2021/10/5 夜泣き石の一席

初版 2021/10/06 07:04

改訂 2022/09/07 12:42

公開日:2021/10/06

「昔々その昔、"お石"という名の妊婦がおりました。中山の丸石近くで陣痛がはじまり、苦しむところに盗賊の刃、裂かれた腹より子供が産まれす。お石の意思は丸石に乗り移り、子の助けを求めて夜になると泣いたといいます」

静岡県掛川市佐夜鹿の名物子育飴"小泉屋"の裏手に夜泣き石が鎮座します。広重の東海道五十三次(日坂)では通行を妨げる邪魔者、脇に避けられ居場所を転々、明治の時代には東京の博覧会に行きました。帰路、船から降りたところ、これより先の陸路の運賃がありません。浜に置き去りにされました。不憫に思う佐夜鹿の人たちのご尽力で現在の地に運ばれます。昭和の時代には松坂屋さんに誘われて再び上京、2度目の東京見物を経験します。

「石の泣き声は久延寺にとどきます。飴で育った子供は音八と名付けられ、刀研師となりました。ある時、刃こぼれのある刀の研ぎを受け『妊婦を始末した時に丸石に当たった』と聞き、見事、仇討ちを果しました。めでたしめでたし」

よく似た石は久延寺にもありますが「弘法さんが仏号を刻んだ」とあり、何かしら文字のあるこちらが本命です。

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球状岩は世界的にみても非常に珍しい石です。
その産地は大変な山奥や無人島であったり、産出範囲が極狭く採り尽くされたり、ただ1個体の報告であったり、転石で露頭が不明であったりと、実際に採取することの困難な石だったりします。
確認された露頭の多くは国や自治体の天然記念物に指定されている場合も多く、その成因は解明されていません。

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