2021年4月追記:現在は、南フランス・ニースに活動拠点を移し、服作りを続けている。
東京の都立大学駅に店を構える、ユニークな仕立て屋
最寄り駅は東急都立大学。自由が丘方面に目黒通りを少し歩くと岡本さんのお店・ヴォルテラーノがある。
これまで何十軒と都内のテーラーをまわってきたが、今回取材したVorterano(ヴォルテラーノ)はとてもユニークなお店だ。店主でありテーラーであり、パタンナーでもある岡本圭司さんは1970年に、仕立て屋の三代目として京都に生まれている。今年46歳だ。
岡本圭司さん
現在の日本のテーラー業界を再興させ、テーラーブームを作った“次世代テーラー”といわれるテーラーもちょうどこの世代。だが、岡本さんはちょっと毛色が違う。
彼は西新宿にあった伝説の日本メンズ・アパレル・アカデミーで2年間にわたりテーラーとして必要なことを学んでいる。ちなみにこの学校はテーラーの跡継ぎが行く学校として知られていて、実技中心のまさにテーラー養成学校なのである。余談だが20年ほど前に雑誌の取材で訪れた際も、噂どおり実技の時間が多かったと記憶している。
その後、1990年から1993年までの3年間をミラノで滞在し、1997年には京都に帰郷。父親のテーラー業を手伝いながら自らのブランド、ヴォルテラーノを設立。当初は外部の職人さんに縫製をお願いしたり、注文を多くとるためにイージーオーダーを展開するなどしていたそうだ。
2008年に東京に移転。「東京に出たらすべて自分でやりたいと思いました。型紙制作から生地の裁断、縫製まですべて自分で行う、いわゆる丸縫いです」と岡本さん。
外の職人さんに出さないで自ら丸縫いするテーラーは他にも存在するが、彼のユニークなところはテーラー以外に自らデザインするヴォルテラーノの既製品(メンズのみ)を販売していることだ。春夏と秋冬にそれぞれ新作が店内に並ぶのである。他のテーラーではあまり見かけない形態だ。
鮮やかなパープルのジャケットを試着。ぐっと華やいだ気分に。
ジャケットの内側には手縫いのクロスステッチで止められたブランドタグ。裏地や縫い糸の色まで、岡本さんのきめ細やかなセンスが光る。服を作る時は、岡本さんがこうなりたいという「かわいいおじさん」をイメージしてデザインすることが多いそうだ。
1999〜2000の4シーズンをミラノコレクションにVorteranoとして正式参加していたことも。壁に貼られた写真はその時のランウェイをおさえたもの。
ジャケットに内装。全てに岡本さんの世界観が表現されている
ジャケットに袖を通して鏡を見てみると、生地や裏地の色、ポケットや襟、袖口の形状、ステッチがなんとも可愛いのだ。そう、岡本さんはこういうテーラードだが可愛らしさを生かしたカジュアルな服が好きなのだ。ハンガーに掛かっているこちらも全て岡本さんの手によって作られたもの。彼の好きな世界観であり、いわばヴォルテラーノのハウススタイルと言ってもいい。
もう一つの顏がテーラーとしての顏である。
既製品を取り扱うお店である一方、職人が腕を揮うアトリエでもあるのだ。カウンター越しのテーブルが作業台になっていて、この空間で型紙を引いたり、アイロンをかけたり、縫製をするのだ。ちなみにこのテーブルは岡本さんの手作り。ドアと電気器具の配線以外はすべて自分で行ったという。もともと手先が器用というのもあるが、気に入った色を業者に頼むことより、下手でもいいから自分で探して納得した色で壁を塗りたいと思ったそうだ。
カップやカウンターに並べられた小物もパリデザインで揃っている。
すべてが岡本さんの世界観なのである。かかっている音楽も差し出してくれたコーヒーもヴォルテラーノであり、岡本イズムなのだ。若いオーナーだとそれがプレッシャーになり寛げない場合もあるのだが、40代の岡本さんの世界観は肩の力が抜けていてとても心地良いのである。
岡本さんの入れてくれたエスプレッソを飲みながら。まるでカフェでくつろいでいるようなリラックスした空間。
この、自ら作るというこだわりは服作りにも生かされていて、テーラーを本格的に始めたときも少しずつ学校で習った技術を思い出し、新たに覚え、向上させていったという。
たとえばパタンナーとして作る襟の型紙と、テーラーとして作る襟とでは曲げる位置など少しズレがあるそうだ。パタンナーとテーラーを行ったり来たり繰り返すことで完成度を高めていったそうだ。現在、もちろんテーラーとしての技術は確かである。
一人で一カ月間に縫える着数はアイテムによっても異なるが5着~7着が限界だという。型紙、裁断、仮縫い、中縫い(2回目の仮縫い)、縫製、手縫いのボタンホールまですべて一人で行っているわけだから、本当にこれが限界なのだ。
たとえば仮縫いの場合も、お店を構えないテーラーに多い出張テーラーではなく、仮縫いや中縫いなどの全工程を店内で行っている。そのため地元密着型で、近隣に住むお客さんがほとんどだという。
「ホームページもやっていないのですが、稀に遠方からのお問い合わせもあります。その場合は仮縫いや中縫いのときにお店に出向いてもらうことを条件にしています。どうしても納得できる完成度の高いものを提供したいので、何かの工程を省きたくないんです」と岡本さん。
また仮縫いと中縫いは本番の生地は使わない。ペラペラなシーチングではお客さんが把握できないので本番と似た生地(後に破棄する)を使って行うという。その方がギリギリまでお客さんの要望の変更に応えられるそうだ。そのかわり本番の生地は型紙をぴったり納めることができるジャストな長さにしているとのこと。お客さんが喜んでくれるなら面倒なことでも惜しまないのだ。
仮縫い途中のジャケット。仮縫いは2回(仮縫いと中縫い)。お客様に来店していただき、店内で行う。
このように服作りには真摯な職人気質なのだが、フレキシブルな発想も持ち合わせていて、絶対に毛芯しか使わないといった保守的な考えでもない。
たとえば昔のタキシードのショールカラーはピリ(縫製箇所にできる細かなしわ)が出て当たり前なのだが、ボンディング(接着芯)を入れれば綺麗に仕上げることができる。野暮(風合い)と綺麗さのどちらを選ぶかはお客さんとの話し合いだという。こういう考えができる背景には、やはり既製品好きからテーラーになっていることも大きいと思う。既製品の良さとテーラーリングの良さの両方を知っていて、なおかつコミュニケーション能力に長けているからこそ、柔軟な対応ができるのだ。
映画の衣装製作も手がける
さて、もう一つユニークなことがある。それは映画の衣装を制作していることだ。
有名どころでは『るろうに剣心』シリーズの衣装を手掛けている。出演者の多くの衣装を任せられることもあれば、『海賊と呼ばれた男』(2016年公開)の岡田准一さんだけの衣装を担当することもある。場合によっては出演者1人10着、6人分で合計60着頼まれたことも。
岡本さんによると「量産の場合は、自ら引いたパターンと生地を用意して縫製工場にお願いしています。パタンナー&モデリスト的な役割ですね。一方、主役の専属の場合は5着手縫いで仕上げるなどテーラーとしての立ち位置です。映画の衣装制作もじつはさまざまなんです」
岡本さんが手がけた映画衣装の一部。映画『るろうに剣心』に登場する江口洋介演じる斉藤一(写真左)と、伊勢谷友介演じる四乃森蒼紫(写真右)の衣装を担当。「斉藤一の軍服はサイズ感をかなり意識して、何回も仮縫いし、衣装デザイナーと私が納得する絶妙なサイズ感を求めました。
一方四乃森蒼紫の衣装は原作のイメージをベースにそれよりも軽くならないように、カーフのレザーを使用。ステッチをフルバンドで、時代設定の明治のクラフト感を出せる様に意識しました」
衣装の細部にこだわる監督もいれば、道具として衣装を考えている監督もいるという。テーラーとしては前者であってほしいと願うところだが、完成した映画を見てみると、道具としての衣装の場合は不思議と風景に溶け込んでいたりするそうだ。
また映画会社が用意する衣装は裏地や内ポケットがないのが当たり前だが、テーラーとして参加している以上は内ポケットまでしっかり作って納めるという。映画の衣装制作から学ぶことも多いとのこと。
既製のオリジナル、丸縫いのビスポーク、映画の衣装制作という三足のわらじを履いているのだが、すべてから学ぶことが多く、それぞれの服作りに生かされていることはたしかだ。ヴォルテラーノの魅力は尽きることがない。
ーおわりー
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Vorterano
Vorterano(ヴォルテラーノ)では店主でありテーラーであり、パタンナーでもある岡本さんがテーラー以外に自らデザインする既製品(メンズのみ)も販売している。既製品の良さとテーラーリングの良さの両方を知っていて、なおかつコミュニケーション能力に長けているからこそ、柔軟な対応ができるのである。また、お客さんが喜んでくれるなら面倒なことでも惜しまないという岡本さんの思いから、型紙の制作から縫製まですべての作業を一人で行っている。こだわりぬいたオーダースーツを希望の方におすすめの一店である。
現在は、南フランス、ニースに活動拠点を移し服作りを続けている。ご注文等は、下記メールアドレスまで。
vorterano@gmail.com
終わりに
岡本さんは京都市内生まれなのだが、お父さんが京都の丹後地方出身ということで、なんとボクの出身地と同じなのだ。小学校のときは夏休みになると日本三景の天ノ橋立の海水浴場で泳いでいたとか。ボクと同じ原風景をもっていると思うと、なんだか親近感が湧いてくるのだ。そうそう、本文では書かなかったが、将来はパリで同じようなお店を出したいそうだ。力を試したいといったことではなく、純粋にパリの匂いを楽しみたいのだ。「朝、エッフェル塔を横目に、石畳の上を自転車で走り、パン・オ・ショコラを頬張りながらお店のシャッターを開けたい」そうだ。まるで絵に描いたようなパリ生活で笑える。3年でもいいし5年でもいいという。夢見ることを忘れない少年のような岡本さんはやっぱり魅力的だし、とても楽しいひとなのだ。