木型、革質、技術。三拍子揃ったニコラス・トゥーシェク
著者所蔵の15B Clifford Street製のコレスポンダントシューズ
ビスポークシューメーカー、ニコラス・トゥーシェクは1853年に産声を上げ、家族経営を続けながらも1970年にジョンロブに買収されます。
トゥーシェクの靴の特筆すべき点は、無駄のない流れるようなシェイプを生み出す木型作り、良質な革と職人の高い技術に裏打ちされた細かな縫製や底付けにあります。
このためヴィンテージシューズとしての価値も大変高く、資料として収集されている靴職人もいらっしゃいます。
著者所蔵。およそ100年前のレディースポロブーツ
ニコラス・トゥーシェクが歩んだ軌跡
創業者ニコラス・トゥーシェク氏は19世紀初頭、現在のハンガリーの生まれで、1840年代頃に英国文化や物作りを学ぶため渡英します。
当初は2、3年で帰国する予定だったのですが、1848年にハンガリー革命が勃発。祖国の混乱状態を危惧したトゥーシェク氏は英国に残ることを決意します。
当時すでに優れたブーツメーカーとして知られていた彼は1853年に自身の名前を冠した店をOxfordの24 Arthur Street に開きます。
56年にSt. Gile'sの 24 High Streetへ移転。62年にロンドンへ進出、109 New Bond Streetに店舗を構えます。その後87年に 39 Old Bond Streetへ移り20世紀を迎えます。
トゥーシェク氏の没年はわかっていませんが、この2つのBond Street時代に亡くなられ、家族に経営が引き継がれたものと思われます。
1904年から1937年には15B Clifford Street、38年から66年の間は17 Clifford Street、そして1970年にジョンロブロンドンに買収されるまで21 Jermyn Streetで靴作りを続けます。
ロンドンのヴィンテージコレクター Sam L Hegard氏のコレクション。至る所にクラックが入った状態でも美しいラインを保っており質の高さが伺える。17 Clifford Street時代の製品
クレヴァリー家との関わり
20年代のトゥーシェク(奥)と50年代のジョージクレヴァリー(手前)。基本的なプロポーション、メダリオン、底付けなど多くの共通点が散見される。
トゥーシェクの伝説を語る上で欠かせない人物がジョージ・クレヴァリー、アントニー・クレヴァリー(アンソニークレバリー)両氏です。
二人がトゥーシェクの工房で働いていたことは靴関係者にはよく知られていますが、今回取材を進める中で、二人以外にもジョージ氏の弟ジョン・クレヴァリー(アントニー氏の父)、ジョン氏のもうひとりの息子ジョン・クレヴァリー、更にはジョージ、ジョン兄弟の父親もトゥーシェクの工房にいたという事実が判明しました。
工房長であったジョージ氏を筆頭にClifford Street時代のトゥーシェクはクレヴァリー家によって支えられていたと考えられます。
ウエストエンド最高峰と謳われたメーカーの転機
ウエストエンドとはロンドンの文化的中心地をさす呼び名で、メイフェア、セントジェームズ、ソーホー、コヴェントガーデンなどが含まれ、古くから多くのビスポークシューメーカーを抱える場所としても知られています。
トゥーシェクは第二次世界大戦頃まで、その激戦区ウェストエンドの最高峰と言われていました。
ブレナム宮殿所蔵のチャーチルのために作られたベルベットスリッパ
しかし、1950年代に入ると工房長のジョージ・クレヴァリー氏と創業者ニコラス氏の孫娘で経営者のC.H. Tuczek(通称ミス・トゥーシェク)に不和が生じ始めます。1958年にはジョージ氏がとうとう工房を離れ、Clifford Streetから程近いCork Streetに自身の店を構えます。
その際、トゥーシェクの多くの顧客がジョージ氏の店に流れたとされています。更に翌年までに他のクレヴァリー家の職人もトゥーシェクを離れ、優れた職人と顧客を失ったため経営は傾き始め、ジョンロブに買収されその歴史に幕を降ろします。
ヴィンテージシューズとしてのトゥーシェク
パリのヴィンテージショップ、Chez Ammar 所蔵
他のビスポークシューメーカーと比べて小さな工房しか持たなかったトゥーシェク。そのためか現存する靴も多くなく、インターネットオークションでもコンディションに関わらず高額で取引されます。
市場に出回る靴のほとんどは17 Clifford Street時代のもので、ごく稀に15B Clifford Street時代のものも見かけます。現代のビスポークシューズとヴィンテージシューズとを比べると、それぞれに優れた点、劣る点がありますが、トゥーシェクに関しては靴職人さんからも高い評価を受けています。
特別なオーラを放つニコラス・トゥーシェクの靴たち、その佇まいは伝説と呼ばれるに相応しいものに違いありません。
ーおわりー
終わりに
本連載は今回で最終回でありまして、最後にかねてと思っておりました、ヴィンテージシューズで最も評価の高いニコラス・トゥーシェクを特集出来て大変嬉しく思っております。伝説と呼ばれながらあまり知られていなかったメイカーの盛衰やクレバリー家との実に密な関係、読者の皆様の好奇心を少しでもくすぐることが出来ましたら幸いです。