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グレナダ/1994年11月15日発行 (世界の鉄道Ⅱ-3)【STEAM LOCOMOTIVE STAMPS OF THE WORLD】
『英グレート・ウェスタン鉄道の広軌用2-2-2機関車<ファイア・フライ>(ほたる)』 グレート・ウェスタン鉄道は創業当時から大輸送力鉄道を目標に、軌間7フイートの広軌を採用していたが、入手した機関車がすべて貧弱で、万年的に輸送力不足に悩んでいた。1839年機関車主任技師に就任したダニエル・グーチは、最近スチブンソン社から購入した<ノース・スター>(世界の鉄道Ⅱ-2を参照)を参考に、早速新しい機関車の設計に着手した。最初に出来上がったのがこの2-2-2<ファイアフライ>で、その第1号機は1840年に完成した。広軌の特性を生かして横幅は大きく、太いボイラと長い煙突、どっしりとした外台枠と大きな車輪など、堂々たる偉容で、運転性能もまことに優秀であったので、1842年までに62両が製作され、この鉄道の貨物輸送力の中心として活躍し、当時の数多い鉄道の中で、機関車の速度と牽引力については、遥かに群を抜いた技術力を誇示した。 ※発行当時の説明です。 #切手
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グレナダ/1994年11月15日発行 (世界の鉄道Ⅱ-2)【STEAM LOCOMOTIVE STAMPS OF THE WORLD】
『英グレート・ウェスタン鉄道の広軌用2-2-2機関車<ノース・スター>』 ロンドンから西に向かって走る幹線グレート・ウェスタン鉄道は、初代技師長アイサムバード・キングダム・ブルーネルの強い信念で、7フィート(2,140mm)の広軌を採用したために、その発端から軌間4フィート81/2インチ(1,435mm)の英国内の各鉄道から仲間外れとして孤立していた。 この<ノース・スター>がグレート・ウェスタン鉄道の手にはいったのは、ちょっとした偶然からである。この機関車は、1837年、スチブンソン工場でアメリカのニューオルレアン鉄道(軌間5フィート6インチ=1,676mm)向けに製作されたもので、一旦は船でアメリカへ輸送されたが、取引上の行き違いでイギリスへ送り返された。これを軌間7フィートに改造してグレート・ウェスタン鉄道が引き取ったものである。運転成績は優秀で、1838年、46トンお客車を牽引して、最高72km/h、平均62km/hで走った。1925年の鉄道100年記念のとき、レプリカが製作され、スウィンドンの博物館に保管されている。 ※発行当時の説明です。 #切手
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グレナダ/1994年11月15日発行 (世界の鉄道Ⅱ-1)【STEAM LOCOMOTIVE STAMPS OF THE WORLD】
『英ストックトン・ダーリントン鉄道の6輪連結機関車<ウィルバーフォース>』 1826年、鉄道の先覚者となって急に身辺多忙となったジョージ・スチブンソンの後をついで、ストックトン・ダーリントン鉄道の技師長に就任したティモシー・ハックワークは、翌27年、スチブンソンが製作した動輪2軸の機関車<ロコモーション>の牽引力増強のため、これを改造した世界最初の動輪3軸連結<ロイヤル・ジョージ>を製作した。試運転では平坦線で100トンの貨車を牽引して時速8kmで走り、上場の成績をしめした。 ハックワースはこれに満足することなく、1831年には、さらに斬新強力な6輪連結機関車を製作し、これを<ウィルバーフォース>と名付けた。機関士席の左右に堅形のシリンダを置き、連結棒とクランクで、足元に車軸と平行に設置した中間軸を廻転し、この廻転を連結棒で3軸の動輪に伝える構造であった。ボイラの前後に1台ずつの炭水車をつけ、前の車には機関助士(火夫)と石炭を、後ろの車には、大きな樽形の水槽を積んだ。運転成績が良好だったので、同形の機関車3両を追加製作したが、その後は、構造の複雑な堅形シリンダと中間軸方式をやめて、横形シリンダで直接直近の動輪のクランクを廻転するように改善した。 ※発行当時の説明です。 #切手
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京都電気鉄道開業 1895年2月1日<日本鉄道物語コレクション>
京都市は明治維新と東京遷都により人口減少、産業衰退し、北垣京都府知事は灌漑、上水道、水運等の動力源として琵琶湖疎水を計画し。田邊朔郎に設計させました。1888(明治21)年に出張した田邊らはボストンで路面電車を見て、京都の琵琶湖疎水を利用して発電も行い、そして電車を走らせることを考えました。 1895(明治28)年2月1日(他説:1月31日)、京都電気鉄道は七条停車場前-伏見町油掛の6.6kmで営業開始しました。この5年前に上野公園で開催された第3回内国勧業博覧会でアメリカから輸入した2両の電車が展示され、運転されていますが、営業用市外電車としては日本初となりました。京都で第4回国内勧業博覧会が開催され、京都駅前-南禅寺橋間の路線は博覧会開会と同時、1895年4月1日に開業しました。 この京都電気鉄道の成功で、全国の主要都市で路面電車の建設が行われるようになりました。京都電気鉄道開業当初に使われた電車は長さ20尺(6m)、幅6尺(1.8m)の小型で、定員は28名でした。モータはアメリカのGE社製で25馬力、台車とレールもアメリカから輸入し、車体は国内(井上工作所)で製造されました。京都電気鉄道は、その後1918(大正7)年に京都市に買収され、その京都市営電車も1978(昭和53)年に廃業となりました。 京都市電の車両の2両は復元され、明治村と梅小路公園で動態保存されています。この車両は1911(明治44)年以降に製造されたやや大型の電車で、長さ24尺(7.2m)、幅6尺5寸(2m)、残念ながら1895年開業当時のものではありません。 Pスタンプの車両は動態保存されている赤い旗を持った人は告知人です。雑踏・橋上・夜間などの通行には、電車告知人が電車の5間(約9m)以内を先行し、赤旗などを振りながら「あぶない・・・」と言って、電車の走行を告知しました。電車の速度は1時間6マイル(約9.6km/h)以内と決められていたために充分間に合ったようです。 #切手
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ガイアナ/1994年11月15日発行 (英米の古典的機関車-5)【STEAM LOCOMOTIVE STAMPS OF THE WORLD】
『米ユニオン・パシフィック鉄道のロジャース製4-4-0アメリカン形機関車』 タマス・ロジャーズ、ニュー・ジャージー州の機関車メーカーとしてこれほど有名な人はいない。数年間、他の会社で修業した後、1832年、<ロジャーズ・ケッチャム・グロブナー社>を成立して自ら社長となり、次第に機械メーカーとしての地歩を固め、1835年には、機関車並びに鉄道車両メーカーとしての旗揚げを宣言した。 1837年、1号機関車4-2-0<サンダスキー>を制作。1844年以降は専ら4-4-0アメリカン形を製作した。この切手に描かれているのは、1850~60年頃の同社の標準的4-4-0機関車である。主燃料が木材であることを示す漏斗形の大きな煙突、前面下部のカウキャチャー、駅への接近を知らせ、また牧場の牛を追い散らすための大きなベルなど、典型的なアメリカン形だが、火室を広くするために、ボイラー胴後部の直径を太くしたワゴントップ形ボイラや構造が簡素で作用が確実なリンク式の弁装置など、同社の長年の技術の蓄積を物語る作品である。 ※発行当時の説明です。 #切手
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ガイアナ/1994年11月15日発行 (英米の古典的機関車-4)【STEAM LOCOMOTIVE STAMPS OF THE WORLD】
『米ハドソン運河会社の0-4-0機関車<ストアブリッジ・ライオン>』 1829年1月。イギリスのストアブリッジにあるフォスター・ラストリック社では、ジェット・エンド炭坑の注文で、外形も構造もスチブンソンの<ロコモーション>にそっくりの2軸連結機関車を制作した。 アメリカのデラウェア・ハドソン運河会社の鉄道建設に当たっていたホレイショ・アレンは、これを聞いて早速イギリスに渡り、試運転の成績を見てすっかりこれに惚れ込み、同形の機関車1両を注文した。機関車は5月15日にニューヨーク港に到着した。スチブンソンの機関車<ロケット>がレインヒルの機関車コンテストで、1等賞を獲得するようりも、5か月も前のことである。 機関車の正面に大きなライオンの頭を描いて、<ストアブリッジ・ライオン>と命名した。8月8日カーボンデール~ホーンスデール間で、アレンが自ら運転して、石炭列車を牽引して試運転が行われた。運河を渡る橋梁の前後がかなりきつい勾配になっていたが、時速15kmばかりで、橋梁を何回も行ったり来たりして見せた。彼は得意満面だったがこれが見事な失敗で、橋梁は7トンの機関車の重量に耐えられず。傾いてしまった。機関車はお蔵入りとなり、二度と使用されることはなかった。 ※発行当時の説明です。 #切手
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電気機関車シリーズ 第1集(4)EF58形式急行旅客用電気機関車(1946-84)
戦後の旅客輸送増強用として新設計されたもので、1946~48年に31両が製作された。車輪配列はEF53と同じ2Co+Co2形で、車体の前後にデッキがある。重量98t。戦後の資材不足と技術の低下を補うために、不急の部品を省略した実用一点ばりの設計だが、出力1.600KWの高性能機であった。その後、世相の安定化に順応して、パンタグラフの大形化、高速度遮断器の取付けなどの大改良が加えられた。 1952年からは、旅客暖房用のボイラーを社内に装置するために、前後デッキを覆う大きな半流線形の車体に変更し、主電動機も大形化して、出力1,900kw、重量115tの、わが国の旅客列車用としては最大・最高性能の電気機関車となった。新形は1958年までに、141両が新製され、旧形の31両もすべて新形同様に改造され、東海道線や高崎・上信越線の急行列車として活躍した。 車体の色は、最初は従来通りの葡萄色一色であったが、1956年の東海道線電化完成を機に、切手に描かれているイエローグリーンやブルーなど、多彩なものになった。 #切手 #初日カバー #マキシマムカード
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アンチグア・バーブーダ/1991年3月発行 (世界の歯軌条鉄道-2)【STEAM LOCOMOTIVE STAMPS OF THE WORLD】
『米マニトウ・パイクスピーク登山鉄道』 パイクスピークはアメリカ中央部、大ロッキー山脈の東端、バーク山脈中の標高4,300mの巨峰である。マニトウ・パイクスピーク鉄道は、麓のマニトウ・スプリングスを起点に、パイクスピーク頂上まで、標高差2,200mを結ぶ、延長14.2km、平均勾配160%、標準軌間、アプト式の登山鉄道で、1896年に開通した。当初は小さな蒸気機関車が、2時間30分かかって客車1両を押し上げたが、1963年からは、スイス製のディーゼル電車(世界の歯軌条鉄道-1の40c切手を参照)が導入され、運転時間は1時間30分に短縮されている。 ゆったりとした車窓からは、西に連なるロッキーの峰々や、東にひろがる大平原のすばらしい眺望が満喫できる。定期列車は1日2往復だが、夏期の週末には、頂上付近からのご来光見物のために、深夜に麓の駅を出発し、早暁に頂上に着く特別列車が運転されている。 ※発行当時の説明です。 #切手
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アンチグア・バーブーダ/1991年3月発行 (世界の歯軌条鉄道-1)【STEAM LOCOMOTIVE STAMPS OF THE WORLD】
『ブレンキンソップとマレーが作った世界最初の歯軌条式機関車』 リーズに近いミドルソン炭坑の主任技師ジョン・ブレンキンソップは、トレビシックの機関車を観察して、ちょっとした坂を登るにも車輪が空転することを目撃し、これを防止するために、機関車の車輪を歯車とし、地上に設置したレールの側面につけたイボと嚙合わせることを考えつき、機械技師マシュー・マレーと共同でこの方式の機関車を制作した。 トレシビックの機関車は、シンリンダが1個であったため、クランクの位置がピストンの直線上で停止したとき(「死点」という)は、次の始動が困難であったので、マレーはシリンダを2個とし、クランクの角度に90度の差をつけることによって、死点をなくすことに成功した。 <プリンス・ロイヤル>と名付けたこの機関車は、重量5トンの小型だが、1812年8月12日のミドルトン~リーズ間の平坦線を、90トンの貨車を牽引して、速度6.5km/hで快走した。上々の成績に満足して同形の機関車3両を制作した。 その後10年ほどたって、スチブンソンその他の優秀な技術者の研究と努力の結果、この複雑な歯車と歯軌条を使わなくても、動輪とレール面の摩擦力だけで、平坦線はもとよりかなりの勾配線でも、列車や貨車を牽引して走行できる機関車が出現したので、この方式の機関車は当分の間沙汰やみとなった。 ※発行当時の説明です。 #切手
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台湾/「地下鉄建設」1989.6.27【World Topics Stamp Collection】
『近代都市に生まれかわる台北の地下鉄計画』 地下鉄が最初に生まれたのはロンドンで、1863年1月のこと。当時のロンドンには、すでに高架鉄道はあったが、道幅の狭い都市部では交通が混雑し、それ以上に高架鉄道を敷設するのは困難という判断から、線路が地下にもぐった。その後、世界の各都市で 地下鉄建設の気運が高まり、現在では約50都市に地下鉄が走っている。そして、台湾の台北市でも、この6月、地下鉄計画が具体化した。 台湾では、鉄道および自動車道路は、西部平野を中心に発達している。しかし、首都の台北市では人口が急増し、高層ビルが立ち並び、ビジネスの拠点として都市化が進むにつれて、線路と道路がぶつかり合い、著しい交通渋滞を招いている。こうした状況から、台湾政府は、台北市中心部の鉄道の地下鉄化計画を進めることを決めた。上の2枚の切手は、この地下鉄工事計画を記念するものだ。 地下鉄には、都市交通機関としては最も重要な、大量輸送が高速度で実施できるという利点があり、都市の美観を妨げず、騒音などの公害を及ぼさないという、都市部の交通機関としては最適の条件を備えている。今回の台湾の地下鉄計画も、こうした諸条件をふまえたうえで決定されたが、一方で、この計画がかかえる問題も多い。というのは、台北市では地質が悪いため、地下の開削工事はむずかしいといわれてきた。これに加えて、莫大な工事費がかかるうえ、着工から完成までの工事の期間も長い。したがって、台北市が地下鉄で交通網を整備できるのは、まだ数年先の話だが、地下鉄が完成した日には、立派な都市機能を備えた近代都市に生まれかわることは違いない。 ※1989年当初の説明です。 #切手 ■Twitter https://mobile.twitter.com/nLiqdpKI2RDGIuY/status/1250060764368568324
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ガイアナ/1994年11月15日発行 (英米の古典的機関車-3)【STEAM LOCOMOTIVE STAMPS OF THE WORLD】
『米ボルチモア・オハイオ鉄道の0-8-0機関車<カンバーランド>』 1840年代の初め頃、ボルチモア・オハイオ鉄道では、石炭の輸送力増強のため、より強力な機関車導入の必要に迫られていた。ちょうどその頃、ロス・ワイナンス社がマサチューセッツ西部鉄道に、堅形ボイラーの付いた巨大な8輪連結の機関車を納入して好評を得ているとの話を聞き、早速同社にこれと同形の、ただし横型ボイラ式の機関車を発注した。1844年から46年の間に、同形の機関車12両を購入し、それぞれに番号と名称を付けた。切手に描かれているのはNo.37<カンバーランド>である。切手の絵で見られるようにまことに奇妙な設計で、動力は前部の横型シリングから長い連結棒で後部の運転室床下の中間軸に伝達され、歯車装置で第4動輪を駆動する。<マッド・ディガー>(泥堀り機械)という奇妙なあだ名が付いたが、そのあだ名の由来についても、またワイナンスがなぜ車両の最後部、最も温度の高いはずの火室の近くに、複雑な歯車装置を設置したのかはわからない。現代の機関車の常識では、前部のシリンダから長い連結棒で直接第3動輪を駆動した方がはるかに賢明だと思われる。 ※発行当時の説明です。 #切手 ■Twitter https://mobile.twitter.com/nLiqdpKI2RDGIuY/status/1248968505761792001
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最初の国産蒸気機関車完成 1893年6月1日<日本鉄道物語コレクション>
1872(明治5)年、新橋-横浜間に最初の鉄道が開通、その後、官設鉄道の伸長や、各地の私鉄開業により、明治末期まで、イギリス、アメリカ、ドイツなどから様々な機関車が輸入されています。国産第1号機関車が製作されたのは1893(明治26)年のことです。 鉄道創業期には、多くのお雇外国人が招聘され、日本人技術者養成に携わってきました。1887(明治20)年、イギリス人リチャード・トレビシック(蒸気機関車の発明者)の孫で機械技師のリチャード・フランシス・トレビシックが来日、翌年3月、神戸工場(後の鷹取工場)汽車監察方として着任しました。当時の神戸工場は車両の組み立てや改造・修繕などが主な仕事でしたが、1892(明治25)年10月、トレシンビック設計監督のもの機関車の製造に着手、森彦三、大田吉松、松尾種次郎ら日本人技術者が改修・修繕の合間を縫って機関車を組み立てました。 一部の資材は日本からの図面を基にイギリスで加工されましたが、大部分は国内で製作した部品を使用しました。国産第1号機関車は性能も輸入機関車に比べて優秀で、当時では珍しい省エネルギー運転を考慮した複式の1B1タンク機関車でした。機関車は1893(明治26)年6月に完成、221号機(221⇒137⇒885⇒を経て860形式と改称)として大阪機関区配属となり、神戸-京都間で使用されました。その後1918(大正7)年に樺太鉄道庁へ移籍され、1929(昭和4)年3月に廃車となりました。残念なことに、鉄道技術史的にも貴重な国産1号機関車は保存処置が取られず解体されています。 1895(明治28)年には、北海道炭礦鉄道手宮工場で、形式イ機関車(官設鉄道7100形式)を参考に、国産2号機関車の形式ト(官設鉄道7150形式)が製作されました。日清戦争が終わった年に完成したため、"大勝号"(№30)と名付けられ、現在、北海道の小樽交通記念館に保存展示されています。 #切手 ■Twitter https://mobile.twitter.com/nLiqdpKI2RDGIuY/status/1248604847995146240
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ガイアナ/1994年11月15日発行 (英米の古典的機関車-2)【STEAM LOCOMOTIVE STAMPS OF THE WORLD】
『フランスのマルク・サガンが作った送風機付きの機関車』 フランスのサンテチエンヌ・アンドレジュー鉄道のマルク・サガン技師は、スチブンソン社から購入した機関車の蒸気の発生が悪いのに気が付き、自分で新しい構想の機関車を制作することにした。 石炭の燃焼でできた熱気がボイラの中を通り抜ける焔管の数を増やすとともに、ボイラの両側の壁に鉄製の水タンクをちくっつけ、水がボイラに入る前に予熱して、燃料の節約を図ることにした。また、炭水車に車輪の廻転で運転する送風機を取り付け、火床の下から空気を送り込んで。石炭の燃焼を強くする構造とした。 1829年11月の試運転で、19トンの貨車をひいて勾配線を上がったが、速度は4km/h程度しか上がらず、その後も機械的な故障が多く、結局は、スチブンソンがその機関車<ロケット>で試験的に採用した、煙突の下からシリンダの排気を吹き上げ、その勢いで火床の下から空気を吸い上げる「ブラスト」装置には及ばないことが分かり、この送風機方式はその継続研究を断念せざるを得なかった。 ※発行当時の説明です。 #切手
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電気機関車シリーズ 第1集(3)EF58形式急行旅客用電気機関車(1946-84)
発 行 日:1990年1月31日 原画 写真:広田 尚敬 原画構成者:森田 基治 印刷 寸法:よこ35.5×たて25ミリ 版式 刷印:グラビア5色 シート構成:20枚(よこ5×たて4) 戦後の旅客輸送増強用として新設計された1946年から製作、出力1,600kwの高性能。1952年から設計変更された新形も登場し、東海道線や高崎、上越線の急行列車として使われた。 #切手 #初日カバー
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ガイアナ/1994年11月15日発行 (英米の古典的機関車-1)【STEAM LOCOMOTIVE STAMPS OF THE WORLD】
『イギリスの0-6-0機関車』 1865年頃から20世紀の初頭にかけて、イギリスの各鉄道は、貨物列車の機関車として、ほとんどすべて0-6-0形を愛用し。1913年には0-6-0テンダ機関車だけでその数は7000両に達し、同じ車輪配列のタンク機関車3400両を合わせるると、全国の機関車総数の46%に達した。 $25の切手描かれているのは、1882年、サウスイースタン鉄道が採用した0-6-0テンダ機関車で、貨物列車だけでなく、ロンドン~ドーバー間の険しい線区の旅客列車にも重宝に使用された。 $300の切手には、ハイランド鉄道の機関車技師ウィリアム・ストラウドレーが、ロンドン・ブライトン・サウスコースト鉄道に移籍後まもなくの1882年、前任鉄道での経験を生かして。自社生産の末に誕生したすばらしい0-6-0タンク機関車が描かれている。重量24.6トンの小型ながら、前進・後進を敏速にくり返すことのできる高性能が好評を博し、当時イギリスの紳士がキツネ狩りに愛用した小形の猟犬の名をとって<テリア>形と愛称された。 最初の目的はロンドン郊外線の通勤列車用であったが、次第に用途を広げ、支線区の旅客・貨物両用として便利に使用された。1922年以降は機関車の大型化にともなって不要となり、各地に転売され、一部はワイト島鉄道に移されて活躍した。 ※発行当時の説明です。 #切手
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