8代目ゴルフの完成度の高さの向こうに見えるもの「Volkswagen Golf」

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取材・文・写真/金子浩久

2021-2022日本カー・オブ・ザ・イヤーで選考委員を務め、『10年10万キロストーリー』をはじめとするクルマに関する数々の著書を執筆、国内外のモータースポーツを1980年代後半から幅広く取材されている自動車ジャーナリストの金子浩久氏。当連載では、金子氏が「99%のクルマと、1%のクルマ」をテーマに、過去・現在・未来のクルマについて解説していきます。

今回は、Volkswagen Golf(フォルクスワーゲン・ゴルフ)について。ビートルから初代ゴルフへと変わった背景、8代目ゴルフの優れた機能、そして金子さんが見るさらに向こうのクルマとは?

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ビートルがゴルフに代わり、そのゴルフも8代目へと進化した

8代目へとフルモデルチェンジしたフォルクスワーゲン・ゴルフに、さっそく試乗してきました。

初代のゴルフが登場したのが1974年。それまでの「ビートル」(カブト虫)に代わる小型大衆車としてデビューしました。
モデルチェンジを重ねて45年間の集計で3500万台あまりも造られてきました。ビートルがゴルフに代わり、そのゴルフも8代目へと進化したのです。
日本へも初代から輸入され、累計の販売台数は90万台を超えます。名実ともに輸入車の代表格と呼べる存在です。

フォルクスワーゲン 初代ゴルフ

フォルクスワーゲン 初代ゴルフ

フォルクスワーゲン ビートル

フォルクスワーゲン ビートル

その初代ゴルフも、日本に輸入された当初はまったく売れなかったそうです。余った在庫の中の一台を格安で購入したくだりが故・徳大寺有恒さん(自動車評論家)の名著『ぼくの日本自動車史』に書かれています。

「初代ゴルフは大きな衝撃だった。なにもかも、それまでのクルマと違っていた。初代ゴルフに乗っていなかったら、僕は自動車評論を書くことはなかっただろう」

当時の僕は中学生で、中央通り沿いにあったヤナセ銀座ショールームに飾られていた初代ゴルフを父親と一緒に見た時のことを今でも憶えています。

「なんで、ワーゲンは“カブト虫”をやめちゃって、こんなライトバンみたいなゴルフに代えてしまったのだろう?」

戦前生まれの父には、ゴルフの新しさは理解できませんでした。彼が“ライトバン”と言ったのは、2ボックススタイルのことです。昔の人にとって、クルマというのはトランクルームが独立したフォーマルな3ボックススタイルでなければならなかったのです。

ヒトラーが命じた低コストで安全な“国民車”。その困難な命を天才はやり遂げた

ビートルは3ボックススタイルではありませんでしたが、天才エンジニアであるフェルディナント・ポルシェ博士がアドルフ・ヒトラーのバックアップを受けながら戦前から開発を進めていた独特なクルマであることは良く知っていました。

ヒトラーがポルシェ博士に求めたのは、大衆でも買えるために低コストで量産可能で、故障を起こさず、燃費に優れたシンプルな設計で、なおかつ家族4人を乗せてアウトバーンを時速100キロで巡航できる“国民車”であることなどでした。ちなみに、アウトバーンの建設に力を入れたのもまたヒトラーでした。

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当時のテクノロジーと生産技術で、ヒトラーがポルシェ博士に命じた通りのビートルを実現するのはとても困難でしたが、天才はやり遂げました。バックボーンフレームの後部にエンジンを搭載することで大量生産を可能とし、エンジンを空冷式の水平対向4気筒とすることで頑丈さや好燃費を実現させました。天才ゆえの革新的かつ合理的な設計です。ビートルは1938年から1978年(メキシコ工場ではさらに2003年まで)に掛けて長期間造り続けられてきました。

僕の父だけでなく、同世代の日本人にはビートルを神格視していた人が少なくありません。ヒトラーとポルシェ博士という悪魔と天才のコンビに、マイスター制度などに代表されるドイツの工業やモノ造りに対する畏敬の念のようなものが合体したのだと想像します。

ビートルから初代ゴルフへ。社会が変わり、クルマの使われ方も変化した

初代ゴルフにビートルとの関連性はまったくありません。エンジンは空冷方式が排ガスや騒音などの規制をパスできなくなって水冷化し、それを車体の後ろでなく前に積んで前のタイヤを駆動します。前回の連載で書きましたシトロエン2CVにも採用された等速ジョイントが実用化されたから、前輪駆動が一般化しました。
ボディは“ライトバン”のような2ボックススタイルでテールゲートを開けてモノを出し入れできるようにしました。リアシートを畳めば、大きな荷物もたくさん積めます。

初代(写真・前)と2代目(写真・後)のゴルフの高性能版「GTI」。

初代(写真・前)と2代目(写真・後)のゴルフの高性能版「GTI」。

ビートルから初代ゴルフへの移行は、ふたつの大きな変化を反映していました。ひとつは、排ガスや騒音、安全などをはじめとする社会的な規制の強化に応えるためにエンジンや駆動方式、ボディ形式などのメカニズムを一新したこと。
ふたつ目はクルマのあり方と使われ方です。初代ゴルフが登場した1974年には、ドイツをはじめとする先進国では社会が豊かになり、余暇を多く取れる人が増え、道具を使うスポーツやアウトドアアクティビティなどを楽しむ人々が増えました。

また、消費社会が成熟したことで週末にスーパーやショッピングセンターで生活財などをクルマで買いに行くというスタイルも定着しました。女性の社会進出なども挙げられます。ヨーロッパでは小型車が大半を占めているので、買い物の時にリアシートが畳めてたくさんの荷物が積めるようなボディは必須でした。小型車でも5人乗れる広さを持ち、必要な時にはリアシートを畳んで大きな荷物を載せるなどの多用途性を求められるようになったのは、社会が変わり、クルマの使われ方にも変化が現れてきたからです。

ビートルの時代よりもクルマを運転する人が増え、クルマがあると便利な社会が出現していました。多くの人々がさまざまな使い方をするようになったために、それに対応して多用途性が重視された初代ゴルフが生まれました。ビートルも2153万台を生産しましたが、ユーザー数も、クルマの使われ方もまだ限定的でした。荷物もあまり載せられません。

歴代GTIモデルを集めたイベントにて。スペイン・マラガのアスカリサーキット

歴代GTIモデルを集めたイベントにて。スペイン・マラガのアスカリサーキット

父がゴルフに行く時に乗っていたクルマは、みな3ボックスタイプでした。当時の日本の自動車メーカーがCMで「トランクにゴルフバッグが何個積めるか?」を躍起になって宣伝していたようなクルマです。都心に住んでいたので食材は専業主婦の母が歩いて毎日近所の商店街や市場にその日食べる分だけ買いに行っていたし、特別な買い物でも地下鉄や都営バスで銀座や新宿などに出掛けていたので、クルマは買い物には不要でした。

我が家は初代ゴルフが想定したようなライフスタイルを送っておらず、父もそれをイメージすることもできなかったのです。“テールゲートが開くようなライトバンは荷物車や商用車で、乗用車というのは3ボックススタイルでなければならない”という古い自動車観を抱いていたのは父だけのことではなく、当時の日本社会に色濃く残っていました。初代ゴルフの価値と魅力が受け入れられるのには、ヨーロッパと時間差がありました。だから、初代ゴルフが日本では最初は売れ行きが芳しくなかったという徳大寺さんの記述は、今から考えると良く理解できるのです。

そして、初代ゴルフが確立した2ボックススタイル+前輪駆動という小型車の形式は、世界中の自動車メーカーがフォローしていきます。以降、ゴルフは2代目以降はブラッシュアップを重ねながら、この形式に磨きを掛け続け、最終的に45年間で3500万台も売れ、小型車のベンチマークと信奉されてきました。つまり、初代ゴルフは時代を先取りしていたように当時の日本からは見えたのです。

あらゆるユーザーの広い用途に応える優れた実用車、8代目ゴルフ

ビートルとゴルフは、この連載の趣旨から分類すれば、もちろん「99%のクルマ」です。世界中のあらゆるユーザーの広い用途に応える優れた実用車だからです。ビートルやゴルフでレースをするなど、古い個体を珍重して愛でる人も中にはいますが、圧倒的大多数のユーザーは実用的に使っています。

その8代目の完成度の高さに驚かされました。全方位にわたって刷新されて、走りと快適性に磨きが掛けられ、安全性や利便性も向上しています。どこにもスキがありません。

8代目ゴルフ

8代目ゴルフ

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具体的に優れているところを挙げてみたいと思います。8代目ゴルフには1.0リッター3気筒と1.5リッター4気筒の2種類のエンジンが用意されていますが、それらは電動化されました。48ボルト(V)の電気を使うバッテリーとモーターをエンジンに組み合わせ、マイルドハイブリッド(MHEV)システムとして前輪を駆動します。
マイルドというだけあって、トヨタを筆頭とするストロングハイブリッドシステムのようにモーターだけで走行することはできません。しかし、バッテリーを小型軽量化し、制御システムもシンプル化できるというメリットがあります。

8代目ゴルフのマイルドハイブリッドシステムの働きぶりが優れていると感じるのは、発進時と巡航時のエンジンへのモーターのアシストです。停まっている状態から走り出す時にアクセルペダルを踏み込んでいくわけですが、その際にモーターからの電気パワーも加わり、こちらの意図よりも踏み込む量が少なくて済む上に、クルマの動き出しが滑らかになります。同じことは、走行中にも体感できました。
おかげで、8代目ゴルフの走行感覚は、街中でも、渋滞中でも、高速道路でも上質です。1.0リッター3気筒という小さな排気量から、走行に必要なチカラを引き出すためにつねにエンジンを高回転まで回していなければならず、それによって音はうるさく、振動も絶えないようなガサツなものを想像してしまいがちですが、まったく杞憂に終わりました。電動化と、こちらも新採用された7速ATの働きが大きいからです。

8代目ゴルフ

8代目ゴルフ

高速道路での静粛性の高さと滑らかな加速が実現されているのにはもうひとつ理由があります。あまり変わり映えがしないように見えるボディに実は空力的に大幅な洗練が加えられていて、表面を流れる気流の滑らかさを示すCd(空気抵抗係数)値が、旧型の0.30から0.275へと大きく向上しています。風切音が小さく、速度を上げていっても車内が騒がしくなりません。

もうひとつの1.5リッター4気筒エンジンもマイルドハイブリッド化されましたが、こちらも1.0リッター版と同じように、電動化とATの7速化が走行性能と快適性の向上に寄与していました。

フルデジタル化された8代目ゴルフのインパネ

フルデジタル化された8代目ゴルフのインパネ

さらに、8代目ゴルフを刷新しているのが、運転支援機能です。「横浜赤レンガまでお願い」と喋るだけでクルマが自動的に運転のすべてを行ってくれるSF映画のような完全自動運転が実現できるのは、まだ当分先のことです。現在の「運転の自動化」や「運転支援」と呼ばれているものは、まだその手前の段階のものです。具体的には、ACC(アダプティブクルーズコントロール)とLKAS(レーンキープアシスト)。ACCは高速道路や自動車専用道を走る際に、最高速度や先行車との車間距離を任意に設定でき、先行車に追い付いたら、定めた車間距離を保ちながら走り続けます。LKASは同様に、不注意や居眠りなどで走行中の車線からクルマがハミ出してしまいそうになると、それを検知してハンドルを回して車線内に戻そうというものです。どちらも、ドライバーの運転操作をアシストするものです。

新東名高速道路に入り、すぐにACCとLKASをON。最高速度と車間距離を設定し、先行する大型トラックの後に付いて走り続けます。
こうした状態で8代目ゴルフのメーターパネルには、アイコン化された自車とその両隣の3車線分を映し出します。他のクルマは水色のシルエットとなり、なんと乗用車かトラックかも映し違えているのです。複数のカメラで車外を常時映し続けているから可能なことです。

3車線中の中央車線を自分が走っていることを示し、左右車線上の車の違いも表している。

3車線中の中央車線を自分が走っていることを示し、左右車線上の車の違いも表している。

しばらく大型トラックの後ろを走った後、そのトラックを追い越そうと中央車線に移った時の画像が、こちらです。運転支援機能の働いている様子をここまで大きく、リアルに表示できているクルマは、世界でもまだ限られていて、現在、最も進んだドライバーインターフェイスを持っているテスラ各車に次ぐものです。

さらに、8代目ゴルフのもうひとつの柱であるデジタルコックピット化も成功しています。ご覧の通り、10.25インチのメーターパネル、10.0インチのインフォテインメントパネルに情報と操作系統が集約され、もちろん音声操作も可能。メーターパネルの画面設定に少し整理を要する点もありますが、ほどなくして改められるはずでしょう。とても見やすく、使いやすいものでした。

99%のクルマは時代とともにあり、時代に添い遂げることが宿命付けられている

ここまで書いてきて、8代目ゴルフの完成度の高さがご理解いただけたかと思います。現代のクルマに於いて、真っ先に求められる電動化と自動化を最新レベルで成し遂げ、加えてインターネットへの常時接続なども備わっています。機能や装備などは、ただスペックのためだけではなく上質で快適な走りにも貢献していて、誰が乗っても良いクルマと感じることでしょう。

最近のクルマは進化が早いですが、8代目ゴルフならば、いま買っても当分の間は古さを感じさせられるようなことにはならないはずです。大いに勧められます。ゴルフの完成形です。

ID.3(写真・左)とID.4(写真・右)

ID.3(写真・左)とID.4(写真・右)

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そして、8代目ゴルフの向こう側にはID.3と4がスタンバイしています。
ヨーロッパでは、2020年にEV(電気自動車)が74万5684台販売され、新車販売全体に占める割合いが5.7%(欧州自動車工業会)に達しました。日本は0.8%です。

フォルクスワーゲンは、2020年から本格的なEVである「ID.3」とそのSUV版である「ID.4」と「ID.4 GTX」をヨーロッパで発売し、売れ行きは好調です。EVですからゴルフと技術的な連続性はまったくなく、モーターはリアに設置され後輪を駆動します。高性能版の「ID.4 GTX」はフロントにもモーターを装備し、前後ふたつのモーターで4輪を駆動します。
一向にEVが普及し始めることのない日本ではピンと来ませんが、ヨーロッパでは社会もメーカーも大きくEVに舵を切りました。コロナ禍前ですらも、ヨーロッパで感じていたEV化のうねりはとても大きなものでした。

まだ、運転はおろか実物も見てもいませんが、ID.3&4には45年前にヤナセのショールームに飾られていた初代ゴルフを重ねてしまいます。ビートルから初代ゴルフに移行した時のような、クルマのあり方やライフスタイルの変化を内包しているのかもしれません。そう思うと心を揺さぶられます。反対に、8代目ゴルフからは、そのワクワクが感じられないのです。超手堅く、コンサバの極み。もちろん、それが悪いわけではなく、機械として非常に優れています。

8代目ゴルフの優れた電動化や自動化などの先進機能は、フォルクスワーゲン自身が課題として設定したものではありません。“時代”が設定しました。

初代ゴルフが衝撃的だったのは、小型車の最善解フォーマットがまだ不明で、世界中の自動車メーカーが試行錯誤していた時に、いち早く新時代の小型車像を最初から打ち立て、それが大正解だったからでしょう。だから、45年間に渡って小型車の最前衛を保ち続け、量的にも多くを生み出してきました。同じことは、ビートルにも言えていたのでしょう。ビートルの影響下にある小型車はいくつもありました。

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VW初のSUV電気自動車「ID.4」

VW初のSUV電気自動車「ID.4」

ビートルや初代ゴルフなどのフォルクスワーゲンの主力車種が代わるということは、時代が大きく変わることを表しているのではないでしょうか?

1%のクルマは時代を超越して珍重され、愛玩されますが、99%のクルマというのは時代とともにあり、時代に添い遂げることが宿命付けられているからです。ビートルもゴルフも時代そのものだった、といっても過言ではありません。
EV化は再生可能エネルギーによる発電へのシフトが求められるので、日本の社会はヨーロッパのように一気には変わらないのかもしれないので予断が許されないところです。
僕も、父のように“初代ゴルフはライトバンのようだ”とID.3&4の真価を見誤らないようにしなければなりませんね。


ーおわりー

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公開日:2021年7月26日

更新日:2021年11月22日

Contributor Profile

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金子浩久

1961年、東京生まれ。大学卒業後、出版社勤務後、独立。自動車とモータースポーツをテーマに取材執筆活動を始める。主な著書に、『10年10万kmストーリー』『ユーラシア横断1万5000km』『セナと日本人』『ニッポン・ミニ・ストーリー』『レクサスのジレンマ』『地球自動車旅行』や『力説 自動車』(共著)などがある。 現在は、新車の試乗記や開発者インタビュー執筆などに加え、YouTube動画「金子浩久チャンネル」も開始。  「最近のEVの進化ぶりにはシビレっ放しで、遠くないうちに買うつもり。その一方で、最近取材した1989年から91年にかけて1000台だけ造られた、とあるクルマが急に魅力的に見えてきて仕方がない。同時代で接していた時は何も感じなかったのに、猛烈に欲しくなってきたのは、そのクルマが僕の中で“1%化”したからだろう」

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