九州鉄道開業(九州鉄道のはじまり) 1889年12月11日<日本鉄道物語コレクション>

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 1983(明治16)年7月、日本鉄道の上野-熊谷間開通を知った福岡県の有力者は。九州も遅れてはならぬと門司-熊本間に鉄道建設の計画を、県知事を介して政府に提出しました。当時の鉄道局長の井上勝は、主要幹線鉄道については民資官営を基本としていたので、この計画には反対で「追って沙汰する」と言うことに止まりました。
 1886(明治19)年6月に周知事は、佐賀-長崎間を追加して、再度九州鉄道会社成立を上申し、政府から「いっさい応援できないが、命令に従うならば許可する」との回答が得られました。
 1887(明治20)年1月、福岡、佐賀、熊本の3県から成立委員を選出し、九州鉄道創立願を提出し、さらに長崎も加わり、同年6月に九州鉄道会社の成立の話がまとまり、1888(明治21)年8月に会社を成立して、博多に仮本社を設置しました。
 建設に当たり指導をドイツに仰ぎ、ヘルマン・ルムシュッテルが顧問技師として招聘されました。彼は機材及び車両いっさいをドイツに発注し、同年9月に起工しましたが、この頃から各県の利害が複雑に絡み合い、資金の集まりも悪くなり、取り合えず博多-久留米間を着工しました。
 1889(明治22)年12月11日、筑波川の鉄橋が未完成のため、博多と久留米の対岸千歳川仮駅間が九州で最初の営業鉄道として開業しました。開業に当たりドイツからB形タンク機関車1~3号の3両、客車14両、貨車34両が輸入されました。機関車1~3号は国有後45形45~47となり、後に八幡製鉄へ払下げられ、長らく使用され記念物として保存の声もありましたが、実現しませんでした。当初の客車も車体の裾を絞った19世紀のヨーロッパ風の客車で、後に輸入した交通博物館の旧2号御料車で偲ぶことができます。ドイツ式鉄道の遺産は、北九州各地に残る煉瓦造りの高架橋の遺構や、全国各地に転用された鉄橋がまだ残っています。

(解説:堀口洋平)

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