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- 83F 日本鉄道物語
- アプト式開通(横川-軽井沢) 1893年4月1日<日本鉄道物語コレクション>
アプト式開通(横川-軽井沢) 1893年4月1日<日本鉄道物語コレクション>
1872(明治5)年、新橋-横浜間の鉄道開業後間もなく、東京-京都・大阪間を結ぶ幹線鉄道計画が進められました。当初計画は中山道を経由するもので、1884年(明治17)年5月には日本鉄道により上野-高崎間が開通、翌年10月には高崎-横川間が開通しました。しかし、険しい山々は入り組んだ中部山岳地帯や横川-軽井沢間に立ちはだかる碓氷峠の難工事のため、1886(明治19)年、幹線鉄道は東海道ルートに急遽変更され、中山道ルートは太平洋側と日本海側を結ぶ本州横断線として建設が進められました。碓氷峠区間を除く工事は着々と進行し、1888(明治21)年12月には軽井沢-直江津間が全通しています。未開通区間は横川-軽井沢間のみとなり、両鉄道間の連絡輸送は1888(明治21)年9月に開業した碓氷馬車鉄道に頼らざるを得ませんでした。
その後、さまざまなルートや鉄道方式が検討されましが、1891(明治24)年3月、現在の国道18号線に沿ったルートに決定し、ドイツのハルツ山で使用していたアプト式鉄道を採用することで、ようやく着工の運びとなりました。しかし、当時は優れた建設機械もなく、多くは人手に頼らざるをえませんでした。18の橋梁と26のトンネルを建設する難工事を昼夜突貫で進め、わずか2年足らずで完成しました。1893(明治26)年4月1日、慎重な運転を重ね、線路延長11.2km、標高差553m、勾配66.7‰(1/15)という急勾配を克服したアプト式鉄道が開通しました。
最初に使用された機関車は、ドイツのエスリンゲン社製の3900形式アプト式蒸気機関車(ADクラス⇒C1形⇒を経て3900形と改名)4両でした。1912(明治45)年5月には幹線最初の電気機関車運転が開始されましたが、年々増加する輸送量にアプト式鉄道では対応できなくなり、1963(昭和38)年7月、碓氷新線の開通により、同年9月29日、アプト式区間は70年の歴史に幕を閉じています。
(解説:肥沼恵一)
#切手
■アプト式電気機関車について
https://muuseo.com/stamp_collection/items/986
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2020/03/13注記:‰=パーミル
1000分の1を1とする単位。千分率。勾配66.7‰は1000mで66.7m上昇することになります。
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