ヴィンテージ・アロハシャツ徹底解剖。多様な柄のルーツは「着物」?

ヴィンテージ・アロハシャツ徹底解剖。多様な柄のルーツは「着物」?_image

取材/佐々木 健人
写真/後藤 敦

トロピカルなモチーフ、多彩で楽しい柄、軽快な着心地が魅力のアロハシャツ。実はその起源に、日本の着物や浴衣が関わっていたことをご存知だろうか?

古着屋「54BROKE」のオーナーであり、アロハシャツのコレクターとして数々の雑誌にも紹介される成田亘さんにアロハシャツのルーツを語っていただいた。

ハワイが産んだ着るアート「アロハシャツ」

MuuseoSquareイメージ

今はコットン生地やリネン素材など、色んな素材でアロハシャツは作られています。

歴史を辿ると、古代のハワイ人たちはポリネシアから伝わる伝統生地タパ(カジノキの樹皮でできた布)を加工して衣服を作っていたと言われているんです。

当時ヨーロッパの船乗り達は「フロック」と呼ばれる長袖の開襟シャツを着ていました。その後、現地人との間で取引きされるうちに「パラカ」という名前で呼ばれるようになり、1850〜1900年代にかけて中国、日本などから移民してきた農園労働者たちが着るようになったと言われています。

移民の中には仕立ての技術を持つ人が少なくなかったんですね。

ヤシの木がモチーフになった、ホリゾンタル・パターンのアロハシャツ。ポイントはポケット。裾にポケットがあると、セットアップで販売されていた可能性が高いそう。なぜならば、普通のシャツより裾が長いので、シャツ一枚で着るということはあまりなかった。パターンは、上から下まで柄が入っているホリゾンタル柄。(参考品)

ヤシの木がモチーフになった、ホリゾンタル・パターンのアロハシャツ。ポイントはポケット。裾にポケットがあると、セットアップで販売されていた可能性が高いそう。なぜならば、普通のシャツより裾が長いので、シャツ一枚で着るということはあまりなかった。パターンは、上から下まで柄が入っているホリゾンタル柄。(参考品)

1920年代に入ると、ハワイ全体の主要産業が農業から観光サービスに移り変わっていきます。「パラカ」と呼ばれる作業用のシャツから、もう少しカジュアルなシャツに移り変わっていく。現在のシャツのように柄のバリエーションが多様になってきたのは1930年代に入ってからです。

しかしながら、アロハシャツが最初に誰の手でどのように作られたのかはわかりません。一般的に、日系移民たちが持ってきた着物用の生地を子供用に仕立てたのが起源だと言われています。

アロハシャツの黄金期が1940年代〜1950年代と呼ばれる理由

1930年代には、日系移民の人たちが作る着物やゆかた風の生地で仕立てたシャツがハワイで流行しはじめました。

1920年代後期には、マトソンラインというサンフランシスコとホノルルを結ぶ就航ラインが通ります。それにより、観光客が一気に増加します。すると観光客は記念(スーベニア用)としてシャツを仕立ててもらうようになり、アロハシャツは産声をあげていったのです。

1940年代には第二次世界対戦に突入します。もちろんハワイからも戦地に赴く人は多かったのですが、戦後にアロハシャツ文化はどんどん加速し栄えていきます。

デューク・カハナモクや、エラリー・チャンの影響もありどんどん火がついていく。

デューク・カハナモクがプロデュースしたアロハシャツ。今でこそアロハシャツは単体で販売されているが、昔は海パンとセットで販売されていた。レーヨンが使用されており。地面と接触するパンツは破れやすいので、ヴィンテージとなると海パンが見つかることは稀。また、このシャツはベースの色が黒なのもポイント。日本同様、ハワイでも正装が求められる場面では黒を着用する。ハワイアンシャツはラフな場で着るものなので、黒はあまり製造されていない。(参考品)

デューク・カハナモクがプロデュースしたアロハシャツ。今でこそアロハシャツは単体で販売されているが、昔は海パンとセットで販売されていた。レーヨンが使用されており。地面と接触するパンツは破れやすいので、ヴィンテージとなると海パンが見つかることは稀。また、このシャツはベースの色が黒なのもポイント。日本同様、ハワイでも正装が求められる場面では黒を着用する。ハワイアンシャツはラフな場で着るものなので、黒はあまり製造されていない。(参考品)

例えば、デューク・カハナモクのアロハシャツはハリウッドの映画『From Here To Eternity』(地上より永遠に)で、モンゴメリー・クリフトという俳優が着ています。アロハシャツの黄金期が1940年代〜1950年代と呼ばれるのはそのためです。

ハリウッドの映画で取り上げられると、またお土産として売れていく。今度はお土産として持ち帰った人たちが真似してアメリカで生産していく。そうして、アメリカ本土産とハワイ産ができていく。

ハワイ製とアメリカ本土製。見わけ方は「柄」

米国製とハワイ製、素材は同じレーヨンです。大きく異なるのは柄。例えば、カリフォルニアで作られたアロハシャツは西海岸テイストなのですぐにわかります。

ハワイで作られたシャツは、鳥だったり海だったり魚だったり、ハワイアイランドの自然をモチーフにしています。カリフォルニアで作られたシャツのモチーフはサーフィンだったり、車だったり、ラスベガスだったり。土地の雰囲気が違うので、シャツの柄も変わってくるわけです。

MuuseoSquareイメージ

50sにはロカビリーが流行り、そういったカルチャーを取り入れたシャツがカリフォルニアでは増えてきました。エルヴィス・プレスリーを想像していただけるとわかりやすいかもしれません。「Blue Hawaii」が歌われたのは1961年のことです。

1960年代に入るとサイケというか、ヒッピーというかそんな雰囲気が漂ってきます。形も開襟シャツのゆったりした感じから少し襟が長くなっていく傾向にあります。素材もポリエステルが使われたりと、50年代までとはディテールなど色々と変化してきます。

レーヨンのアロハシャツを着るならば、秋口と春先が一番気持ちいい

私がサーフィンしていた当時は短パン、もしくはLevi's 646にハワイアンシャツを合わせていました。そう、501のBig Eも着ていたかな。リジットではなくて、色落ちした薄いジーンズ。足元にはビーチサンダル。

映画を見に行くなら、TPOに合わせて501XXの色が濃く残っているモノとか、黒いスラックスを履いて、白い靴にパナマ帽を被っていました。

1930年代を代表するアーティスト「フランク・マッキントッシュ」がデザインしたメニュー柄をボディに使用したアロハシャツ。大人と子供用のアロハシャツがセットになっていることは今ではほとんどない。(参考品)

1930年代を代表するアーティスト「フランク・マッキントッシュ」がデザインしたメニュー柄をボディに使用したアロハシャツ。大人と子供用のアロハシャツがセットになっていることは今ではほとんどない。(参考品)

僕が重視するのは見た目のインパクトです。40年50年がアロハシャツの黄金期と言いましたけど、60年代70年代にもいい柄はあります。自分で鏡見てみて「いいじゃん!」と思えば2018年に作られたアロハシャツでも買います。

ファッションは自分が楽しむものだから、流行に左右されないで自分が好きな組み合わせを貫いた方がいい。

ただ、レーヨンを使用しているシャツは体にくっついてしまうので、日本の気候には正直合わないんですよ。南国など湿気があまり無い土地では、素肌にサラッと着ると涼しくて最高なんです。日本で着るならば、梅雨に入る前と秋口が一番気持ちいい。パッと羽織るとヒヤッとしますよ。

忘れてはならないハワイアンシャツの特徴は、柄の多様さです。

当時の文化がしっかりと反映されているハワイアンシャツは、アートにもなります。僕は家に飾ってあるアロハシャツは毎月毎月変えていますよ。

花や植物を愛しているのであれば花柄。魚や鳥が好きであれば動物柄というように好きな柄を選べるのは、他の洋服にはない魅力ですね。

ーおわりー

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「54BROKE」オリジナルアロハシャツ

54BROKEオリジナルのシャツは、空港の名前にもなったダニエル・K・イノウエさんが所属していた442連隊のシャツを忠実に再現したモノ。製造先まで成田さんが選んだこだわりのアロハシャツは、ボタンダウンシャツとオープンシャツの2種類を販売。

アロハシャツを一層楽しむために。編集部おすすめの書籍

ヴィンテージアロハの魅力と歴史を凝縮した一冊

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VINTAGE ALOHA BOOK: ビンテージ・アロハのすべて

お目にかかれない貴重なヴィンテージアロハシャツを、一挙紹介/アロハブランドと様々なメーカーとのコラボレーションアイテム特集/デザイン、モチーフ、生地、ボタン、アロハシャツのディテール/レディース・キッズアロハシャツ/アロハシャツの歴史、アート的観点に迫る/アロハブランドハワイ取材/アロハコレクター取材など。

1900年代から現在までのストリートスタイルを紹介

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ザ・ストリートスタイル

地位や権力を持たない人々、とくに若い世代によってつくられた、ストリートカルチャー、そしてストリートファッション。1900年代から現在までの、街の人々のスタイルを絵と解説文(英文併記)で紹介する。

File

54BROKE

恵比寿・白金台・目黒駅から徒歩10分。東京都庭園美術館沿いの国道418号線の通りを一本入ったところにお店を構えるヴィンテージ古着屋。店内にはハワイアンシャツを中心にミリタリージャケット、ヴィンテージのデニムなどが並ぶ。成田さんがヴィンテージコレクターということもあり、現在では手に入らないような古着も扱う。店名54BROKEは「Go for Broke」と読む。その由来はアメリカ史上最強と名高い、日系アメリカ人による陸軍の部隊「442連隊」の標語から。「Go for broke」(一か八かだ当たって砕けろ、やってみなければ分からない)が、経営者である成田亘さんのチャレンジ精神旺盛な性格と合致し、その名が付けられた。

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公開日:2018年7月3日

更新日:2021年8月25日

Contributor Profile

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佐々木 健人

エディター、プランナー。1993年東京都生まれ。時計メーカーを経てミューゼオに入社。オンラインジャーナル「ミューゼオスクエア」のディレクション、ECサイト「ミューゼオファクトリー」の製品開発などを担当。

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