2020/10/12 丹生水銀鉱山
初版 2020/10/14 17:24
改訂 2022/09/07 12:42
公開日:2020/10/14
水銀は中世ヨーロッパでは錬金術で金の、唐時代の中国では不老不死の薬の原料でした。日本では硫化水銀を"朱"または"丹"と呼び、赤色顔料として縄文時代から使われています。高松塚古墳の壁画の赤色は水銀朱です。
続日本書紀には伊勢国から朝廷へ水銀の献上があったと記されています。東大寺要録によれば大仏の金メッキに使用するため58620両(約2.2t)の水銀が使われたとされ、そのほとんどが伊勢国の産だったようです。中世には丹生に国唯一の水銀座が置かれ、今昔物語集には水銀商人が鈴鹿峠で盗賊に襲われた話が収められています。室町・戦国時代になると、水銀を原料とする白粉が盛んに生産され、伊勢射和白粉の名で全国区だったようです。
多気町丹生の水銀鉱山跡周辺は辰砂を含む地盤が赤色をしているため「火の谷」と呼ばれ、採掘坑は500箇所近くを確認しているようです。現在、丹生大師を中心に観光地整備されており、坑道跡や水銀製錬装置が再現されています。
Trilobites
2020/10/14妻の実家が近くなので、丹生の歴史に興味を持っていたのですが、意外と古くから採掘され、室町位には閉山していたようで、その歴史は長いですね。丹生大師に行くと、昔は栄え如何に財を成していたか感じられますね。
prin
2020/10/14 - 編集済みコメントありがとうございます。会社人だった頃はこの辺りを営業で担当していました。コケコッコー共和国や勢和の里まめや、五桂池のまごの店で昼食いただきました。良いところです。水銀鉱山跡も整備前で、崩れかけた坑口が開いていただけでした。