伊予鉄道開業(四国鉄道の始まり) 1888年10月28日<日本鉄道物語コレクション>

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 「停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分許り動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。」夏目漱石が1906年に書いた有名な小説「坊ちゃん」の中に出てくる、開通間もない頃の伊予鉄道を描写した一節です。以来この列車は「坊ちゃん列車」と愛称される様になりました。

 松山-三津浜間に四国最初の鉄道が開通したのは、人より木材運搬の必要性からでした。公式開通日は1888(明治22)年10月28日ですが、9月23日に松山停車場(現松山市駅)で盛大な落成式典を行い、来客を乗せた記念列車が走り、花火、餅まき、芝居など大変な盛り上がりだったと言われています。

 レール幅762mm、距離7.6kmで日本最初の一般営業の軽便鉄道で、車両も技術者も全てドイツからの輸入品でした。機関車はミューヘンのクラウス社製B型タンク機で、動輪径685mm、重量7tの2両、定員12~16人用客車が6両、外に貨車、緩急車などがありました。運賃は1.6km約1銭とし、所要時間28分でしたが。安く便利だと言うので、乗客数は予定の2倍近くを越え、収入面でも好成績を収めました。

 その後、伊予鉄道は松山とその周辺の人々の足として、拡張・合併を重ね、1911(明治44)年8月一部路線が1、067kmに改軌して電化されましたが、「坊ちゃん列車」の機関車も13両が活躍していました。やがて大正、昭和と電化の時代に移り、ついに1954(昭和29)年に引退、1号機は現在伊予鉄道が経営する「梅津寺パーク」に住時の姿を復元・展示保存されています。また、実物大モデルが伊予鉄道本社前に置かれ、2001(平成13)年10月12日からは市内の路面電車の線路上を、新製「平成の坊ちゃん列車」(動力ディーゼル)が、市民や観光客を乗せて誇らしげに走っています。

(解説:樽井秀美)

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