<町田忍コレクション>飲料缶の世界

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文 / 本多祐斗
写真 / 井本貴明

今やスーパー、コンビニ、自販機などで誰もが気軽に購入できる飲料缶。これから紹介する飲料缶を見て「懐かしい!」と思う人も、「初めて見た!」と思う人もいるだろう。飲料缶の収集家でもある町田さんが、炭酸系の飲料缶を中心に約3000個の中から、コーラを中心に紹介してくれた。今回の飲料缶も、味に関してはこだわりがなく、パッケージのデザインのみに焦点を当てて集めてきたそうだ。

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♦︎解説:コーラとは♦︎

コーラは炭酸飲料の一種である。約125種類からなるアフリカの熱帯雨林に植生するアオイ科コラノキ属の植物の総称が”コーラ”と呼ばれる。そのエキスを用いられたことからコーラと名付けられた。現在はそのコーラの実を用いずに作られるのが一般的である。その為、「コーラ=コカ・コーラ」や「コーラ=ペプシコーラ」とは一概には表せない。
世界初のコーラ飲料として登場したのは1886年。「コカ・コーラ」として誕生した。日本で本格的に製造販売が始まったのは1961年のこと。余談だが「コカ・コーラ」や「コーク」は商標登録されている。
それに対して「ペプシコーラ」は1898年に消化不良の治療薬として誕生した。「ダイエットペプシ」が発売されたのは1964年のこと。当時は病院等の売店などでしか売られていなかった。

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きっかけは、まだマイナーだった頃のコカ・コーラ缶

飲料缶を集めるきっかけとなったのは、町田さんが13歳の頃。当時、町田さんの友人の父親が船乗りをしていた為、その度にお土産として外国の飲料缶を持って帰ってきてくれたそうだ。その当時は、まだコカ・コーラがほとんど日本に出回っていなかった為、「外国人は変なものを飲んでいるんだな」と感じた。

町田さんは35年前、コカ・コーラ・ファンクラブの副会長を10年勤めていた。その当時はコカ・コーラで部屋が埋まっていたが、コカ・コーラのコレクションは会長に譲って、他の種類の飲料缶を集めることにした。
飲料缶と聞くと、ペットボトルや瓶は集めていないのか?という疑問が浮かんでくる。もちろん町田さんは両方を集めていた。ペットボトルは空気が抜けて、ペコペコになってしまい、フィルムが剥がれてしまったので数は少ない。また瓶の方は今も集めているが飲料缶に比べて、デザインの変化があまりないそうだ。

魅力はズバリ、百花繚乱のデザイン!!

150種類以上のジャンルのものを集めてきた町田さんだが、その中でも飲料缶のデザインは特に様々であると語る。コーラと言えば、コカ・コーラやペプシなどのロングセラーのコーラが有名だ。しかしそれ以外にも、現れては消えてを繰り返すような一発屋のコーラも存在する。コカ・コーラやペプシといった2大メーカー以外から発売された、いわば”マイナーコーラ”とも言えよう。チョコレートと同じく、飲料缶も一発屋が多いという。町田さんはロングセラーのコーラは歴史的なデザインの変化を楽しみ、マイナーコーラはマイナーならではのユニークなデザインを楽しめるといった、2つの観点で楽しんでいる。

コーラを例に挙げると、多くのメーカーがコカ・コーラを意識して、赤いデザインで出していた。日本では1981年にチェリオから、「スポーツドリンクコーラ」が当時珍しいダイエットコーラとして発売されて以降、自主企画商品としてスーパーのダイエーやイトーヨーカドー、コーヒーメーカーのMMCやポッカから発売された。1990年代に入ると、ついに日本酒メーカーの宝酒造やサッポロ、シュエップスやダイドーなどの多くのメーカーがコーラを発売し、1990年代はマイナーコーラの”戦国時代”とも言える時代であった。

町田さんは集める上で、「焦らず、マイペースに、長くやる」ということを口にしていた。お店や自販機などで新しいものはないかと見ることはあるが、意識的ではなく普段の日常生活の上で気付いたら買っている。しかし外国の飲料缶はなかなか手に入らない為、ソニープラザ(現在は「PLAZA」に店舗名称が変更)に足を運び、目新しいものを一気に買っていた。町田さんにとって、ロングセラーの飲料缶も面白い存在だが、一発屋の飲料缶の方が愛おしく、寂しく感じて思い入れ深い存在となっている。

販売者:ダイエー
入手した時期:1981年

販売者:ダイエー
入手した時期:1981年

販売者:イトーヨーカドー
入手した時期:1982年

販売者:イトーヨーカドー
入手した時期:1982年

販売者:ポッカ
入手した時期:1994年

販売者:ポッカ
入手した時期:1994年

今はなき懐かしき、スチール缶の存在

町田さんが防錆剤をスチール缶に吹きかけている様子。

町田さんが防錆剤をスチール缶に吹きかけている様子。

町田さんは手に入れた飲料缶を飲んだ後、水洗いをして保管をしているのだが、それだけではサビが生じる。その為、年に1、2回錆止めのお手入れをしている。
特にスチール缶やはんだ付けされている飲料缶を中心に行っているそうだ。時間と手間はかかるものの、お手入れをする度スチール缶を見ては「懐かしい!」と思い出に浸る時間が楽しいと語る。取材中も、町田さんの楽しそうに語る姿が印象的であった。余談だが、町田さんがコカ・コーラのアルバイトをしていた1968年、瓶コーラが1本50円であったそうだ。誰もが気軽に買える飲み物として売られていた。

町田さんが育った時代といえばアルミ缶ではなく、スチール缶が主流だったため、スチール缶には特に思い入れが強い。
また、今や2ピース缶(底蓋と缶胴が一体となっている胴部、上蓋の2つの部品からなる構造)で作られているものがほとんどだが、当時は3ピース缶(上蓋、円筒の缶胴、底蓋の3つの部品からなる構造)のものが多かった。時代背景としては70年代後半からアルミ缶が広まった。3ピース缶から2ピース缶に移り変わり、そしてアルミ缶が普及されていったという。

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♦︎解説:飲料缶の上蓋の変化♦︎

我々が今、街で手にする飲料缶は「ステイオンタブ(SOT)」または「タブトップ」と呼ばれる開封機構である。皆さんがご存知の通り、タブを指で引くと、リベットを支点としてスコアが内側に押し込まれ開封する仕組みである。この機構の利点としてはタブの根元が上蓋から取れずに、ゴミが発生しない点である。しかし、問題点としては開口片であるスコアが内容物に触れるといった不衛生な点が挙げられる。
日本では1965年にビール缶がアルミのプルリングをつけて登場。それまでは「フラットトップ」と呼ばれる構造で、お店でもらったり付属していた缶切りを使って開封していた。タブをリング状にしたプルリングと呼ばれるものが備わったことで、それまでとは飛躍的に開封が容易になった。この開封機構は「ジップトップ」と呼ばれていた。それからステイオンタブが登場した80年台後半まで、このジップトップの開封機構が主流となっていた。この機構の問題点として、タブがゴミとして発生してしまう問題点があったため、改善された機構としてステイオンタブが登場したというわけだ。

構造については缶には2ピース缶と3ピース缶が存在する。2ピース缶は底蓋と缶胴が一体となっている胴部、上蓋の2つの部品からなる構造となっており、3ピース缶は上蓋、円筒の缶胴、底蓋の3つの部品からなる構造となっている。

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どちらもジップトップ機構となっており、写真左が元の状態である。現在のステイオンタブの前身であることが伺える。タブを引くと、スコアが内側に押し込まれ、タブが取れる。タブが取れた状態が写真右である。

お気に入りはファンタオレンジ。理由はまさかの”味”⁉

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飲料缶の中で一番の町田さんのお気に入りは1972年に手に入れたファンタオレンジだという。正直、コーラの中から選ばれると予想していた為、思わず驚いた(笑)。
理由を尋ねると、これもまた驚きの返答であった。理由は当時、今までになかった新しい”味”であったからだと語る。今まで「味なんかはどうでもいい、デザインにしか興味がない!」と言っていた町田さんがここにきて、理由が”味”だと言うことに驚いた。
このファンタオレンジを飲む以前に、炭酸のサイダーはあったが、その炭酸に”味”があることが新鮮で衝撃を受けた。また「FANTA ORANGE」と英語で表記されているデザインも斬新で新しさを感じたそうだ。当時は甘いものが貴重だった名残が強かった為か、食品衛生法の規制が緩く、合成着色料や合成甘味料が使われていた。80年代頃から、社会的に健康志向になり、各飲料が個性を出しにくくなり、万人ウケするような味になったという。町田さん自身は昔の味の方が美味しいと語る。

ポリシーは”思い出”

町田さんは集める上でのポリシーとして、自分が育ってきた中で、生活しながら集め続けるといったものがある。月日を経て見返した時、当時の”思い出”があるが故の愛着が湧くのだ。その為、ただ昔の飲料缶を手に入れるのではなく、あくまで日常の中で集めることにより、”思い出”が備わるのだ。町田さんが持っていない、60年代の飲料缶を欲しいと思うことがあっても、当時の思い出がないことが引っかかってしまうのだ。

町田さんは今後もマイペースに集めていく予定だが、最終的には息子さん自身のコレクションの管理を引き継ぎたいと考えている。
町田さんの次男はコレクションに興味を持っており、親子の会話として「こんなものがあったよ!」などといったやり取りがあるという。息子さんが小さかった頃に手に入れたものを取っておいて、息子さんにしばらくしてから見せて、思い出を蘇らせる。そういった町田さんの父親としての姿も非常に魅力的に感じた。ただ単に量を集めるだけ、わざわざ欲しいものをネットなどでお金を払って手に入れるといったことはせずに、あくまで生活をしている中で”思い出”を重んじる町田さんのこだわりが伺えた。

ーおわりー

アメリカが独立してから、200周年記念モデルのペプシ。

アメリカが独立してから、200周年記念モデルのペプシ。

ルートビア。町田さんが1970年に沖縄に行った際に初めて飲んだそうだが、ドクターペッパーよりも薬っぽい味がするそうだ。

ルートビア。町田さんが1970年に沖縄に行った際に初めて飲んだそうだが、ドクターペッパーよりも薬っぽい味がするそうだ。

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公開日:2016年5月23日

更新日:2022年2月7日

Contributor Profile

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本多 祐斗

Muuseoにて1年間、編集部のアシスタントやライター、カメラマンとしての業務に携わる。 現在は、外資系企業にて、車の部品サプライヤーのエンジニアとして活躍。趣味は、カメラとドライブ。

終わりに

本多 祐斗_image

飲料缶は普段の生活の中で、よく目にするにも関わらず、町田さんが紹介してくれた飲料缶は見たことがないものが多く、改めて種類の多さに驚きました。僕が飲料缶を手にした時は既にステイオンタブの上蓋になっていたので、当時のエピソードはとても新鮮で考え深かったです。
時代を重ねるに連れて、便利に開封されるようになってきましたが、僕には町田さんが経験してきたエピソードは無かったので、お話を聞いていて何だか羨ましく感じました。

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