ゲームハンティングの目線で考え抜かれたコートたち
男性のコートの起源や由来に、なかなか大きな割合を占めるのが「スポーツ系」、すなわち郊外でスポーツを行ったり観戦したりする際に用いていたものが、次第に街着となったものである。
雨や寒さから身を確実に守りつつ、必要なアクションは妨げない…… そのためには生地や縫製、それに裁断に独自の工夫を採り入れる必要があった結果、これらのコートには他とは一味も二味も異なる雰囲気が、街着となった今日でも備わり続けている。
今回はウール系のロングコートで専ら「スポーツする側」目線、特に嘗ては貴族の嗜みであったゲームハンティングの目線で考え抜かれた代表例を2作探求してみよう。
英国の猟場出身のカバートコート(Covert Coat)
カバートとは英語で藪や茂みなどの「動物の隠れ場」の意味で、狩猟でそのような場所に道案内する従者にイギリスの貴族が着せたものが、このコートの起源とされている。
1870年代に登場した当時はジャケットと同様のショート丈であった。やがて着丈は次第に長くなり、1930年代にはビジネス向けのダークスーツの上にも羽織れる膝上丈のウール系コートとしてイギリスで定着する。
因みに日本のメンズファッション関連の本では、このコートは「ショート丈」と記述されている場合が未だに多い。恐らくそれは、このコートの情報源や事実関係を出生地・定着地である英国には何故か確認せず、丈が長くなる前に着られなくなったため情報が昔のまま未改訂のアメリカの文献にのみ求めているからだろう。
生地は「カバートクロス」と呼ばれる中肉かやや地厚の綾織ウールか、それと似た質感のこちらも綾織のキャバリーツイルが用いられる。
色味はグレーの杢調や紺無地なども稀に見られるものの、緑系や茶系の杢調のものが圧倒的に多く、森の中で調和することを求められたこのコートの起源を端的に物語っている。
打ち合いは専らシングルブレステッドで胸ボタンの数は4つ、そして通常はそれを前身頃の表面には出さないフライフロント仕様とするのが習わしだ。胸ボタンの数がチェスターフィールドコートのように3つではなく4つなのは、登場時、つまり1870~80年代のシングルブレステッドのジャケットのその主流が4つであったことを引き継いでいる。
カバートコートの上襟にはベルベットを付けたものも多い。中にはカラフルなものも。
その一方、ノッチドラペルの上襟をベルベットにする場合もあるのは、チェスターフィールドコートと同じ。ただし、その色は表地に合わせて深緑や焦げ茶やバーガンディ、時にはパープルなどなど、ダークカラーのみのそれよりずっと選択肢は広い。
また、腰ポケットは両玉縁でフラップ付きで、大抵チェンジポケットも付くのでスポーツ感が強調されがちだ。より本格的なものになると、通称「ブッチャーポケット」と呼ばれる大判の内ポケットが左の腿部に付く場合もある。
カバートコートの象徴たる、袖裾に入った4本のレイルロードステッチ。身頃の裾にも同様のものが付く。
そして、カバートコートの決定的な特徴は、何といっても胴裾と袖裾に4本若しくは3本施される「レイルロードステッチ」だろう。
登場当初は過酷な猟場で用いていたため、ほつれ易いそれらのエリアを予めしっかり何重にも補強する目的だったとか、事前に仕立てておいたこのコートを従者の着丈と袖丈に合わせるための目安線だったとか、この起源には様々な説がある。
いずれにせよこのコートがチェスターフィールドコートとは似て非なるものであることを象徴するディテールである。写真はこれらの特徴をほぼ忠実に再現したオーダー品。レイルロードステッチのみならず、下襟やフロントそれに腰ポケットも含め、このコートに付けるステッチは手縫い系より、軽快な雰囲気が出せるミシンステッチの方が絶対に似合う。
チロル地方の猟師の知恵が詰まったローデンコート(Loden Coat)
ローデンコートとはヨーロッパの背骨であるアルプス山脈のやや東側、すなわちオーストリアとイタリア最北部に跨るチロル地域並びにドイツ南部で、19世紀の半ばから貴族が狩猟時に着始めた防寒着を起源とする、膝下丈のウール系のコートである。
写真のものもオーストリア・インスブルックの伝統的な洋服店で売られていた、正真正銘の現地バージョン。今日ではそれらの地域はもとより、イタリアやフランスそれにイギリスでも一定の人気を博し、1960年代と1970年代終盤から80年代前半にかけては世界的な流行となった。
実はこのコート、他には全く見られない特徴的なディテールが多々あることでコート好きにはよく知られた存在である。
まずは背中から裾にかけて取られる長くて深いインバーテッドプリーツと組み合わされた、強烈なAラインシルエット。
また、肩先に縫いマチを取るのとは対照的に脇下を敢えて縫い付けない「ウィングショルダー」も、初めて見ると???な感覚に陥ること確実の仕様だろう。
脇下が縫われていない! 初めて見るとかなり衝撃的な衣装ではないか?
これらは重ね着しても腕の可動性を妨げないための、寒冷地での狩猟のための何気ない一工夫なのだが、見た目のインパクトは超・絶大。特に後者は脇下に穴が開いている、ともすれば意図的に穴を開けているようにすら誤解されがちで、日本でこのコートを着ている時は、無暗に満員電車の吊革を掴めない……。
向かって左の切り口はポケットではなく、手を中の服にアクセスさせるための穴だ。
腰ポケットと間違いやすいのだが、その少し後方、具体的には前身頃と後身頃とを縫い合わせるサイドシームの腰部が一部縫われていないのも、このコートならではのディテールだろう。ここに手を通して、中に着ているジャケットの腰ポケットに入れたものを直接取り出すためである。
そして極めつけは生地で、その名もズバリ「ローデンクロス」と呼ばれるものが専ら用いられる。現地の古語で「獣⽑で織った厚地の⽑布」を意味する“Loda”を語源とするこの生地は、16世紀にチロル地域の農民が地元の山に生息する羊の毛から作り上げたものが原型。
現代でも続くその製法は、それほど脱脂しない糸でまず生地に織り上げたものを、仕上げ工程の前に面積で1/3ー2/3 程度まで強く縮絨(蒸気・熱・圧⼒を掛けて羊毛の繊維を互いに絡み合わせるのを通じ、生地を強制的に収縮させ組織を緻密にすること)を掛けるのが大きな特徴だ。
ローデンコートは身頃に裏地を付けず見返しの表地を広く取る「単衣仕立て」が一般的。
その結果、ガッシリと⽬が詰まり、油脂分が多めに残っているため⾃然な撥⽔性・防⽔性・防塵性が得られ、防⾵効果も極めて⾼く、更には厚みの割に軽く・柔らかく仕上がる。
なお今日ではこの生地は、前述の特徴をより効果的に出すべくウール8:アルパカ2程度の混紡で織られるのが一般的だ。そして色は、濃紺やブルーグレイのも無地もなかなか洒落てはいるものの、狩猟の際のコートだったことを思い出せば、やはりチロル地域周辺の森の色である通称「ローデングリーン」の無地が本流と言わざるを得ない。
深いながらも僅かに黄色味を帯びたこの色で、森と同化することを通じ獲物を確実にものにした、これもまた古の知恵の象徴なのである。
トレンチコートと同じ着こなしでOK!
欧米に比べ歴史的に狩猟が日常生活とはそこまで強く結びついていないからだろうか、日本ではカバートコートであれローデンコートであれ、正直あまり知られた存在ではない。
前者はチェスターフィールドコートに、後者はいわゆるステンカラーコートに誤解されることが圧倒的多数だ。だからこそ着こなし次第で知名度をもっと広げたいところ。
実はこの2つのコート、ユニークなディテールが目を引くものの、トレンチコートと同様に着れば全く違和感なく着こなせる。礼装の上には無理な点だけでなく、スーツ姿にはもちろん、デニムにセーター姿にも案外キマるのも、それと全く同じ。実際ヨーロッパの人々もそのようにデイリーユースしていて、これらのコートと極めて自然体で付き合っている。
ーおわりー
クラシッククロージングを一層楽しむために。編集部おすすめの書籍
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コートの本
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スポーツ、ドレス、ミリタリー、ワークシャツと4タイプのデザインを、素材を替えてシャツからジャケットまでオールシーズンのものを29点紹介。女性も着られるSサイズからM、L、XL、XXLの5サイズ実物大パターンつき。
終わりに
言われてみるとカバートコートもローデンコートも、代表的な緑系の色は起源となる地方の森や山肌の色に驚くほどそっくり。そしてお互いの色調が微妙に異なるのが、更に面白いところ。コートを深く知ることは、それが生まれた地域の風土や文化を知るための大きな手掛かりに、間違いなくなってくれる!