私が小学生の頃は、ファミコンに夢中だった。スーパーマリオ、ドラクエ、グラディウス、ファミスタ、ゼルダの伝説、などなど。好きだったソフトのタイトルを数え上げたらキリがない。
今では、PlayStation4やWii Uに代表されるように、ゲーム機の性能は格段に向上し、世界中のゲームファンがさらなる高性能の新しいゲーム機の登場を待っている。一方で、1970年代、80年代に発売されたクラシックな家庭用ゲームTV機を集めている人も、世界中に一定数いるのだ。
今回話を聞いた、家庭用TVゲーム機を集めている大和祥晃(やまとよしあき)さんは、同じ機種のダブりも含めると500台近いコレクションの数になる。
そんな大和さんに、クラシックな家庭用TVゲーム機のコレクションを見せてもらい、魅力を語ってもらった。
ゲームセンターで遊んでいたゲームが自宅でも遊べる。ファミコンがもたらした衝撃!
1963年生まれの大和さん。学生時代は、毎日のようにゲームセンターに通うゲーマーであった。当時は、インベーダーゲームが大流行し、ゲームセンターで技を磨いた大和さんは、伝説の”名古屋撃ち”ができるほど、インベーダーに熱中だった。(*名古屋撃ちとは、侵略してくる敵を効率的に撃ち落とす方法。編み出したゲーマーが名古屋人であったことから名付けられた。)
「当時は、家庭用TVゲーム機がとても高価でした。中学生の時に、親に買ってもらったのがエポック社の『テレビブロック』が唯一の自宅のTVゲーム機。高校生になると、ゲームセンターで、インベーダー、パックマン、クレイジークライマー、ドンキーコングなどに夢中になっていました」
そんなゲーム好きだった大和さんに、大きな事件が起きたのは1983年。任天堂が発売した「ファミリーコンピューター(FamilyComputer)」によるものだった。ファミコンの名前で認知されたこのゲーム機は、日本だけでなく世界中で瞬く間に広がり、全世界の累計で6000万台以上を売り上げた過去最大級の成功を成し遂げたゲーム機である。
「ゲームセンターでしかプレイが出来なかったドンキーコングが、家のテレビでプレイ出来るのは衝撃的でした。興奮を抑えきれずに、発売初日に買いに行った思い出があります」
ざっくりと解説:家庭用TVゲーム機の歴史
1972年に米国で発売された「オデッセイ」が歴史の始まり。その翌年に、アタリ社が「ホーム・ポン」などを発売。当時はソフトがゲーム機に内蔵されていたので、1ゲーム機で1つのタイトルしか遊べないのが通常であった。
1977年にアタリ社が販売した「Atari 2600」では、スペースインベーダーが家のTVでプレイできることが人気を博し、アメリカの一般家庭に普及し始めた。1979年頃より、現在のようなゲーム機本体と、ゲームソフトが別々の会社で作られる体制が生まれた。
1982年の米国にて「アタリショック」と呼ばれるゲーム産業の不況があり、ゲーム市場が縮小。しかし、1983年に日本の任天堂が発売した「ファミリーコンピュータ」が驚異的な人気を得て、ゲーム市場が回復。同時期に、PCエンジン、メガドライブ、ネオジオなど日本の各社がゲーム機を販売。
1994年にソニーが「PlayStation」、1996年に任天堂が「NINTENDO 64」を販売。2001年にマイクロソフトが「Xbox」を販売するまでは、日本のゲーム機が世界をリードしていた。
子供の頃に欲しくても買えなかった気持ちが、ここまでコレクションを集められた起源
TVゲーム機のコレクションを集め始めたのは、社会人になってからである。その大きな要因は、社会人になり使えるお金に余裕が出てきたことと、ヤフオクの出現である。
「16年ほど前は、非常に熱狂的にゲーム機を買い集めていました。ヤフオクを毎日のようにチェックして、価格で折り合いがつくものを購入し続けましたね。子供の頃に欲しくても買えなかった気持ちが、ここまで熱狂的にコレクションを集めた起源だと思います」
ヤフオク以外にも、おもちゃ屋やリサイクルショップを訪れ、購入することもある。ちなみに、ヤフオクで高値で取引されているゲーム機が、昔ながらのおもちゃ屋、リサイクルショップなどで安く入手できた時は、格別に嬉しいと言う。
コレクションQ&A
Q:コレクションの中で一番のお気に入りのゲーム機は?
A:「SD-G5」と言うパイオニア社から発売されたゲーム機。コンポーネントテレビにソフトであるSEEDを差して遊ぶ物なんですが、非常に現存する物が少なく、現在稼働している物は私の物以外で画像や動画を見たことがないです。
Q:実際にプレイする点では、どのゲーム機がお気に入りですか?
A:ファミコンですね。一番長い時間プレイしたと思います。スーパーマリオブラザーズやドラゴンクエストなど、一通りのゲームで遊んだと思います。
Q:今、一番欲しいゲーム機は?
A:英語通信教材の会社リンガ・フォンが販売した「EDUCATION GEAR」です。SEGA社が開発した「マルチメガ」と呼ばれるゲーム機が海外にあったのですが、日本だと価格販売が高すぎて売れないだろうとの予測から、英語の教材として日本で売り出しました。
特徴的なのはSEGA社のゲーム機「メガドライブ」と互換があること。ゲーム機としても遊べるものですが、ゲームではなく教育教材として販売されたので、あまり普及はしませんでした。
ヤフオクで50万円で見かけたのですが、あまりにも高いので手は出していません。おもちゃ屋さんや、リサイクルショップで見つかったらいいなーと思っています。
Q:一番プレイをして楽しかったソフトは?
A:ドラゴンクエストです。ドラクエシリーズの中でもⅢ、Ⅳが大好きですね。ストーリーがきちんと作られていて、その世界観が好きでした。ゲーム史に残る名作RPGだと思います。
Q:一緒にゲーム機を集めている人は、仲間はいますか?
A:クラシックなTVゲーム機を紹介しているブログ「ODYSSEY」の管理人である寺町電人氏と、情報交換をしていました。
Q:入手したコレクションで一番高価なものは?
A:ヤフオクで入手した「オデッセイ」(アメリカ:1972年発売、マグナボックス社)で、20万円ほどしました。
Q:少し変わったコレクションは?
A:「NINTENDO 64」は40台以上持っています。「ファミコン」も20台以上。あと、ソフトだと「燃えろプロ野球」は150個ぐらいあります。
コレクション部屋の押入れ内には、ゲーム機が山積み
(左)ATARI 2800 (右)ODYSSEY 2
大和さんが語る、レトロゲーム機の魅力とは?
最後に、大和さんにレトロ家庭用ゲーム機の魅力について聞いてみた。
「家庭用TVゲーム機の魅力は自分の家でゲームができること。当たり前何ですけどね。私が子供の頃はテレビゲーム機は高価で、持っている人は少なかった。デパートのゲームコーナーや、街のゲームセンターでしか遊べなかったものが、自宅でプレイ出来るのが魅力ですね」
「レトロなゲーム機に関して言うと、形や色が好きです。コントローラーがジョイスティックだったり、少し変わった形状のボタンがあったり。そして、色もレトロ調のカラフルな物が多いです。そして、種類が多いのがいいです。同じ内容のゲームをする機器でも、複数のメーカーが色を変え、名前を変えて販売していました。1977年だけでも、同じような性能のゲーム機が100種類近く出回ったと思います。全部を集めるのは無理なので、きっとコレクションゴールはないと思います」
世界中で発売されたゲーム機が、歳月をかけて大和さんの手元へ集まっている。集まっている場所が、ゲームを愛してやまない大和さんの手元で良かったと感じる取材だった。
ーおわりー
ゲーム機以外にも、フィギュアや漫画、DVDも集めている
大和さんの父親が集めていた戦闘機、戦車などのプラモデル。
ゲーム機だけでなく、ソフトも数多く所有。あの名作のドラクエも見える
玄関に山積みにされたソフト。おもちゃ屋にて大量に購入した
コンピューターTVゲーム
発売時期:1980年
製造元:任天堂
発売当時価格:48000円
1978年にアーケード用に発売されたコンピューターオセロを、家庭用のTVゲームに移植。A3用紙ほどのサイズで大きく重いが、白黒画面のオセロで遊べるのみ。当時の、ゲーム機スペックの様子がうかがえる。
ブロック崩し
発売時期:1979年
製造元:任天堂
発売当時価格:8300〜13500円
6種類のブロック崩しがプレイ可能。基本は、上部から落ちてくるボールをバーで弾き、ブロックに当てて消していくゲーム。
MY VISION
発売時期:1983年
製造元:日本物産
発売当時価格:19800〜39800円
日本物産がハードを製造し、ロジテック社がソフトを共同開発。ソフトは、「五目ならべ」「ハナフダ」「マージャン」「マスターマインド」「リバーシ」「ツメショウギ」の6本が販売された。
ファミリーコンピューター
発売時期:1983年7月15日
製造元:任天堂
発売当時価格:14800円
ファミコンの愛称で親しまれている、全世界で6000万台以上を売り上げたゲーム機。ファミコンの開発コンセプトは、当時ゲームセンターで大流行していた「ドンキーコング」を家庭で見劣りなくプレイできることを目標にしたのは有名な話。本体にえんじ色を採用した理由は、任天堂社長の山内博が好きな色だったことから社長命令で決定。
コントローラーには、十字キー、マイクなども搭載され、当時としては画期的だった。
PONG
発売時期:1975年~1977年
製造元:ATARI
発売当時価格:24800円
1975年に米国で大ヒットしたATARI社の「PON」のシアーズ版。PONとは、ビデオ画面上に再現された卓球ゲームである。シアーズとは、米国の大手百貨店で、通信販売でも有名。
テレビスポーツトロン
発売時期:1977年
製造元:日本コカコーラボトリング
コカコーラの懸賞で当たったゲーム機。当時は、コカコーラやファンタの王冠10個で1口応募ができ、もしくは、王冠10個+7500で購入する事も可能だった。ゲームは3種類。モノクロでテニスのように玉を打ち返すゲームなど。
テレスポ
発売時期:1976年
製造元:GA-ダイシン
発売当時価格:24900円
付属の光線銃の価格:6800円
テレスポとは、テレビスポーツの略で、「テニス」「サッカー」「スカッシュ」「キャッチボール」「ライフル1」「ライフル2」の6種類のゲームで遊べる。
ブルーとホワイトの2種類が発売された。
トイ・フィギュアを一層楽しむために。編集部おすすめの書籍
さまざまな事情から発売されなかったファミコンゲーム幻の作品たちをまとめて紹介!
ファミコン発売中止ゲーム図鑑
ゲーム雑誌の新作情報や発売予定リスト、各種広告物などで発表されながら、実際には発売に至らなかったゲームたち。ファミコン時代は特にお蔵入りとなるゲームが多く、その数は150本を超える。
開発の難航、売れ筋の変化などさまざまな理由から、開発中止・発売中止となった幻の作品たち。その情報を、各種資料から一挙紹介!
さらに、タイトル変更やデザイン変更などで発表当初から大きく変わったゲームも、多数掲載する!
ファミコンの歴史を学べるあの一冊がワイドに、よりマニアックになって再登場!
ファミコンコンプリートガイドデラックス
一生手元に置きたい究極のコンプリートガイド。全ソフトのパッケージ裏面を新規掲載しているほか、充実のコラムはさらにパワーアップ。
よりビッグに、よりディープに――。
全てのファミコンファンに捧げるデラックスな一冊。
大好評だった『ファミコンコンプリートガイド』から3年。
「ファミコンの全ソフトをもっと大きいサイズで見たい! 」という要望に応え、より大きなB5判で新登場。
全ソフトのパッケージやカセットはもちろん、ディスクカードから周辺機器まで大きな写真がフルカラーで楽しめる。
基本構成は前書を踏襲しつつ、新たに全ソフトのパッケージ裏面を掲載。
裏面に描かれたゲーム画面や解説から各ソフトの魅力が再確認できる。
また、本体情報やファミコン・ディスクシステムの本体展開図に加え、ファミコンの歴史等もパワーアップしているほか、著名なコレクター協力の下、ファミコン関連コラムもさらに充実させ、よりディープな内容に踏み込んでいる。
併せてタイトルや発売日・価格・紹介文なども見直しを行い、より正確な情報を掲載。
年代順・50音順にアクセスできる検索ページも超便利だ。
その他、好評だったチラシギャラリーに加え、当時放映されたCMを集めた新規要素のCMギャラリーにも要注目。
金ピカ文字をあしらった豪華なカバーに、432ページという他を圧倒する特大ボリュームの本書は、ファミコンの魅力をたっぷり詰め込んだファミコン大辞典として重宝するだろう。
終わりに
記事内にも書きましたが、小学性の頃はファミコンが大好きでした。特に、野球ゲームの「ファミスタ」が大好きで、130試合モードをクリアするために、毎日のようにコンピュータ相手に対戦をしていました。今振り返ると、あの時間で楽器を学んだり、英語を勉強しておけば良かったのですが、、、ゲームで得られる日々の小さな成功体験(レベルアップ、ステージクリア、対戦相手に勝つ)とか楽しかったのだと思います。今回の取材を終えて、久しぶりにゲーム熱が高まっています!