MTの“クルマを操る喜び”は衰退していってしまうのか?「HONDA・CIVIC」

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取材・文・写真/金子浩久

2021-2022日本カー・オブ・ザ・イヤーで選考委員を務め、『10年10万キロストーリー』をはじめとするクルマに関する数々の著書を執筆、国内外のモータースポーツを1980年代後半から幅広く取材されている自動車ジャーナリストの金子浩久氏。当連載では、金子氏が「99%のクルマと、1%のクルマ」をテーマに、過去・現在・未来のクルマについて解説していきます。

今回は、「HONDA・CIVIC(ホンダ・シビック)」のMTを例に、クルマを操る魅力やMTの電動化、自動化の課題について教えていただきました。

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「99%のクルマと、1%のクルマ」とは?

そう遠くない将来、自動車は99%のクルマと1%のクルマに二極分化する。電動化と自動化とインターネットへの常時接続が備わった99%のクルマは高度な移動体と化し、事故を起こさず、クリーンで、人々と社会のための公共財となる。
その一方、メカニズムや機能は旧来のままである1%のクルマは愛玩の対象となり、趣味や楽しみとして生き延びていく。公道では人間が運転することを許されなくなっても、サーキットや貸し切られた峠道などで運転を楽しみ、同好のマニアたちと集い、美術館で美しさを愛で、博物館で歴史を堪能する。
そうした見立てのもとでクルマを見ていくと、少し違った姿が浮かび上がってくる。クルマに絶望してしまうのにはまだ早く、もっと面白くなる!

クルマを操っている実感を直接的に得られるホンダ・シビックのMT

ホンダ・シビックのMT(マニュアルトランスミッション)版を高原道路で運転したら、実に爽快で気持ちが良かった。

新型シビックのMTは6段。左足でクラッチペダルを踏み、左手でシフトレバーを動かして1速に入れ、エンジンをストールさせないように左足をジンワリと持ち上げてクラッチをつなぐとシビックは走り出す。右足でアクセルペダルを踏んだり、戻したりするのと合わせてクラッチを切ったり繋げたりを繰り返して、2速、3速とシフトアップ。右手はハンドルを握ってシビックの舵を取ります。

こうして文字にすると、両手と両足を使ってとても煩雑な操作を行っているようですけれども、昔はみんなやっていました。1991年にAT限定免許が制定される前は、クラッチを操作して発進ができないと運転免許が取れなかったからです。

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今度のシビックのMTはシフトストロークも短めで節度があり、コクッコクッと決まるので操作自体が心地良い。精度の高い機械式腕時計の竜頭を回して感じる精密感に近いものがあります。

クラッチを繋ぎ終えた瞬間にタイヤが地面を蹴って加速していく様子が左足と身体全体で感じ取ることができるので、クルマを操っている実感を直接的に得ることができます。
また、クラッチを切ったり繋げたりする時に、それにシンクロさせてうまくアクセルを加減しながら踏み込めれば、一定の加速度で滑らかにスピードを上げていくこともできます。

MTは、うまく操作すれば、した分だけクルマの挙動が滑らかになり、メリハリも付けられ、速く走ることができるのです。自分の運転が、走りに反映され、“運転に参画している自覚”を強く得られます。クルマという、大きく重たい鉄の塊を意のままに操れている喜びを最も明確に感じる瞬間でしょう。
AT(オートマチックトランスミッション)では、この過程がすべて省かれてしまいますから、変速の楽しさと喜びを感じることはできません。

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MTはATよりも、クルマを軽く仕上げることもできる(シビックの場合は約30kg)ので、それも走りを気持ち良くさせることに貢献しています。ハンドルを切り、カーブを曲がって、また次のカーブに入っていく。途中の直線が長ければシフトアップ。短かったり、コーナーの曲率がキツそうだったりしたら、ブレーキングしてシフトダウン。それらの操作がリズム良くキマると気分が覚醒されていきます。

シビックMTのクルマ全体の動きが優れているのです。ハンドルを切って戻したり、路面の凸凹を通過してボディが上下動しても、ジンワリと一発で収まり、後へ引きません。直線路では姿勢はフラットに保たれます。しっかりとしたシャシーとサスペンションの動きが優れているからでしょう。キビキビとした走りっぷりこそが、シビック本来の魅力なのだなと実感しました。

AT限定免許を取った人の割合と較べても、シビックのMT比率は例外的に高い

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シビックMTの完成度の高さは、ちゃんとユーザーに届いているようです。新型シビックの発売後1か月でMTを選んだ人の割合が35.1%にも上ったのです。日本で販売されたすべての乗用車に占めるMTの割合がたったの1.4%(自販連、2019年)ですから、シビックのMT比率は例外的に高い。
教習所で運転免許証を取得した人のうち、AT限定免許を取った人の割合が59%(2016年、警察庁調べ)なので、それと較べてもシビックにおけるMT比率は高いと言えるでしょう。

でも、残念なことに現代の日本ではMTは少数派にならざるを得ません。AT限定で運転免許を取る人が多数を占めていますし、MTを設定していないクルマの方が多いから、乗りたくても選べない。

自動車ライターとして自戒を込めて書きますが、世の中のほとんどの人は、運転の楽しさなどは求めていないのです。安全で、楽に移動できたら、それ以外にクルマに求めるものなどないようなのです。

ATの性能が向上して、短所であった燃費や性能も改善されました。法律上はATに区分される“ロボタイズドMT”が増え、MTと変わらない運転フィールと燃費性能を持ちながらも、クラッチペダルが存在しないのでATの楽チンさも備えているクルマも増えました。マクラーレンやポルシェなどのスポーツカーをはじめ、ゴルフなどフォルクスワーゲンの各車などのほとんどはこのタイプです。ヨーロッパでは、ロボタイズドMTが広く普及しています。コンピュータ付きの小さなロボットのようなものがドライバーに代わってMTを素早く正確に操作してくれるからです。

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さらにMTを生き残りにくくしているのは、電動化と自動化という大きな課題の存在です。電動化したEV(バッテリーとモーターで走る電気自動車)は構造的にギアボックスを必要としませんし、エンジンと組み合わされるPHEV(プラグインハイブリッド車)やほとんどのHEV(ハイブリッド車)もMTが用いられることはありません。

自動化についても、MTは分が悪い。自動化というのは、カメラや各種センサーでクルマの周囲を監視し続け、安全を保つように運転操作を補助しながら加減速や操舵を行ってくれるものです。MTでは広い速度域に対応できません。車間距離を一定に保ったまま前者を追従して走り続けるACC(アクティブクルーズコントロール)が良い例で、速度域が変わったら、どこかでギアチェンジしないとエンストしてしまいます。渋滞で止まる寸前や、そこから再び走り出す時もクラッチを切らないとエンストです。ロボタイズドMTは、それらが可能です。

これからの時代の主流を成す99%のクルマに必須の電動化と自動化のプロセスの中にMTが組み込まれることはまず考えられないでしょう。MTのクルマは、すでに“1%のクルマ”と化していると言っても過言ではありません。

「昔はクルマの運転は“特殊技能”のようなものだった」

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運転が楽しいことの他にも、MTのメリットはあります。クラッチ操作をうまく行わないとエンストして止まってしまうのは不便なのですが、反対に高齢者のペダル踏み間違いによる暴走事故のようなものは起こしません。MTは、両手と両足を連関させながら運転する必要があるので、脳の刺激になって良いという説もあります。僕も、これらのメリットは認めるので、長距離を走らず、渋滞中のクラッチ操作の煩わしさが許容できるのならば、MTに乗るのも良いと思います。

少し前に、80歳を超えるベテランドライバーとMTについて話をしたことがありました。僕の話したMTのメリットを認めてくれつつ、ベテランならではの貴重な見解を示してくれました。

「今のMT車の運転なんて、楽チンで簡単なものですよ。昔は、もっと多くの操作をドライバーが行わなければ、クルマは走りませんでしたから」

彼の言う“多くの操作”を時代が新しい順に挙げていくと、チョーク、点火時期調整、燃料ポンプなどです。チョークは僕も教習所で習いました。その頃のクルマのエンジンは始動時にチョークレバーを引き、水温が温まるとレバーを戻さなければなりませんでした。チョークはオートチョークへと進化し、レバー自体もなくなり、教習所でも教えなくなりました。

点火時期調整は、リアルタイムでは体験していません。戦前型ぐらいまでのクルマでは、エンジンの点火時期をドライバーが調整しながら走らなければなりませんでした。走行状況に応じて、多くの場合はステアリングホイール中央にあるレバーを動かす必要があったからです。これも自動化され、レバーはなくなりました。

もっと古いクルマになると、それらに加えて、燃料タンクから気化器にガソリンを送るために、手動でポンプを動かさなければなりませんでした。サーキットのコースを疾走する100年以上前のクラシックカーを見たことがありますが、ドライバーがそれらすべての操作を忙しく行っていました。オープンボディだったので、忙しい様子がとても良く見えました。

「昔はクルマの運転は“特殊技能”のようなものだったから運転はプロの運転手しかできなかったし、台数も少なかったから、忙しい運転でも問題なかったんだよ」

ドライバーが行っていた操作を、ひとつずつ自動化することによって、運転は簡単になり、運転は特殊技能ではなくなり、誰でもが運転できるようになりました。クルマが特別なものから、みんなのものに解放されたのです。一般に普及して数が増えることと、誰でも運転できるように操作が簡便化されるようになっていくのは、卵とニワトリの関係と同じことです。MTは特別なものだったのではなく、自動車の進化のプロセスで新陳代謝していくもののひとつだったのです。

MTのAT化があって、それが完了しようとしているのが現代

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戦後の経済成長とも歩調を合わせながら、自動車は1950年代のアメリカを筆頭に60年代から70年代に掛けて、先進国の間で爆発的に普及していきました。

燃料ポンプが電動化され、点火時期調整やチョークなどが内蔵されたことの延長線上の最後の“大物”としてMTのAT化があって、それが完了しようとしているのが現代ではないでしょうか?

それらはアナログ技術による自動化でしたが、いま起きつつある電動化と自動化はデジタル技術という新しい革新によって巻き起こされています。
残念なことに、もう、愛すべきMTというものは自動車技術の進化と社会の発展とともに衰退していくでしょう。しかし、運転の楽しみと趣味の対象となって“1%のクルマ”として残り続けていくはずです。

僕も日常の移動のためのクルマは最新のATで安全を担保した、負担の少ないものに乗りたいですが、余裕ができたら別にクラシックカーを一台持ちたいですね。
すでにクルマは決まっていて、20代の頃に乗っていた1970年代のプジョー504セダンの、日本には入らなかったクーペかカブリオレだったら最高です。もちろん、トランスミッションは5段マニュアルを選んで、運転を楽しみながら休日にノンビリと走ることができたら、どんなに素敵でしょうか。

ーおわりー

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公開日:2022年2月21日

更新日:2022年2月24日

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金子浩久

1961年、東京生まれ。大学卒業後、出版社勤務後、独立。自動車とモータースポーツをテーマに取材執筆活動を始める。主な著書に、『10年10万kmストーリー』『ユーラシア横断1万5000km』『セナと日本人』『ニッポン・ミニ・ストーリー』『レクサスのジレンマ』『地球自動車旅行』や『力説 自動車』(共著)などがある。 現在は、新車の試乗記や開発者インタビュー執筆などに加え、YouTube動画「金子浩久チャンネル」も開始。  「最近のEVの進化ぶりにはシビレっ放しで、遠くないうちに買うつもり。その一方で、最近取材した1989年から91年にかけて1000台だけ造られた、とあるクルマが急に魅力的に見えてきて仕方がない。同時代で接していた時は何も感じなかったのに、猛烈に欲しくなってきたのは、そのクルマが僕の中で“1%化”したからだろう」

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