受け入れたい。
タケコシ:はい。まずは受け入れてみて、そこからは単純に自分自身の好き嫌いで判断すればいいと思いますよ。