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小さなマッチ箱に隠された多くの物語。時代を超えてつながる小さな灯(あかり)。_image
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小さなマッチ箱に隠された多くの物語。時代を超えてつながる小さな灯(あかり)。

「マッチ箱を集めることは、物語を集めること。」

そう語るのは、マッチ箱を紹介するブログ「マッチ好きの少女」の筆者であり、3000個近いマッチ箱を集めている白あずきさん。
数多く集めたマッチ箱は、知り合いから譲り受けたり、ネットオークションで入手した物も多いが、自分の足でお店に出向き入手したマッチ箱だけでも700個を超える。それらのマッチ箱を眺めると、入手した時の背景が蘇るのだと語る。お店の内装、マスターの顔、店員との会話。そんな物語を聞きたくて、白あずきさんにお気に入りのマッチ箱を見せてもらった。

コレクション・ダイバー【Collection Diver】とは、広大なモノ世界(ワールド)の奥深くに潜っていき、独自の愛をもってモノを採集する人間(ヒト)を指す。この連載は、モノに魅せられたダイバーたちをピックアップし、彼ら独自の味わいそして楽しみ方を語ってもらう。

取材日: 2016年4月11日

取材・文 / 井本 貴明
写真 / 本多 祐斗

東京都内の喫茶店のマッチ

東京都内の喫茶店のマッチ

マッチの歴史

1827年にイギリスで誕生した摩擦マッチ。誕生当時は、自然発火や有害な成分を排出することでたびたび問題になったが、19世紀半ばには、各種の問題を解決した安全マッチが開発され、現在の形として普及していく。
マッチを構成するのは大きく、棒の先端を指す頭薬と、箱の側面にある側薬。

集め始めた頃は、マッチ箱とは訪れた喫茶店の記録を残すための戦利品だった。

白あずきさんとマッチ箱との出会いは学生時代。昭和50年代の街中には、喫茶店がたくさん存在し、当たり前のようにお店オリジナルのマッチ箱が置いてあった。当時は、いろいろな喫茶店に行くことが目的で、マッチ箱は副産物として持って帰る程度の興味だった。コレクションをしている意識はなく、気づいたらたくさんのマッチ箱が手元に集まっていたという感じである。
「私が高校生の時は、校則で自由に喫茶店に入れなかった。その後、大学生になって堂々と行けるようになり、それが嬉しくていろいろなお店に足を運びました。お店のマッチ箱を持って帰ることは、喫茶店を訪れた戦利品のような位置付けでした」
余談ではあるが、昭和の中頃ではマッチ箱が、あらゆる場所に置いてあった。喫茶店、バー、ホテル、飲食店、商店、映画館、公共施設。そして、マッチ箱の種類に比例して、集めている人も多かったのだ。

白あずきさんがマッチ箱を入手する際のポリシー

形や色、デザインが綺麗、ちょっと変わったマッチなどの「どんなマッチか?」も大事だが、「どうやって手に入れたか?」も大切な基準。可能な限りお店に足を運んで、そのお店のエピソードと一緒にコレクションする。

白あずきさんのマッチ箱コレクション

ここで、白あずきさんのマッチ箱をいくつか紹介。
喫茶店、ホテルなどの個性的なデザインや絵柄を楽しんで頂きたい。
(注)一部現在は置いていないマッチもあります

MuuseoSquareイメージ

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ホテルのマッチ

(写真左)『ホテルオークラ東京』の開業50周年記念のマッチ。2015年8月に建て替え工事による本館閉館記念イベントに合わせて配られた
(写真右)日本各地のホテルのマッチ
<左上から>倉敷 IVY SQUARE、Tokyo Dome Hotel
ホテルオークラ、帝国ホテル、日光金谷ホテル
ホテルオークラ、帝国ホテル、ホテルオークラ
ホテルニューグランド、川奈ホテル、赤倉観光ホテル
*一部重複します

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民藝作家によってデザインされたマッチ

上段左より
芹沢銈介 (『たくみ』、民藝店、大阪)
柚木沙弥郎 (『松本ホテル花月』、ホテル、松本)
柚木沙弥郎 (『まるも』、喫茶店、松本)
川上澄生 (『光原社』、民藝店、盛岡)
下段左より
芹沢銈介 (『ざくろ』、飲食店、東京)
三代澤本寿 (『デリー』、飲食店、松本)
柚木沙弥郎 (『たくま』、飲食店、松本)
芹沢銈介 (『仙台光原社』、民藝店、仙台)

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画家「東郷 青児」がデザインしたマッチ

昭和初期、中期で活躍をした画家。独特の柔らかいタッチと、デフォルメした女性を描いた絵が有名で、様々な画集を発表し、絵画以外にも雑貨のデザインや本の装釘などでも才能を発揮した。
一方、東京をはじめ全国の喫茶店、洋菓子店、バーなどの店主との交際も広く、マッチはもちろん包装紙や容器、ショップカードなどのデザインも手掛けており、それぞれの店のマッチも数多く作られた。

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日本橋のお蕎麦屋「室町砂場」のマッチ

毎月、マッチ箱のデザイン絵柄が変更するお蕎麦屋。その季節の風景をマッチ箱で表現している。白あずきさんは変化するデザインとお蕎麦を楽しみに、毎月訪れている。
上から、2011年、2012年、2013年、2014年、2015年。
左から、1月〜12月。

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浅草の洋食屋「ヨシカミ」のマッチ

浅草で昭和26年(1951年)創業の洋食屋。「うますぎて申し訳ないス!」というコピーと共に、下町の人に長年愛されている。
浅草の縁日に合わせて、その時だけ配布されるマッチがある。
(上段左から)三社祭、羽子板市、ほおずき市、酉の市
(下段)常時置いてあるマッチだが、色や形は時々変更される

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鎌倉の喫茶店「パーラー扉」のマッチ

JR鎌倉駅前にある「鳩サブレー」で有名な豊島屋が経営する喫茶店。(1階は鳩サブレーのお店で、いつも賑わっている)
普通に見ると西洋絵画を描いたマッチ箱だが、側面を覗き込むと下記の文言が表記されている。
“この原画は一昨年京都のロートレック展の会場にて喪失し目下捜索中のものです。ご協力ください。”
街の社交場である喫茶店にあるマッチ箱のユニークな利用方法である。

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喫茶店「風見鶏」のマッチ

白あずきさんの実家で経営していた喫茶店。
「両親の知り合いや近所の人たちがいつも集まっていた賑やかな時間、両親が一番元気だった頃の楽しかった思い出が蘇ってきます。喫茶店を始める時、母が嬉しそうに「ほら、マッチができたよ」と見せてくれた時のことをぼんやりと思い出します。実は、『風見鶏』では2種類のマッチ箱を作ったのですが、現在はこの1種類しか手元にないのです。もう1種類が巡り巡って、手元に戻って来ればいいなと思っています」

ブログを始めたことで得られた、予想外の反応とは?

白あずきさんは、大学を卒業して社会人になると、徐々に好奇心がマッチ箱から離れていった。100円ライターの普及や、禁煙店が増加した時代の変化と共に、マッチ箱を置いているお店が減っていったのだ。
20年近く経ったある日、部屋の片隅から昔集めていた20個ほどのマッチ箱を見つけた。保存するか処分するか悩んでいた白あずきさんは、そのマッチ箱をブログで記録することにした。
「最初は、20個ほどのマッチ箱を載せ終わったら、ブログを辞めようぐらいの気持ちでした。しかし、ブログを始めると嬉しい反応があり、また新しいマッチ箱を入手しては載せるようになった」
白あずきさんが語る嬉しい反応とは、マッチ箱を集めている人からの反応をはじめ、昔その喫茶店の経営者だった方やその家族、働いていた方や、マッチ箱をデザインした方の子孫から、懐かしいとのお声を頂いたことである。
マッチ箱は時代を超えて、人と人を繋げていたのである。

どんなマッチにも、ひとつひとつ誰かの『物語』が隠れている

最後に、白あずきさんにマッチ箱の魅力を訪ねてみた。

「マッチ箱をひとつ手に取っただけで、そのお店に行った時の時間が蘇ってくる瞬間が好きです。自分で集めたマッチであれば、そのお店で飲んだコーヒーの味、外で咲いていた花、マスターとの世間話、一緒に行った人のこと、その時々の自分の思い出などが一瞬で蘇ります。
自分で行ったお店でなくても、ブログにアップした記事に、そのマッチ(お店)の思い出をコメントして下さる方たちが思いがけず沢山いて、私が行ったこともないお店の思い出を聞くことにより、思いがけぬドラマを想像してしまうこともあります。
どんなマッチにも、ひとつひとつ誰かの『物語』が隠れていると感じ、小さなマッチ箱から想像が広がるというのが、私にとってのマッチの魅力です。これは最初にマッチを集め始めた頃には気付かなかったことですけど、最近はそれが一番の魅力なのかな、と思うようになりました」

白あずきさんは、街に出かけてはマッチが置いてある喫茶店を訪れ、お店の雰囲気も含めて、マッチ箱を貰って帰る。そのマッチ箱は、『物(モノ)』に『事(コト)』が加わり、物語になっている。
しかし一方で、残念なことに、マッチ箱を入手できる喫茶店やホテルは減る一方で、入手をすることが困難になっているという。寂しい話である。
きっと100年後でも、昔のマッチ箱を集めることはできる。しかし、マッチ箱と共に物語を集められるのは、今の時代が最後のチャンスなのかもしれない。

(おわり)

行ったことのある喫茶店のマッチは見つかりましたか?

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