第3回内国勧業博覧会で電車を運転 1890年5月4日<日本鉄道物語コレクション>

0

 文明開化と共に渡来した電気は、当初、電信に使用されていましたが、1882(明治5)年3月25日、当時の工学大学校でアーク灯の点灯が成功(3月25日は電気の記念日)し、強力な明るさは人々を驚かせました。追ってエジソンの白熱電灯も渡来し、電気の証明としての事業が明治の起業家により始められ、各地に水力、火力による電灯会社が成立されました。当時は電灯以外にはほとんど電気の需要は無く、昼間には遊休状態となる高価な舶来の発電設備の有効活用の一つとして、電車の運転を思い立ったと電気の授業で聞いたことがあります。

 1885(明治18)年、白熱電灯の点灯に成功し翌年から給電事業を始めた東京電灯会社の技師長藤岡市助博士は、訪米の際、当時アメリカで実用化されて間も無いF.J.スプレーグが発明したスプレーグ式電車2両と同形の1/5模型2台を入手、持ち帰りました。
 スプレーグ式電車は、軌間は1,372mm、15馬力のモーターで2段減速歯車を介して車輪を駆動する方式で、使用電圧は直流500W、座席22名でした。

 東京電灯会社では、1890(明治23)年4月1日~8月31日まで上野公園で催された第3回内国勧業博覧会に出品し、5月4日から両大師前(現国立科学博物館付近)から擢鉢山(現東京西洋美術館付近)まで170間(約310m)単線の路線を設け、神田錦町の同社発電所のエジソンダイナモNo.10号から供電し、日本最初の電車が走りだしました。

 博覧会終了後は、この2両は電車機器の国産化を行った三吉電機商会が引取り、1両は大師電鉄、1両は東京市街鉄道へ譲渡され、東京市街鉄道の電車は東京市電の記念電車として引継がれ大切に保存されていましたが、1945(昭和20)年5月の空襲で都電青山車庫と共に被災焼失し、焼残った台車とモーターは都電芝浦工場の保管後荒川車庫へ移された後、明治村での保存復元の声も有ったのですが、以後行方不明となってしまいました。

(解説:堀口洋平)

#切手
#鉄道グッズ

Default