ミクロン単位で調整される万年筆「研ぎ」の世界。-ペリカン スーべレーンM800 極太字BB 森山スペシャル-

ミクロン単位で調整される万年筆「研ぎ」の世界。-ペリカン スーべレーンM800 極太字BB 森山スペシャル-_image

文・写真/山縣 基与志

長く愛用できる自分にとっての一生モノは使ってこそ価値が出てくるもの。旅先でつけた傷が、経年変化してあせた色合いが、思い出を振り返る手助けをしてくれます。

この連載では、モノ雑誌の編集者として数多くの名品に触れてきた山縣基与志さんが「実際に使ってみて、本当に手元に置いておきたい」と感じた一品を紹介します。

第3回は万年筆愛好家ならご存知「フルハルター」森山さんが調整したペリカン(Pelikan)のスーべレーン M800について。ミクロン単位で調整されたペン先で文字を書くと、まるで万年筆が身体の一部のように感じられるそう。

文字を書くことの快感は万年筆から学んだ

自分の万年筆を初めて手にしたのは中学校への入学の時。

父から「おめでとう」と言って長細い箱を渡され、開けると黒の万年筆が入っていた。万年筆という筆記具をもらった喜びと同時に、大人になったという実感が湧いたのを今でもはっきりと覚えている。万年筆は私にとって特別のモノなのだ。

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初めての万年筆はパイロットの細身で、ペン先は細字だった。カートリッジ式で、インクの色はブルー。

小学校の時は鉛筆がほとんどだったので、鮮やかなブルーの文字には心が躍った。鉛筆とは書く感触が異なり、細字だったのでカリカリという感触が心地よかった。ノートに意味も無く文字を書いたり、詩を写したり、文字を書くことの快感をパイロットの万年筆に教えられた。

高校、大学に入っても、周りはシャープペンシルとボールペンしか使わなかったが、私だけは頑なに万年筆でノートを取っていた。その頃は叔父から使わなくなったと言って貰ったパーカー45も加わり、インクはブルーブラックへと替わった。

使い込むほどに自分の癖が万年筆に反映され、日毎に自分で万年筆を育てているような気分を味わっていた。さらに万年筆を愛でるようになっていった。

万年筆好きならば必ずぶつかる「モンブラン」と「ペリカン」との逡巡

万年筆への関心が高まってくると必ずぶつかるのが、モンブランとペリカンとの逡巡だ。万年筆好きにとってモンブランとペリカンという二大巨頭のどちらを選ぶかは人生問題なのだ。モンブランを手に入れればペリカンが気になり、ペリカンが手元にあるとモンブランが欲しくなる。私もご多分に漏れず逡巡した。

最初に手にしたのはモンブラン146。しかし何かしっくりとこない。ペン先が硬いのだ。それでも5年ほどは使っていたのだが、ついに育てることができなかった。

そんな時に当時のモンブランの代理店だったダイヤ産業の元技術者だった森山さんが「フルハルター」という万年筆店を開店したとの噂を聞いた。

早速伺って相談してみると、ボールペンの普及によって一般的に筆圧がとても高くなり、それに対応して万年筆も高い筆圧でもペン先が割れないように硬くなっていると伺った。

森山さんは、万年筆を私に手渡し、目の前の紙に文字を書いてみてと言う。やや緊張の面持ちで名前や小説の一節などを書いてみた。森山さんはそれを横から見たり、斜めから見たりして、頷いた。私は筆圧が低く、軸の後ろを持つ。ペン先の角度は真っ直ぐだという診断。

勧められたのがペリカンのスーベレーン M800だった。

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ペン先は時間をかけて試し書きをした結果。極太字BBに決定。さらにそのBBのペン先を私の書き癖に合わせて森山さんに研いでもらうことに!

すでに製造中止になっていた耐水ペーパーで、じっくり時間をかけて研いでいく。角はすべて落とすのはもちろん、ミクロン単位で調整される。待つこと一ヶ月。最初の一文字を書いた時の驚きと感動は筆舌に尽くし難い。こんなにすらすらと文字が書けるものなのか。これこそ大作家が語る、「ぬるぬるぬらぬら」ではないか!

インクの出方も全くストレスなし。私の書き癖に合わせてあるから書きやすいポジションを探る必要もなく、パッと書き始めれば書き始めから「ぬるぬるぬらぬら」で始まり、インクがなくなるまで書き心地は変わらない。

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スーべレーンM800のペン先は、もともと現在の万年筆の中では柔らかなタッチなのが特徴。さらに森山さんによって徹底的に角が落とされ、書き手の軸の持ち方や角度、筆圧、そしてペン先の紙に当たる角度やひねり具合、筆運びまで見極め、時間をかけて研ぎ出される。これはもうオーダーメイドの一点物。書く快感が味わえる。

「なんじゃこれは!」という感動を10年以上経った今でも書く度に味わっている。この森山さんが調整した万年筆、特に極太字のそれを万年筆好きは愛情を込めて「森山スペシャル」と呼ぶ。書き味は益々良くなり、感動と愛着が日に日に深まっていく。もはや手の延長であり、これこそ道具の本来あるべき姿である。もちろん一生の相棒といえる。

万年筆とインクと紙。三位一体となり、最高のハーモニーが奏でられる

モノにも心があると思う。気に入って愛情を込めて使っているとそれに合うモノが引き寄せられてくる。それまでさまざまなインクを使ってきたが、今ひとつ書き味や滲みが気になっていた。

銀座の伊東屋でインク選びをしているとふと眼に入ったのが「極黒(きわぐろ)」の文字。ピッと来て、スタッフに聞くと顔料系のインクだという。試させてもらうと、今まで見たことのない締まった黒。しかも乾くと水に濡れても滲まないという。

これだ!と喜び勇んで慌てて自宅に戻り、すぐに入っていたインクを出して、綺麗に洗浄。「極黒」を吸入してみた。予想以上の書き心地。森山スペシャルがさらにバージョンアップし、パーフェクトになった。

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万年筆の書き心地を最後に決めるのは何に書くかという紙の問題だ。齢五十も半ばになると、責任を持つようになり、さまざまなお付き合いも広がり、お礼状や依頼状、そして詫び状も頻繁に出す必要に迫られる。

京都の老舗の便箋や封筒、ハガキなども使っていたのだが、ある時、酒席で喜寿を迎えた大先輩と、ふとしたことから手紙の話しになり、「詫び状は日本橋の“榛原(はいばら)”に限る!わかる人にはわかる」とのたまった。榛原の存在は知ってはいたが、大先輩に言われて早速手にしてみると、これがいい。

もちろん詫び状での“榛原”ブランドの威力もさることながら、とにかく書き味が素晴らしい。森山スペシャル、極黒、榛原が三位一体となって、最高のハーモニーを奏でてくれるようだ。

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書くことに関する外堀は完全に埋まった。あとは私の人間力と筆力が加われば完全無欠なのだが、これだけは覚束ない。一生モノの最高の筆記用具との邂逅に感謝し、一生かけて精進するしかない。

ーおわりー

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Series : 万年筆のお手入れ

公開日:2018年5月12日

更新日:2022年4月14日

Contributor Profile

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山縣 基与志

人、モノ、旅をこよなく愛し、文筆業、民俗学者、プランナーとして活動中。日本全国の伝統芸能と伝統工芸を再構築するさまざまな仕掛けを展開している。

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