コレクター棟田響さんより
「Power100」で2017年に2位となったピエール・ユイグ(Pierre Huyghe)、コンセプチュアル・アートの先駆けのローレンス・ウェイナー(Lawrence Weiner)、国立国際美術館で個展が開催されたライアン・ガンダー(Ryan Gander)、リレーショナル・アートの代表作家リアム・ギリック(Liam Gillick)と錚々たる作家の個展をTARO NASUで見ることができます。また、那須さんはギャラリストとしての活動に留まらず、岡山芸術交流という見応えのある国際展のディレクターも務めております。
こう書くと敷居の高いギャラリーに見えますが、有名作家でもリーズナブルな作品もあり
ますし、若手の日本人作家もおり、高額な作品だけではありません。コンセプチュアルでクールな作品が好きな方なら、アートにあまり詳しくなくても間違いのない作品を選べるギャラリーです。いつもおしゃれでスマートな那須さんですが、ギャラリーを現在のポジションに持って行くまでは相当な努力があったのではと思います。那須さんはビジネスマンとしても非常に有能だと思いますので、そういった側面も今回は聞いてみたいと思います。
物じゃないものを売るTARO NASU
棟田響さん(以下、棟田):はじめに伺いたいのですが、那須さんは「コンセプチュアル・アート」をどう定義されていますか?
那須太郎さん(以下、那須):狭義と広義の意味があり、狭義には60年代半ばに始まったアートの動向を指す言葉ですよね。でも広い意味では、美術の概念や理論そのものを問い直すことに焦点をあてたアート作品のことを示していると思います。
逆に言うと、この捉え方がある種の物差しにもなるかもしれませんね。現代美術においては「なぜこの絵を描いたのか」に説明が求められる。花瓶の絵を描くなら、「なぜ今それを」という疑問に備える知性が必要です。そしてその答え次第によっては、花瓶を描いた油彩画であってもコンセプチュアル・アートとして成立すると思います。
取材の日はローレンス・ウィナー新作個展「OFTEN ADEQUATE ENOUGH」が開催されていた。
棟田:狭義で言うところのコンセプチュアル・アートを中心に取り扱うギャラリーは、ほとんどみかけません。1998年のオープン当時はなおさら珍しい存在だったのではないでしょうか。
那須:ないですよね。絵の方が、確実によく売れるからね(笑)。実際、僕自身もコンセプチュアル・アートには分類されない作品も大好きだったし、画廊で扱ってもいました。
棟田:アートを資産ポートフォリオに組み込むようなライトな富裕層は増えてきましたが、コンセプチュアル・アートの購入には、依然としてハードルの高さを感じます。
那須:コンセプチュアル・アートのような「物じゃないようなもの」を買う人は本当に少ないです。香港のアート・フェアでも「どうやって買うんですか?」「この作品、買えるんですか?」と聞かれます。「作品証明書が届くので、その紙1枚を金庫に入れておいてもらえばいいんですよ」って説明をして。
だからティノ・セーガル(Tino Sehgal)のような、物ではない作品、売る側もどう売ればいいのだろうというものを買ってくれる人がいると良いお客さんだなと思ってしまいます(笑)。
棟田:ティノ・セーガルの場合、それこそどうやって売り買いするんですか?パフォーマンスの映像を納品するとか?
那須:本人と買い手と立会人の3人で、指示書もなにもなく口頭伝承で受け渡しをするんです。でも、物じゃないものの方が安心だと思いませんか?だって、壊れないんですよ。
棟田:たしかにそうですね(笑)。現在はコンセプチュアル・アートを中心に扱っているかと存じますが、TARO NASU最初の所属作家は、写真家の松江泰治さんだそうですね。TARO NASUがオープンした当初、写真を扱うギャラリーは一般的だったのでしょうか。ペインターではなく写真家を選ばれた理由をお聞かせください。
那須:1990年代後半、日本人のペインターを海外の作家と同じスピードで土俵にあげるのは難しいと考えていたんです。ルネサンス期以来絵画技法の主体になった油絵には長い歴史があるけれど、日本に入ってきたのは200年前くらいの話。西欧と比べると歴史が浅い。一方で写真は、ほぼ同時期に日本を含む世界中に普及しました。世界の美術業界で勝負するならば、歴史のハンディキャップがない写真が良いだろうと考えたんです。
棟田:コンセプチュアルなアーティストも積極的に紹介するようになったきっかけはありますか?
那須:きっかけはライアン・ガンダーです。うちで展覧会をする何年か前から、彼のことは知っていたんです。アート・バーゼルと同時期に開催されるサテライト・フェア「VOLTA」に、立ち上げの頃の2,3年出展していました。ある年のオープニング中、何度もばたばたと音が聞こえてきて、設備でも壊れているんじゃないかと思ったんだけど、それが実はロンドンの若手ギャラリー「STORE」のブースで、ライアン・ガンダーの石の作品が倒れる音だったんです。
棟田:そういう仕様の作品だったのでしょうか。
那須:わざとじゃなく、皆に蹴飛ばされて(笑)。「何だろう、この作家は」と興味をもち、彼をきっかけに、コンセプチュアル・アートを中心にやっていこうと決めました。
それは2008年前後のことだったのですが、今、時代が、物よりコトの消費に関心を向けていたり、情報というものの価格と価値が取り沙汰されることが日常的になっていますよね、そう考えると、コンセプチュアル・アートに現実のほうが追いついてきているような気分にもなります。
©Ryan Gander Courtesy of TARO NASU Photo by Keizo Kioku
棟田:那須さんは、作家選びに基準はありますか?
那須:いろいろありますが、そのうちのひとつは会話していて面白いこと。人間の相性の話みたいにも聞こえるかもしれませんが、経験的にはコンセプチュアル・アートにおいて、会話をして面白くない作家は、その作品も、少なくとも僕にとっては面白くないような気がしますね。会話のはしばしに、独自の世界観やアプローチがうかがえて、単語ひとつで会話の流れを変えられるような作家はやはりその作品も刺激的です。
作家は皆、常に先のことを考えているから、彼らとは会うたびに今、考えていることや「将来こんな作品を」という話をします。しばらくして発表された作品から「あの時、話していたプランだ」と感じられた時は本当にわくわくするし、この仕事をしていて良かったと感じます。現代美術で画廊をやろうと決めたのも、生きている作家と仕事がしたいという思いからなんです。
「良いことだからやればいい」アートのアドバイザリーの重要性
棟田:9月からスタートする岡山芸術交流では、総合ディレクターをされています。総合プロデューサーは、石川康晴さん(公益財団法人 石川文化振興財団理事長。株式会社ストライプインターナショナル代表)ですね。
那須:僕は石川さんのアート・コレクションにおけるアドバイザリーもしています。石川さんのコレクションを築いていくためには、いい作品があればどこからでも購入します。逆にコレクションに合わないと思う作品については石川さんに、買わないように、というアドバイスもします。石川さんとは売買に応じたコミッション契約ではなく、年間定額のアドバイザリー契約をしています。
棟田:はじめから、コンセプチュアル・アートでコレクションをというご希望があったのでしょうか。
那須:僕の地元でもあるのですが、石川さんには生まれ育った岡山に貢献したいという考えがまずありました。最初はアンディ・ウォーホルの「最後の晩餐」の購入を考えていたようです。でも、ウォーホルの最高の作品を買うにはかなりの時間がかかりますし、仮に購入できたとして、岡山でその一点だけを展示公開してもその影響力や発信力には限界がみえています。
そこでアドバイザリーとして、「コンセプチュアル・アートなら今からでも世界一のコレクションを目指せる」と伝えました。マーケットの事情で、コンセプチュアル・アートならタイミングさえ良ければ、美術館に収蔵されるクラスの優品を個人で購入できるんです。意思決定が早い分、美術館より個人の方が有利なこともあるかもしれません。
このような判断はコレクションを形成する上で大切である一方、日本に欠けている要素でもあります。アドバイザリーについて色々な意見があるのは知っていますが、「アート界にとって良いことだからやる。それで良いじゃないか」と思っています。
棟田:石川さんとの縁の延長線上に、岡山芸術交流があるわけですが、どのようなモチベーションで関わっておられますか?
那須:1つは、乱立している国際展への問題提起です。アートにはエンタテインメントの要素もありますが、いわゆるエンタメではありません。にもかかわらず大衆化のためにエンタテインメント化されたアートとは呼べないものが溢れかえっている。そんな中で「それはアートではないよ」と示すにはアンチテーゼとしての国際芸術展が必要だと思いました。
2014年、岡山市が市の回遊性をみる調査のために石川さんにアート作品を貸してほしい、それを市内に展示したいと打診してきたことが「Imagineering OKAYAMA ART PROJECT」のきっかけとなり、その後に石川財団と市のパートナーシップで、2016年から本格的に岡山芸術交流を始めることになりました。
Michael Craig-Martin Beacon 2016 Digital print on vinyl Commissioned by Okayama Art Summit Executive Committee, Japan Supported by Okasan Securities Co., Ltd. Courtesy of the artist © Okayama Art Summit 2016 Photo: Yasushi Ichikawa
Liam Gillick Faceted Development 2016 Paint Supported by Ishikawa foundation Courtesy of the artist and TARO NASU, Tokyo © Okayama Art Summit 2016 Photo: Yasushi Ichikawa
Ryan Gander Because Editorial is Costly 2016 Stainless steel, rubble Collection of Ishikawa Foundation Courtesy of the artist and TARO NASU, Tokyo © Okayama Art Summit 2016 Photo: Yasushi Ichikawa
那須:行政が目指しているのは、芸術を使った町おこしです。でも本当に町おこしになっているかどうかは、考えなくてはいけません。町の人たちが変わらなければ町も変わりません。イベントで外から町にやってくる人たちは、一時的に来て帰っていくだけ。町は変わらない。でも住んでいる人たちに化学変化がおこれば町は変わるはず。だからまずは、町おこしではなく、ひとおこしの意識で取り組んでいます。
現代アートは、おそらくは皆が皆興味をもつものではなく、目にした中の数パーセントの人が反応するものです。ならば、なるべくパイが大きい方がいいけれど、東京、大阪などの大都市では、どれだけアートを見せても、他にいろいろな刺激がありすぎて、その中に埋もれてしまいがち。これが地方都市だとアートはとても目立つ。その意味で岡山はちょうどいいと考えています。まだ2回目の開催ですから町が変わったという実感はありませんが、続けていかなければ意味がありません。
2012年のドクメンタに石川さんと行った時、彼は「こういうの岡山でやりたいね」と言いました。その時は正直「凄いことを言う人だな!」と思いましたが、いま岡山芸術交流は、ドクメンタまでとはいわずとも、その理想に少しずつですが近づこうとしていると感じます。
抜け落ちた60年代の現代美術を埋める
棟田:いくつかのメガギャラリーがアートの市場を寡占している中で、日本のアートの状況をどう考えていますか?
那須:60年代のコンセプチュアル・アートが、現代美術の重要なターニングポイントだったと思います。けれども日本では、その時期の美術に触れる機会が少ないまま今に至ってしまいました。売れにくいからギャラリーでは紹介されず、公立の美術館もコレクションをしていない。でも60年代のコンセプチュアル・アートを抜きに、現代美術を本当に理解できるのか疑問なのです。僕個人としては、そのようにして抜け落ちたところを埋めるべく、公立美術館への様々なアプローチにも取り組んでいます。
棟田:では、ギャラリストとして目指すゴールはありますか。
那須:ないんです。現代美術には終わりがないから(笑)。
那須:日本のギャラリーが欧米と同じ土俵に立つのは、現時点でもまだ難しいです。将来的に状況が変わることがあるかもしれないけれど、それは次の世代になってからのこと。それでも僕が画廊を開いた90年代後半の、マーケットの小ささが日本のアート界にとっての問題意識だった時代を顧みれば、今は劇的に変わりました。自分たちの世代が変えたのか、そういう時代の流れに自分たちの世代がたまたま乗っかったのかは分かりませんが、マーケットの規模は確かに大きくなっています。
それでも僕はアートが大衆化することはないと思っています。どこまでいっても現代美術は非迎合的であり、テレビ番組になるようなものではない。to the happy fewということわざがありますが、どこまでも幸せな少数者のためのもの、それが良い美術の宿命なのでは……と。
だからこそ次の世代の若手ギャラリーには、私たちとは違う方法で、この先を広げていってほしいです。僕らと同じことを繰り返す必要はない。「俺たちのやり方は違うんじゃないか?」と常に問題意識をもって、新しいアプローチをしてほしいです。
—おわり—
左から:那須太郎、棟田響
TARO NASU
現代美術を取り扱うギャラリー「TARO NASU」。代表の那須太郎さんは1998年に江東区佐賀町の食糧ビルディングでギャラリーをはじめ、2008年に千代田区馬喰町に移転。そして2019年港区六本木に拠点を移し現代美術を紹介している。
興味深いのは、TARO NASUがコンセプチュアル・アートを中心に取り扱っていること。那須さん自身「モノじゃないようなもの」と形容する作品にスポットをあてている。
那須さんへのQ&A
Q. 学生時代は何をして過ごしていましたか?
何もしないと決めていたので、勉強やサークルを頑張るでもなく何もしませんでした。本を読んだり、美術館にいったりして過ごしました。
Q. 好きな本、影響を受けた本はありますか?
S.N. バーマンの小説『画商デュヴィーンの優雅な商売』は、画商になりたいと思うきっかけになりました。20世紀初頭の画商デュヴィーンが、ヨーロッパの名品をアメリカの大富豪たちに売った話を半分フィクションのように書いた小説です。イギリスの国立美術館テート・ブリテンには今でも、彼の名前がついたDUVEEN GALLERIESという、彫刻の展示に特化したギャラリーがあります。
Q. アートをこれからコレクションしようと考えている人へのアドバイス
河原温さんがあるコレクターに言ったという言葉の受け売りですが「分からないもの」を購入した方が面白いですよ。「良い」と思えるものを買うのも悪くないですが、それって、すでに分かっているものを買うということですよね?現代美術ならば、見た瞬間「何コレ?!」と思えるものを購入する方が面白いはずです。勇気がいるかもしれませんけどね。
Exhibition
サイモン・フジワラ「The Antoinette Effect」
TARO NASUでは7月13日から8月10日にかけて、サイモン・フジワラ新作個展「The Antoinette Effect」を開催している。
会期:2019年7月13日(土)-8月10日(土) 火-土 11:00-19:00 日月祝 休
会場:TARO NASU
サイモン・フジワラ| Simon Fujiwara
1982年、イギリス生まれ。 現在ベルリンを拠点に制作活動。日本人の父とイギリス人の母を持つ。演劇性の高いパフォーマンスやインスタレーション、彫刻、ビデオそしてテキストといった多様なメディアによって創出されるフジワラの作品は国内外で高い評価を得ている。
2010年 Frieze Art Fairにて カルティエ賞受賞。主な展覧会に 2015年「Storylines: Contemporary Art at the Guggenheim」(グッゲンハイム美術館、ニューヨーク)、2015年「History is Now: 7 artists take on Britain」(ヘイワードギャラリー、イギリス)、2014年「Un Nouveau Festival」(ポンピドゥー・センター、パリ)、2013年「Grand Tour」(ブランシュヴァイク美術館、ドイツ)、「The Problem of the Rock」(太宰府天満宮、福岡)、2012年「Simon Fujiwara : Since 1982」(テート美術館セントアイブス、イギリス)ほか、2015年PARASOPHIA 京都国際芸術祭、2013年 第2回シャルジャ・ビエンナーレ、2012年第9回上海ビエンナーレ、2009年第53回ヴェニス・ビエンナーレに参加するなど国際展への参加も多数。
19世紀のフランスは政治と産業の双方において革命が進行したといえる。政治的変動が社会をゆるがすなかで産業革命がはじまり、パリを筆頭とする都市への急激な人口集中が新しい産業と社会をつくり出した。旧体制を支えた社会規範や宗教観が希薄化するその一方で、人々の物質的な欲望とそのあくなき追求がこれまでの抑圧から解放され、大量消費社会を形成していく。適者生存の非情な論理に支えられながら資本主義が台頭し、華やかで冷酷な近代社会の礎を築いていく。こうした19世紀フランスの変化の引き金となったのは他でもないフランス革命であった。
1789年のバスティーユ襲撃に端を発したフランス革命において最も象徴的な事件とされるのは1793年の国王ルイ16世および王妃マリー・アントワネットの公開処刑といえよう。神聖ローマ皇帝フランツ1世とオーストリア女大公マリア・テレジアの11番目の子供として生をうけ、パリのコンコルド広場に設置されたギロチン台にて斬首の件に処せられた時は37歳であった。美貌と高貴な血筋で羨望を集めると同時に、その贅沢で享楽的な生活を批判され民衆からの怒りの対象でもあった彼女の存在は現代のセレブリティの先駆けともいえる存在である。意志と実行力をかねそなえ流行の先導者であると同時に、賭博癖や不倫など不品行の話題にもことかかない若い王妃。「赤字夫人」「オーストリア女」といった蔑称で語られた彼女にまつわる噂話はつねに虚実の入り混じったものであり、現代のフェイクニュースやパパラッチの過剰報道を想起させなくもない。10月16日の公開処刑時にはコンコルド広場に「ギロチン型」の耳飾りを売る物売りが登場し、「マダム・タッソー」の蝋人形館でしられるマリー・タッソーは斬首されたばかりのマリー・アントワネットの首を賄賂を用いて入手してデスマスクを作成、公開して人気を集めた。
サイモン・フジワラが今回の新作展「The Antoinette Effectアントワネット現象」で主題とするのは、消費対象としてのセレブリティという概念、そしてそれを生み出す人間の欲望である。解放された欲望の翼にのって、人間の活力と好奇心は世界のすべてを咀嚼し消化することをめざす。都市が日に日に拡大し洗練さを増していく19世紀のフランス近代社会の底にはきわめて独善的な、獣的ともいえる人間の欲望がうごめいていた。それは時代を超えて、今、21世紀の私たちをめぐる社会でもおこりつつある現実ではないのか。多様性の認識と同時並行的にに台頭してきた排他性、物流の加速化、インターネット、SNSなどの進化は大量消費社会の消費対象を物質から精神・仮想現実へと移行させた。セレブリティの一挙手一頭足に瞬時に反応する現代社会は、まさに情報を貪る巨大な欲望の集合体である。生きるためには食べなければならないという人間の業は、物理的な食欲のみならず、いまや精神的な食欲の領域においても敷衍され、共同体の幸福な一員として存在するためには、限りなく供給される大量の情報を咀嚼しつづけなければいけないという強迫観念に世界中が駆り立てられているのである。2017年、オーストリアのブレンゲンツ美術館で開催されたフジワラの個展「Hope House」はナチス・ドイツのユダヤ人虐殺の犠牲となったアンネ・フランクを主題とし、彼女が家族とともに潜伏生活を強いられた家の模型がアンネ・フランク記念館の土産物として大ヒットしていることからヒントをえたインスタレーション作品であった。美術評論家ノーマン・ローゼンタールはこの展覧会を評して「生きることの狂気」についての作品であると述べたという。
「The Antoinette Effectアントワネット現象」はこの「Hope House」の続編ともいえる作品にあたり、より広く、激動する社会変化を視野におさめた内容になっている。展示はおもに立体作品で構成され、約10点ほど、すべて新作の発表となる。
ホンマタカシ展
作家:ホンマタカシ
会期:2019年9月7日 - 2019年10月12日
終わりに
ここではインタヴューを受けての感想を書くのが通例だが、今回は恐縮乍ら個人的な話をさせて貰いたい。
私が初めて現代アートの作品を購入したギャラリーがTARO NASUである。だから一番お付き合いの長いギャラリストは那須さんということになる。
東日本大震災のとき、秋葉原の実家のガレージで、チャリティーのブック・セールを催したことがある。友人知人に本の寄贈をお願いし、売上の全額を南三陸の復興プロジェクト(現:南三陸ミシン工房)に寄付するという試みで、ディレクターの細井さんを通じて那須さんにもご協力をお願いした。実は当時私が直接やり取りしていたのは、細井さんやスタッフのKさんで、那須さんとはまだほとんど面識がなかった。だから内心断られるかと半ばダメモトのお願いであったが、実に気持ちよくご快諾くださり、貴重なアーティスト・ブックを何冊もご寄贈いただいたうえ、イベント期間中にわざわざ那須さん自ら秋葉原まで来てくださった。この時のことは一生忘れない。
スタッフのKさんといえば、那須さんのご性格を物語るエピソードがある。Kさんは既にご退職なさっているが、実はその前にも「ほんの一寸だけ」退職している。退職するにはしたのだが、間もなくして復職されたのだ。気が咎めたKさんは退職金の返金を申し出たが、那須さんは「一度は払ったものだから」とこれを決して受け取らなかったそうだ。これが岡山人の気質なのか私には分からないが、那須さんはお名前の「太郎」が体を表す天晴れ日本男児の風(ふう)がある。(因みにKさんの第一子の名付け親は那須さんである)
ご本人には余計なお世話かも知れないが、いつもクールな展示を行うこのギャラリーの、いつもスタイリッシュなオーナーの断片が少しでも伝わればと思い、今回は後書に代えさせて頂いた。