医療的な要素と靴が一緒になった整形靴の存在を知り、直感的に面白いと思った
石見(以下、I):八巻さんは高校卒業後、すぐに養成校に入られたのですか?
八巻氏(以下、Y):はい、そうです。
I:靴の中でもピンポイントで整形靴に興味を持ったきっかけは、何ですか?
Y:母が医療機関で働いていたので、僕も将来は同じ方向に進もうかなと、なんとなく考えていました。そんな時に、医療的な要素と靴が一緒になった整形靴の存在を知り、直感的に面白いなと思いました。
I:養成校ではどんな勉強をされたのですか?
Y:座学では、骨や筋肉を含めた、からだ全体について学ぶ機能解剖学を、重点的に勉強しました。学校が招いたモデルの足に合わせて整形靴を作る実習もありました。
I:その後は、ドイツで整形靴を学ばれた関耕二さんが創始された、バイタルフス高知に入られていますが、ここではどれくらいの期間修行されていたのですか?
Y:3年程いました。その前に補足させていただくと、インターンシップだったのでプロフィールには載せていないのですが、養成校在学中には宮城興業さんにお世話になりました。そこで手製靴のラインを任されている、イギリスで修行を積まれた職人さんに、初めて手製靴を教えてもらいました。
I:そうだったのですね。整形靴との違いを感じられましたか?
Y:はい。手製靴の造りがすごく魅力的だと思いましたし、刺激を受けました。正直言うと、そのまま手製靴の仕事に就きたいとも考えたんですが、最終的に、整形靴の勉強をここで辞めるのは違う、という結論に至りました。どんな足の問題を抱えた人が来ても、ひとりで対応できるだけの力をつければ、後から手製靴に移行しても、医学的な知識を活かした、自分ならではの靴が作れるのではないかと思いました。
I:そういう流れで、関さんの元で修行されたのですね。バイタルフス高知のホームページを拝見しましたが、まさに医療としての靴作りをされているという印象を受けました。
Y:そうですね。関さんは足の問題の中でも、特に難しいものを専門にされています。たとえば、ポリオウイルス感染の後遺症による変形が強く出た方や、関節リウマチの患者さん、糖尿病の患者さんが多く来られていました。
I:養成校以上に専門性が高そうですね。
Y:はい。養成校でも実習はありましたが、ここまでリスクが高いケースは扱ったことがありませんでした。
神戸の整形靴技術者養成校とは?
整形靴の製作過程が学べる国内唯一の専修学校課程の養成校。
八巻さんはここで、ドイツの国家資格である、オーソぺディシューマッハマイスターのエドワルド・ヘルプスト氏に師事された。ちなみに、オーソぺディシューマッハマイスターとは、本国では保険治療の一環として整形靴を作ることが出来る、整形靴技術者の親方のような称号。
I:八巻さんのプロフィールには「関さんと出会い、感銘を受けた」とありますが、具体的にどういうところに感化されたのですか?
Y:実は、それまで僕は、学生なりに自分の靴作りに多少の自信を持っていたのですが、バイタルフス高知に入ってすぐに、その鼻を折られ、けちょんけちょんにされました。(笑)
例えば、糖尿病の患者さんの場合、血糖コントロールが上手く出来ないので、少しの怪我でも悪化してしまって、最悪の場合には、壊死した患部を切断することもあるのですが、関さんからは「万が一、担当した患者さんが足を切断したために亡くなってしまったとしたら、自分の責任だと思え」と言われていました。
I:医療に携わっているからこその、厳しい言葉ですね。
Y: はい。それで、養成校で勉強したことは一旦忘れて、考え方も工程も、もう一度はじめから徹底的に究めないと、ここでは通用しないなと思いました。
I:心機一転、取り組まれたのですね。大変ながらも、充実していそうですね。
Y:はい。良い環境だったのも大きいです。「チームで患者さんのために頑張っていこう」という体制が整っていたし、患者さんも治療に前向きに取り組まれていたので、やり甲斐を感じていました。
I:高知での経験を踏まえて、その後も直接的に医療に携わる整形靴の道へ進まれていますね。
Y:はい、関西に帰ってきて、京都の義肢装具会社に入社しました。僕は割と「何でもやってみよう」というタイプなので、スポーツ選手の体の状態をチェックしたり、大学病院の先生と一緒にフットケアに取り組んだり、新しいことにも挑戦させてもらいました。同時に、対応する患者さんの層も、バイタルフス高知の時よりも幅広くなったので、対患者さんの面での悩みも増えましたが。
I:それは具体的にどういうものだったか、差し支えなければ、教えてもらっても良いですか?
Y:治療に対して積極的でない患者さんもいらっしゃって、作った靴をちゃんと履いてもらえない時は、辛かったですね。患者さんは先生に言われて、保険が使えるから整形靴を作るのであって、自分から履きたいとは思ってもらえないのだな、と感じることも少なかくなかったです。
I:そんな葛藤もあって、独立されようと思ったのですか?
Y:そうですね。「独立」という文字は常に頭にあったので、「今のタイミングでやってみよう」と思いました。
整形靴の世界に飛び込んだ経緯を語る八巻さん
整形靴のラストメイキングの特徴
I:手製靴と整形靴は、工程の上でどういう違いがあるのですか?
Y:一番の違いは、ラストメイキングです。整形靴の場合、靴の話に入る前に、まずお客様をカウンセリングし、足の状態を見ます。筋力や骨の形だけでなく、足の関節の動き、日常生活の過ごし方等を把握した上で、足型を採ります。カウンセリングから、既にラストメイキングが始まっているという感じですね
Andanteのラストメイキングの流れ
- カウンセリング
- フットプリントを採る
- 足の各部位を採寸する
- 石膏ギプスで足型を採る
- 石膏ギプスで取った足型に発泡樹脂を流し込み、ラストの原型を作る
- フットプリントと採寸した値を基に、ラストの原型に微調整を加える
- 完成したラストを、実際に使用するプラスチック製のラストにコピーする
右側の紙が各部位を採寸したフットプリント
Y:フットプリントには、突起や変形等、お客様の足の特徴を捉えると同時に、足型のアウトライン(輪郭)を把握するという目的があります。他の情報と足型のアウトラインとを照らし合わせながら、最終的な形を決めていきます。
右から、(A)④で出来た石膏ギプス、(B)石膏ギプスに発泡樹脂を流し込み、型を採ったもの、(C)Bに微調整を加えるため、調整箇所に発泡樹脂を足したもの、(D)微調整を加える作業過程のもの
Y:石膏ギプスは、その名の通り、以前はギプスとして骨折等の治療に使われていたものです。お客様の足に巻き付けて、型を採ります。これを使うことで、より正確な足の形が把握できますし、それまでに得たお客様の足や身体の情報を基に、手技で理想的な形状に変えて、その場で調整しながら足型を採ることが出来ます。
緻密な採寸、高度な技術から生まれる職人技は、靴裏からも一目でわかる
I:ラストの原型が出来上がってからも、更に細部に調整を加えるのですね。
Y:はい。その方の足の形をより立体的に再現するために、縦のアーチと横のアーチの両方を考慮しながら、ラストの足底面を削ります。そうすることで、立ち上がって、足に全体重が掛かった状態でも、ソール部分が足を理想的な形状に保てるように出来ます。
I:機能と美しいフォルムを両立されているのが凄いですね。
現在の美しいフォルムに至るまでの葛藤
I:ここまで、八巻さんのバックグラウンドと技術面について伺ってきましたが、造形美の秘密をまだ解けずにいます。宮城興業さんでのインターンシップも一因だと思いますが、それ以外はご自身で探求されてきたのですか?
Y:そうですね。修行経験も影響していると思いますが、フォルムに関しては、基本的に自分で考えてやってきました。最初は漠然とした目標でしたが、十年くらい前からずっと、整形靴としての機能性と、手製靴のような美しさを両立させたいと思っていました。
I:では、美しいフォルムを作るために、八巻さんが基準にされているものや、ルールはありますか?
Y:はい、あります。ハード面、ソフト面の両方が必要だと思っています。ハード面というのは、技術的なものや職人技のことで、ソフト面は知識とか美的感覚とか、時間を掛けて構築していくものを指しているのですが、僕にとってはどちらも大事です。
I:ソフト面の知識や美的感覚を養うためにしていることや、参考にされているものはありますか?
Y:それは「これがあったから、こうなっています」と言えるほど、明確ではないですね。何かの影響というよりは、自分が好きな靴を何度も繰り返し見て、ずっと考え続けて今に至るという感じです。
I:なるほど、日々の積み重ねですね。やはり形になるまでに、かなりの試行錯誤があったのですか?
Y:そうですね。整形靴のラストメイキングで出来上がる形と、通常のビスポークのラストは大きな違いがあるので、凄く難しかったです。イギリスやイタリア、フランスや東欧の手製靴が持つ、国それぞれの伝統的な形や雰囲気を、整形靴に落とし込むのに苦労しました。
I:それはどうやって克服されたのですか?
Y:ひとつに、「保険適用内で作る」という枠を無くしたのがあります。実は、独立したての頃はラインを分けて、所謂コンフォート靴も作っていたのですが、パッと見ただけで「履きたい」と思ってもらえる靴に全力を尽くそうと決めました。対価を払っていただいて、期待に応えるというやり方に変えてからは、以前以上に良い意味でのプレッシャーを感じています。実際に、この2年半ほどで、アンダンテの靴の雰囲気は随分変わりましたし、今後ももっと良くしていかなければと思っています。
I:インスタグラムで昔の投稿を拝見しましたが、確かに違いました。
Y:もうひとつは、きっかけになった靴があります。それがこれです。
I:その靴、綺麗だと思っていました。
対談の中に出てくる八巻さんの「きっかけ」となった靴
Y:オーダーしてくださったのは、女性のお客様で、見てはっきりとわかるくらいの外反母趾でした。この方もそうだったのですが、一般的に女性は関節が柔らかいので、その利点を活かしてラストを作りました。外反母趾に全く左右されないフォルムに仕上げられたので、自分の方向性は間違っていないという確信を持てましたし、「このやり方で続けていこう」と決めるきっかけになりました。
I:ディテールも綺麗ですね。ヴァンプとノーズも、好きなバランスです。
Y:ありがとうございます。そこは、いつも凄く悩みます。お客様の足に合わせてノーズの長さを変えていて、毎回良い対比にするのが本当に難しいので。
Andanteでは、女性用の靴も制作している
Andanteの今後について
I:お店としても、靴作りにおいても、今後の目標はありますか?
Y:お客様にひと目で興味を持ってもらえるような靴を作っていきたいです。そのためにまず、うちの一番の売りであるラストメイキングで、広く知ってもらいたいと思っています。あと、ここ(京都)は職人が多いのですが、年配の職人さんが、いつもフランクに声を掛けてきてくれて、色や生地の使い方や、遊び方を教えてくれます。だから、そんな京都の職人さんたちに、自慢に思ってもらえるような店に出来ればと思います。
I:では、整形靴でも手製靴でも、職人で尊敬される方はいますか?
Y:僕の師匠である関さんはもちろんそうですし、マーキスの川口さんの「まさに英国クラシック」という造りに惹かれます。あと、スピーゴラの鈴木さんが作られる靴の雰囲気は好きですね。外から入ってきたものを、柔軟に受け入れる神戸という街の特性が出ていると思います。
I:最後に、仕事は好きですか、嫌いですか、それとも愛していますか?
Y:好きだと思います、今めちゃくちゃ面白いので。妻やスタッフの子と同じ目線で話し合いながら出来るので、毎日ワクワクしながら仕事をしていますね。
I:まさに理想的な状態ですね。
作業中のスタッフ。手前でラストを削っているのは、八巻さんの奥様の貴子さん。 同じ養成校を卒業し、経験を積まれてきた貴子さんは、八巻さんの良きパートナーだ。
本物のクラフトマンが備える、センスの根源とは?
今回、初めて八巻さんにじっくりとお話しを伺いましたが、「八巻さんになら色々と相談しやすいだろうな」と感じさせる、丁寧で落ち着いた口調が印象的で、そんなところからも、患者さんと向き合ってこられた背景を垣間見ることが出来ました。また、技術面の話では、靴作りに対する強い思いが伝わってきて、言葉を通して知り得る以上の試行錯誤があったのだろうと窺えました。
日々葛藤し、ひとつひとつ積み上げてきたからこそ、今の形がある。ターニングポイントを探すのは、八巻さんにとっては、線の中から点を見つけ出すようなことなのかもしれません。
そして何よりも、独自の方法で美しいフォルムを作り出せること自体が、彼の能力の高さを物語っています。
「職人、八巻裕介」のセンスの根源は、努力の積み重ねであり、造形における天性の美的感覚だろうと思いました。
ーおわりー
Andante
オーナー兼靴職人である八巻(やまき)裕介氏が、2015年1月に同じく整形靴の修行を積んだ奥様の貴子さんとAndante(アンダンテ)を設立。医学的根拠に基づいた機能性と、美しいフォルムを兼ね備えた靴を実現。
-- 八巻裕介氏の経歴 --
高校卒業後、兵庫県にある日本唯一の整形靴技術者養成校にて、ドイツの国家資格であるオーソペディシューマッハマイスターの称号を持つ、エドワルド・ヘルプスト氏に師事。
養成学校卒業後、本場ドイツで整形靴を学ばれたバイタルフス高知の関 耕二氏に修行入り。
京都の義肢装具会社に就職し、大学病院、京都市内の病院で、医師やフットケア特定看護師と連携して、病気による足の様々なトラブルを抱えた方のオーダー靴や足底板の製作を行う。
終わりに
実用性と美しさの両立は、数多くのシューメーカーが追求しているテーマだと思います。足の形に近づけて作る整形靴の製法を基に、洗練されたフォルムを実現するのは、特に難しいに違いありません。
独立から二年半、「焦りの方が強かった」という中で、大きな革新を遂げたアンダンテから、これからも目が離せません。