<町田忍コレクション>チョコレートパッケージの世界

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文 / 本多祐斗
写真 / 井本貴明

チョコレートの歴史を遡ること、今から約4000年前。原料であるカカオ豆が古代メキシコで栽培され始め、後にヨーロッパへ伝わったと言われている。日本で初めて商品化されたのは1877年(明治10年)で、風月堂から発売された。当時はチョコレートを当て字で「猪口令糖」と表記されていた。
町田さんがチョコレートパッケージを集め始めたのは1960年。遠足に行った際に、お菓子として買ってもらったのがきっかけだ。
町田さんの数あるコレクションの中でも、チョコレートは集め始めたスタートが早い為、1番思い入れが強いようだ。

MuuseoSquareイメージ
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もはやデザインも気にしない。新しいのが出たらとにかく買う!!

以前の記事でも町田さんがコレクションを集める上で、”デザイン”を重んじて手に入れてきたということを紹介したが、今回のチョコレートに限っては手に入れる上での理由はないという。生活をしている上で、新商品の情報を手に入れたら、スーパーに行って目新しいものを一気に買う。食べきれないことがある為、その場合は町内会の子供に配り、パッケージだけもらっているという(笑)。買い貯めておいて半年に一度、種類別に仕分けを行っている。

冒頭でも書いたが、チョコレートが1番思い入れが強いことだけあって、その数も一番多く、もはやいくつあるか見当がつかないらしい...。マーブルチョコレートだけで約300個あるということは分かっているが、後は分からないとのこと。町田さんの見立てでは10,000個はあるのではないかという。町田さんはどのジャンルも、種類と数がとてつもなく多いが、今回のチョコレートはさらに上を行っていることに脱帽した。

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写真左は初代ハイクラウン他ボックス型チョコレートのパッケージである。市場調査を繰り返した結果、より現代的で高い携帯性を追い求め、ボックスタイプが考案された。当時の高級外国タバコのパッケージが参考にされていた。

写真左より
森永製菓 ハイクラウン(1964年)
ロッテ エンペラー(1971年)
森永製菓 ハイクラウン(1996年)

今と昔のお菓子事情の違いとは。

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町田さんが小学生だった1960年頃、当時は甘いものと言えば、主にチョコレートかキャラメルのほぼ2択だった為、種類が豊富であったチョコレートを親に買ってもらっていた。今や安い価格で至る所で手に入るが、当時は高価なものとして扱われていた為、駄菓子屋さんには置いてなく、お菓子屋さんにしか置いていなかった。今の時代に換算すると、500円程であったというので、子供がお菓子を買うには高い価格である。

ここで少し、チョコレートの歴史を振り返る。元々、チョコレートは日本で明治時代に商品化され、一般庶民ではなく一部の特権階級のみが食べていた。今のようにパッケージに包装されているわけではなく、一個ずつ売られていた。その時のエピソードとして、「チョコレートには牛の血が混ざっている」という噂から、あまり人気がなかったそうだ。
パッケージが採用されたのは森永製菓が1926年(大正7年)に発売した「ミルクチョコレート」である。その後、明治製菓(現在は明治)も発売し、どちらの会社も”茶色”のパッケージデザインであり、それが今でも引き継がれている。当時、チョコレートと言えば板チョコであったが、東京オリンピックが開かれた1964年頃から板チョコ以外のマーブルチョコレート(明治製菓)やアーモンドチョコレート(ロッテ、江崎グリコ)、ガーナ(ロッテ)などが登場した。今も売られているのだからロングセラー商品というのが伺える。

File

江崎グリコ アーモンドチョコレート

江崎グリコは日本で初めて「モンド・セレクション」で入賞した食品メーカーである。モンド・コレクションとはベルギーのブリュッセルに事務局がある、食品関係のオリンピックとも言えるコンテストである。
そのモンド・コレクションに日本で初めて出品したのが江崎グリコのアーモンドチョコレート。出品当時の1962年は、このコンテストが始まってからまだ1年しか経っていなかった。初めての出品にも関わらず、「メダーユ・ダルジャン(ナッツ部門1位)」を受賞したのだ。当時、欧米ではチョコレートの中にアーモンドが一粒入っていることが珍しかったことが高い評価に繋がった。


上段左より
アーモンドチョコレート ミルクチョコレート(1970年)
アーモンドチョコレート(1972年)

中段左より
アーモンドチョコレート マイルド(1994年)
アーモンドチョコレート セミスイート(1984年)

下段左より
アーモンドチョコレート ムース(2002年)
アーモンドチョコレート ハーフビター(2000年)

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森永製菓 小枝

小枝チョコの登場は1971年。写真は当時のパッケージである。小枝は戦後における板チョコ中心から新しいタイプのチョコレートとして登場した中の一つであった。小枝の特徴としては当時それまでなかった、漢字のネーミングであった。発売して40年以上が経過するが、基本となる「小枝」の文字のデザインは変わっていない。味に関しては発売時はカシューナッツ入りだったが、それからアーモンド入りとなり、そのアーモンド入りも1976年までであった。
新しいシリーズとして1983年に、ホワイトタイプの「白樺」が登場した。甘さが抑えられたものとして売り出された。それからは「クッキー&苺」、「苺」、「カプチーノ」、「抹茶のショコラ」など、毎年新しい商品を登場させている。今年に入ってからも「小枝プレミアム 大人のくちどけ」、「早摘み苺味」、「宇治抹茶」が売り出されている。

小枝(1984年)

小枝(1984年)

小枝 シリアルホワイト(1996年)

小枝 シリアルホワイト(1996年)

小枝 ビター(1997年)

小枝 ビター(1997年)

小枝の実(2011年)

小枝の実(2011年)

ロッテのデザイン、ネーミングが抜群に面白い!!

ガーナ ミルクチョコレート(1964年)

ガーナ ミルクチョコレート(1964年)

コアラのマーチ(1984年)

コアラのマーチ(1984年)

チョコレートの歴史において、ロッテのチョコレートが興味深く、面白いと語る町田さん。チョコレートに関しては森永製菓と明治製菓が先陣を切って商品化したが、ロッテはチョコレートに関して後発組であった。1961年から日本人の味覚に合う数多くの試作品を繰り返し作成し、1964年に「ガーナミルクチョコレート」として誕生。今まではチョコレートと言えば”茶色”のパッケージであったが、ロッテから出たガーナは斬新な”赤い”パッケージであった。今であればそういうものとして受け止めているから、何ら違和感はないが「チョコレート=茶色」というイメージがあったことを考えると、確かに衝撃的であろう。町田さんはその新しく斬新なデザインがとても気に入っているそうだ。

またロッテは「コアラのマーチ」も出している。若者に人気のあるコアラのマーチだが、デザインも名前もユニークである。発売は1984年に遡る。先ほど紹介したチョコレートに比べれば新しく感じるかもしれないが、発売してから30年以上経過している。発売した1984年の同年10月に、都立多摩動物公園にオーストラリアからコアラベアが初来日。コアラブームとなり、コアラのマーチも話題になったそうだ。コアラの持つイメージである「楽しさ」や「思いやり」などの気持ちを込めてデザインされ、また六角形のパッケージはユーカリの木がモチーフとなっている。
このように、時代の流行が反映されているような商品や、今までにないパッケージデザインを見ることが集めている上での”楽しさ”であるのだ。町田さん自身、数あるコレクションの中でも、古ければ古い方が昔の思い出に浸れるという。逆に新しいものはデザインの変化を楽しめるといった面を持っているので、両方の観点から楽しさを味わえるのである。町田さんは各ジャンル、基本となる考え方や楽しみ方はあるものの、それぞれ各々の楽しみ方を持っている。

ーおわりー

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庶民文化研究の先駆けにして第一人者である町田忍が、マニアック博物館の楽しみ方をご案内します!

公開日:2016年5月23日

更新日:2022年2月7日

Contributor Profile

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本多 祐斗

Muuseoにて1年間、編集部のアシスタントやライター、カメラマンとしての業務に携わる。 現在は、外資系企業にて、車の部品サプライヤーのエンジニアとして活躍。趣味は、カメラとドライブ。

終わりに

本多 祐斗_image

今回は町田さんが1番思い入れの強い、チョコレートを取材させて頂きました。子供を中心に愛されているチョコレート。私も明治のアーモンドチョコレートをよく食べていた為、今でもたまに食べたくなります。
今までどのチョコレートパッケージも何の違和感も無く受け入れてきましたが、よくよく考えてみると、”茶色”のイメージが強いチョコレートにとって、ロッテのガーナのような”赤色”をイメージとしたパッケージデザインは異色の存在に感じました。各メーカー、お客様が手に取るようなデザインを思考錯誤してきたのが、デザインの変化を見比べて気付けました。

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