世界中のスニーカー好きが訪れるショップ「SKIT(スキット)」から見えるスニーカー・カルチャーの歴史。

取材日: 2016年8月31日

文 / 井本 貴明
写真 / 本多 祐斗

世界中のスニーカー好きが訪れるショップ「SKIT(スキット)」から見えるスニーカー・カルチャーの歴史。_image

外国からのスニーカー好きが、日本に来た際に訪れる店が吉祥寺にある。
スニーカーショップ「SKIT」(スキット)には、Nike, Adidas, New Balanceなどの最新モデルから、昔懐かしの名品まで壁一面にズラリと並んでいる。
ショーケース内には1980年代に発売されたオリジナルのAir JordanやAir Maxが陳列され、雑誌の中でした見たことのない憧れの1足を眺めることができる。スニーカーの博物館を訪れたような感覚にもなるのである。

「過去には何回もスニーカーのブームがあった。そんなブームを繰り返し、今が一番いい時期だと思う。みんな、スニーカーをファッションの一部として楽しんでるから。」
そう語るのは、SKIT店長の鎌本勝茂さん。18歳でスニーカーを販売する世界に飛び込み、今年で20年目を迎える。鎌本さんの目から見たスニーカーカルチャーの変化、そしてSKITの ”これから” を聞いてみた。

MuuseoSquareイメージ
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現在は全国に4店舗を構えるまでに拡大したSKIT。始まりは、雑居ビルの3階に並べた10足程度のスニーカーだった。

SKITが吉祥寺に誕生したのは、鎌本さんが22歳の時、16年前の話である。
中学、高校時代は「スラムダンク」「バルセロナオリンピックのドリームチーム」「月刊バスケット」などの影響で、スニーカー、特にバッシュが好きだった鎌本さんは、当時から将来はスニーカーのお店を開くと決意していた。
22歳の時にお店を開く夢を叶えたのはいいが、開店直後は厳しい毎日だった。吉祥寺の雑居ビルにある3階の一部屋を借りたのだが、売り物の靴が10足ほどしかなく、広いスペースに靴の棚がポツンとある感じだった。オープンしてから当分の間、一人もお客さんが来ない状態が続いた。
2週間が経ち、初めてのお客さんがお店に訪れた。始めて売れた靴は「Air Jordan 11のローカット」。鎌本さんは、売れた1足分の代金を握りしめ、フリーマーケットや古着屋で3、4足を買っては売り物として並べた。それを繰り返し、少しづつお店のスニーカーは増えていったのである。
「半年ぐらい経つと徐々に口コミでお客さんが増えてきた。当時はインターネットが普及していなくて、情報が少なかったのが良かったのだと思う。みんな情報に飢えていた。だから雑居ビルの3階でも、看板を見つけると躊躇せずにお店に足を運んでくれた。」

その後は、スニーカーブームの影響もありSKITは順調に成長していった。吉祥寺店は駅から徒歩3分のビル1階に路面店として場所を移し、現在では大阪、仙台、福岡にも店舗を拡大している。

鎌本さんに聞きたい3つのこと

一番好きな Air Maxのモデルは?
Nike Air Max 95です。発売当時は、周りの人がみんな Max 95 を履いていたので、Max 95を履くのはカッコ悪いと、自分に思い込ませていた。しかし、数年後にやっぱりカッコイイなーと思ってイエローグラデを買いましたね(笑)

Air Maxシリーズの印象は?
毎年、新しいモデルを出してくるのがすごいと思う。あの小さな靴に、毎年新しいコンセプト、こだわりを詰め込んでいる。靴自体のデザインが良い、悪いは別にして、すごいなーと思う。きっとNikeの中でも、特別な位置付けなのだと思う。

これからの Air Maxに期待することは?
もっと、Air Max 95の別注モデルを見てみたい。現状のNikeは、Air Max 95の別注をあまり作らない。海外の有名なスニーカーショップが手がける別注モデルとか見てみたい。

鎌本さん所有、オリジナルのAir Max 95のイエローグラデ。しかも、初期ロット販売の一足であり、希少価値が高い

鎌本さん所有、オリジナルのAir Max 95のイエローグラデ。しかも、初期ロット販売の一足であり、希少価値が高い

買ったスニーカーをSNSで世界中の人に自慢できる時代。楽しみ方が増えた一方で、、、

現在では、スニーカーは10代の若者から50代を超えたアダルトにも幅広く支持され、ファッションの一部として定着をしている。しかし、驚いたことに1990年代には、「スニーカーは若者だけが履くもの。30代を超えたらブーツを履く」という風潮があったという。その流れでレッドウィング、クラークスなどのブーツが大人気になった。要するに、スニーカーは子供が楽しむファッションアイテムという見方が強かった。

「ブームの時には、その時の流行りのスニーカーだけを求めて履いている人が多かった。だからブームが終わるとスニーカーを履かなくなる。しかし、今の人たちは子供から大人まで自分の好きなスニーカーを、普段のファッションとして履いている。楽しんでいるように感じます。」
そう語る鎌本さんだが、危惧している点もある。それは、若い人の一部には、経済的に余裕がない状態でも、無理をしてスニーカーを集めている人がいることだ。購入した新品の靴をSNSに投稿したい、という気持ちも理由のひとつだろう。

「新しいスニーカーをSNSで投稿して、自慢したい気持ちは分かります。自分の経済的な範囲を超えてまで、スニーカーを買い集めるのはやめたほうがいい。生活費を削って買い集めるようなスタイルだと、長続きはしなくなる。中には、今買わないと一生手に入らなくなると考えてしまう人もいますが、スニーカーに関して言えば、後に何かしらの形で巡り会えるものです。そんな巡り会いを楽しむぐらいの余裕を持ってほしい」

鎌本さんの目から見えたスニーカー・ブームの歴史

1993 ~ 94 ファッション雑誌などが古着屋の特集を取り上げ、ヴィンテージブーム

96 ~ 97 Air Maxブームが到来。95年に「Air Max 95」が発売される。当時のファッションアイコンである木村拓哉や広末涼子がAir Max 95のイエロー x グレーのグラデーションを履き、雑誌Boonなどで取り上げられると、爆発的に人気がでた。定価1万5千円の靴が10万円以上の値段で売れる現象が起きる。

99 ~ 2001 ハイテクブームが到来。Nikeが発売した「AIR ZOOM SEISMIC」、「AIR ZOOM HAVEN」「AIR PRESTO」などが若者間で人気になる。裏原宿という言葉が日本中に浸透し、原宿のショップなどでは、発売日に並んだ靴が、その日に売り切れになるほど大きなブームになった。スニーカーの転バイヤーが出てきたのも、この頃である。

02 ~ 04 ローテクブームが到来。「Air Force 1」が過去にないぐらい人気が出た時期。
例えば2002年以前に、フリーマーケットで3000〜4000円で買っていた「Air Force 1」が、この時期では3万円〜4万円で売れた時代。また、海外に「Air Force 1」を買い付けに行って、日本で高値で売れた時代でもある。

06 ~ 08 Air Jordanブームが到来。2006年以前の日本は、Air Jordanが安値で取引されていた。そこにアメリカなどの海外コレクターが日本のAir Jordanを買い始め、ジリジリとAir Jordanが値上がりはじめた。

12 ~ 15 ロンドンオリンピックが開催され、中国を始めとした世界中の景気が良かった時期。数多くのスニーカー好きな外国人が日本を訪れ、一人で数十万円を払っていくお客様も珍しくなかった。新しく発表した復刻モデルなどが完売する状況。

Air Maxシリーズも充実のラインナップ!

Air Maxシリーズも充実のラインナップ!

世界に誇れる、日本のスニーカーショップの存在

吉祥寺の地で、世界中のスニーカー好きから愛されるお店になったSKIT。鎌本さんは、さらに店舗を増やしたいと考えている。また、今まであまり注力をしてこなかったWebページだが、時代の流れに合わせてスマホに最適なページに改良したいと考えているのだ。

現在の日本において、スニーカーは子供から大人まで楽しめるファッションの一部として定着をしている。その背景には、SKITをはじめ、ATMOS、ミタスニーカーズなどの独自のコンセプトを打ち出したスニーカーショップが貢献をしていると思う。NikeやAdidasの正規店では見かけないようなカラーバリエーションだったり、ヴィンテージの靴を目にすることで、スニーカーに対する憧れが強くなっていった。

最後に、鎌本さんが初めてAir Jordanを入手した時の感想を紹介したい。

「Air Jordanを初めて履いた時、自分が無敵状態の気持ちになった。ひょっとしたら、自分もジョーダンのようになれるんじゃないかと。」

スニーカーには見た目の格好良さだけでなく、不思議な力が備わっているのかもしれない。

 SKITの外観

SKITの外観

店内のショーケースにはレアな靴がズラリ

店内のショーケースにはレアな靴がズラリ

お客さまが気兼ねなく触れるように、ラッピングしているのが特徴

お客さまが気兼ねなく触れるように、ラッピングしているのが特徴

Nikeのヴィンテージなランニングシューズも豊富

Nikeのヴィンテージなランニングシューズも豊富

取材ライターが感じたひと言

喫茶店で鎌本さんにインタビューをしていた時に感じたのは、「この人、本当にスニーカーが好きなんだなー」ということ。お店でのスニーカーの陳列方法や、接客方法も「スニーカー好きなら〜〜だと思う」という方針を持っており、常にスニーカーを探している人、買う人の目線を考えているのが印象的。また、SKITが積極的に行っている「買取り」に関しても、鎌本さんが若い頃にどうしてもお金が必要になり、近くのリサイクルショップに貴重なスニーカーの買取を依頼したら、靴に詳しくないパートのおばさんにタダ同然の金額を提示された苦い過去から考えられている。貴重なスニーカーに関しては、市場にあった適正な価格で買い取ることで、スニーカーファンを継続的に応援したいとのこと。
日本が誇るスニーカー・カルチャーを、僕も陰ながら応援しています!

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