庶民文化研究家、町田忍の”時代の変化”をストックする人生。

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取材・文 / 井本 貴明
写真 / まきの ともあき

庶民文化研究家として、テレビ、雑誌などで有名な町田忍(しのぶ)さん。
10歳の頃(昭和35年)から現在まで、好奇心を頼りに気になる物を集め続け、そのジャンルは150を超えている。例として、チョコレートのパッケージは、6000個以上を保管。なかでもアーモンドグリコのパッケージでは、デザインが変わる度に購入をし続け、300個以上のパッケージコレクションになる。
そんな町田さんの味深いコレクションを、ミューゼオ・スクエアの連載で紹介できることになった。
記念すべき1回目は、「町田忍とは何者なのか?」。
町田さんの幼少期から、ヒッピーとして海外を歩き回っていた時代の話、そして、なぜコレクションを集め続けているのか訪ねてみた。

MuuseoSquareイメージ

「庶民文化研究家」という肩書きは、初対面の人に説明する際に便利な言葉だった。

2016年の冬。
町田さんの自宅兼事務所で行われたインタビューは、この質問から始まった。

「初めての人に会った時に、自分の肩書きをどのように説明しているか?」

少しの間を置いて、町田さんはこう答えた。
「難しんだよね、説明するのが。僕は”いろいろ”な物を集めているから。だから庶民文化研究家という肩書きを自分で作ったんです。これなら、自分が集めている物が全て当てはまるから便利」

町田さんが言う ”いろいろ” とは、文字通りいろいろである。
即席ラーメン、チョコレート、紅茶、甘栗、納豆、歯磨き粉、ご当地薬、蚊取り線香などのパッケージ。飲料缶、エチケット袋、少年サンデー、銭湯グッズなど。
そのジャンルは150を超える。
冒頭にも書いたが、昭和35年から集め続けたチョコレートのパッケージは、6000個を超えるのだ。
どうして、ここまで物を集め続けるようになったのか?
その謎は、幼少期にあるのかもしれない。

管理しないと危ない。管理しないと捨てられる。

昭和25年(1950年)、東京都目黒区の西小山に生まれる。
子供の頃は、周りの男の子が全員そうだったように、ベーゴマ、メンコ、昆虫などを集めていた。その頃は、コレクションというよりも、手に入れたものを雑然と部屋に置いていた。

他の男の子と違ったのは、手に入れたものを捨てなかった。そして、中学生、高校生になっても好奇心の方向性が変わらなかったのも特徴的である。

ある時、事件が起きた。
町田さんの母親が、部屋に山積みにされていた少年サンデーを黙って捨ててしまったのだ。当時の状況を町田さんはこう振り返る。
「ショックでしたね。その時、これからは自分で貯めたものを管理しないと危ないと思い、意識的に管理を始めた。適当に重ねておくのではなく、箱の中に収納するようになった」

事務所の隅々には、幼少期に集めたコレクションが飾られている

事務所の隅々には、幼少期に集めたコレクションが飾られている

子供の頃に作った戦闘機の模型。綺麗な状態で保管がされている

子供の頃に作った戦闘機の模型。綺麗な状態で保管がされている

集めたものを整理する、記録する。新しいステージに上った、コレクション集め。

歯磨き粉のパッケージ・コレクション。その数は500個以上になる

歯磨き粉のパッケージ・コレクション。その数は500個以上になる

町田さんのコレクションの特徴は、スクラップして記録されていることだ。
最近は忙しくて実施できていないが、10年ほど前までは集めたものを写真に撮り、紙に印刷したものを切り取り、クリアファイルに保管していたのだ。
集め続けたものを”記録する”ようになったのは、大学時代に軽い気持ちで、上野の国立博物館にて学芸員の単位を取得するために、博物学の分類法を学んだ。勉強の中身は、想像以上に面白く、のめり込んだ。それ以降、自分のコレクションを記録することに興味を持っていくことになる。

余談ではあるが、町田さんは大学時代にヒッピーとしてヨーロッパ一周の放浪の旅に出かけている。リュックサックを担いで、自由に歩き回ったのだ。当時は1ドルが320円の時代。お金がない町田さんは乗っていた飛行機でエチケット袋を初めて目にした。
「お金がなかったので、無料で手に入るエチケット袋をお土産にしようと考えた。かさ張らないで済むし、デザイン性も良かった」
それから町田さんはエチケット袋を集めるようになり、飛行機に乗るたびに、座席ポケットにあるエチケット袋をカバンに忍び込ませたのである。

MuuseoSquareイメージ

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20年前までは、集めてきたコレクションをスクラップにして整理をしていたが、仕事が多忙になってからは実施できていない。スクラップ方法は、コレクションを1点1点撮影しては紙に打ち出し、形を切り取った状態でスクラップする。時間が必要な作業である。

50年以上もコレクションを集め続ける秘訣は、”気張らない”こと!?

「僕が集めている物にはほとんど値段はつけられない。だって欲しい人がいないから(笑)」

町田さんが集めている物には、需要と供給のバランスが成り立たない。需要がないのだ。正確に言うと、他の人が集めている物には興味が湧かないと言う。なので、一緒に集める仲間はいない。唯一、コレクションで交流しているのが漫画家のやくみつるさんである。
「やくみつるさんはトイレットペーパーを集めています。だから、僕が面白いトイレットペーパーを見つけては、やくさんに上げます。代わりに、やくさんはエチケット袋を見つけては、僕にくれるんです」

町田さんに、何十年も同じ商品のパッケージを集め続けられる、継続の秘訣を聞いてみた。
その答えは、”気張らない”ことであった。頑張って集めないこと。
町田さんは自分の生活圏内で手に入らないものは入手を諦める。例えば、北海道限定で珍しいチョコレートが発売されても、手に入れずに諦めるのだ。もしも、知り合いが北海道に行く機会があれば頼むことはあるが、自分でお金を出して買いに行くことはしない。
その”気張らない”ことが、長続きできる秘訣であると答える。

壁に飾られている使い捨ての櫛、マドラー、塗り薬のパッケージなどは、他に集めている人を聞いたことがない!

壁に飾られている使い捨ての櫛、マドラー、塗り薬のパッケージなどは、他に集めている人を聞いたことがない!

パッケージの変化は、時代の変化。集め続けたからこそ存在する、町田さんだけが見ることのできる世界。

最後に、集めたコレクションの魅力を訪ねてみた。

「こうやって長い間一つの商品のパッケージを集め続けていると、いろいろなことが分かります。例えば、時代の変化。最近は、昔に比べて商品サイクルが早くなった。小枝、アーモンドグリコみたいなロングセラーが生まれづらい時代だと感じるよね。
そして、昔はシンプルなデザインが多かったのに、最近は派手で目につく物が多い。消費者の好みの違いが時代によって変わるのが分かります」

このように町田さんは、集め続けることで「時代の変化」を発見できるのが魅力だと言う。
そして、もう一つの楽しみは「微妙な変化」である。パッケージ裏側の商品説明の文字が少し大きくなったり、バーコードの位置が少し変わったりと、微妙な変化を発見することが楽しいと語る。それは、町田さんだけが発見できる、独占的な喜びかもしれない。その微妙な変化を発見するために、定期的に特定のドラッグストア、コンビニ、10店舗ほどを歩き回り、刷新されたパッケージを探し回るのである。

町田さんが50年以上集め続けた膨大なコレクション。
ミューゼオでは、町田忍ミュージアムを作成し、コレクションの一部を展示。
ミューゼオ・スクエアでは、各ジャンルの魅力を語ってもらう記事で紹介していく。
次回は「歯磨き粉パッケージ」。昭和の時代の懐かしい歯磨き粉から、海外の奇抜なデザインの歯磨き粉などを町田さんの説明付きでお見せする予定だ。お楽しみに。。

ーおわりー

町田さんがこれまでに執筆した書籍の一部

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自宅兼事務所の風景

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戦車の模型コレクション 1/72

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戦闘機の模型コレクション 1/72

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昔から手先が器用な町田さんは、プラモデルや模型を作るのが好きである。組み立てから色付けまでを全て行う。最近は時間がなくて遠ざかっている。

日本で初めて販売された”飲料缶”をリアルタイムで飲んだ町田さん。当時の思い出を語ってくれました

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風俗文化研究の第一人者・町田忍の昭和研究50年を集大成。
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公開日:2016年7月27日

更新日:2021年10月20日

Contributor Profile

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本多 祐斗

Muuseoにて1年間、編集部のアシスタントやライター、カメラマンとしての業務に携わる。 現在は、外資系企業にて、車の部品サプライヤーのエンジニアとして活躍。趣味は、カメラとドライブ。

終わりに

本多 祐斗_image

テレビ出演や本の執筆で多忙な町田さん。記事の中でも「集め続ける秘訣は気張らない」と語っていましたが、忙しい時間の合間をぬって設定された取材でも、肩の力が抜けた自然な感じで対応していただき、緊張していた僕としては大変助かりました。しかも、コレクションの説明だけでなく当時の状況や、歴史の背景まで説明してくれるので、町田事務所という名前の博物館を訪れたような感覚になります。これから始まる町田さんの連載を書くのが楽しみです!

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