2022/3/1 石垣の石が語ります

初版 2022/03/05 06:16

改訂 2022/09/07 12:42

公開日:2022/03/05

和歌山城は安土桃山時代の豊臣秀長による築城から、江戸時代の紀州藩紀州徳川家の居城として幾度も改修を経験し、異なる時代の石垣を見ることができます。「野面積み・算木積み・打込接ぎ・切込接ぎ・箱積み・亀甲積み…」「石垣に刻まれた刻印のデザインは多種多様で40種以上」マニアにはたまりません!大まかには「三波川結晶片岩(紀州青石)で積まれた石垣が豊臣期、和泉砂岩(和泉青石)を用いた石垣が浅野期、花崗斑岩(熊野石)の石垣が徳川期である」ようです。

穴蔵状遺構近くの石垣に使われていた和泉砂岩にはコダイアマモの化石。かつて日本の白亜紀後期固有の植物化石とされていた石は、ピレネー山脈の始新世深海堆積物からも発見され、定住性底生生物(Archaeozostera)の生痕化石であるという研究成果が主流となりました。

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球状岩は世界的にみても非常に珍しい石です。
その産地は大変な山奥や無人島であったり、産出範囲が極狭く採り尽くされたり、ただ1個体の報告であったり、転石で露頭が不明であったりと、実際に採取することの困難な石だったりします。
確認された露頭の多くは国や自治体の天然記念物に指定されている場合も多く、その成因は解明されていません。

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