金とプラチナの箔は隆起し、静謐な影を落とします。簡潔で控えめな美しさは、すべての色が薄墨色にしずんでしまう秋の夕暮れ、水を用いず岩や砂などで山水を表現した枯山水に通じています。
箔と照明、それぞれの陰影を自在に操るふたりの匠から生まれた灯り「月繭」。
自然をモチーフに光が生み出す癒しの影をデザインする手法を得意とする照明デザイナー・遠藤道明さんと、伝統技術を昇華し箔のアートというジャンルを切り拓いた箔工芸作家・裕人礫翔さんが手がけた照明、「月繭」の完成までを記録します。
箔工芸作家・裕人礫翔さん
経済産業省認定の伝統工芸士、日本を代表する箔工芸作家。国宝である『風神雷神図屏風』をはじめ、国内外の文化財の保存を目的とするデジタルアーカイブ事業で新たな再現手法を確立し、特許を取得。
自身の作品には、金・銀・プラチナなど、あらゆる箔を駆使し、直径130cmの大皿に月の満ち欠けを表現した「月光礼讃」、宇宙の流れをイメージして銀の耀変変化を用いた「銀の小宇宙」などがある。また、米ファッションデザイナーのラルフ・ルッチや仏コスメブランドのパルファムジバンシィとのコラボレーション作品を展開するなど、国内外で活躍する箔アーティスト。
照明デザイナー・遠藤道明さん
照明をメインとしたデザインカンパニー「ディクラッセ」代表であり、パリはメゾンエオブジェでの発表も常連の世界的な照明デザイナー。欧米を旅して直に見てきたさまざまな国の光の考え方や使い方からインスパイアされた作品は、「自然をモチーフにする」がテーマ。代表作には、木漏れ日から生まれる影をデザインした「Foresti(フォレスティ)」、神秘的で美しいオーロラをモチーフにした「Auro(アウロ)」などがあります。ふわりと包み込むような優しい光、癒しの影をデザインする、その手法に魅せられます。
はじまりは金屏風と和蝋燭の灯り。日本ならではの光の美学が蘇る
「日本古来の光りの捉え方を尊重しつつ、日本人のDNAが宿っているような照明とはどんな灯りか」
欧米を旅し、さまざまな国の光の使い方を見てきた遠藤さんが、再び日本の光を考えるきっかけとなったのは、礫翔さんの展覧会でした。会場で見た金屏風の圧倒的な存在感と、和蝋燭の凛とした光。自然にある光を無駄なく取り入れる昔ながらの日本家屋の建築様式は、旅先で見た光の使い方とどこかシンクロするものがあったそう。
太陽の光が、庭の白砂利→庇→金屏風→天井へと反射し、間接照明のように部屋全体に柔らかい光を広げる
日本家屋の大きな特徴は、庇(ひさし)にあると遠藤さんは言います。長く出っ張った庇には、夏は涼しく冬は暖かく、季節ごとに太陽の光を上手く取り入れながら、間接照明のような役割がありました。例えば、日本庭園に見られるような白い砂利。太陽の光は庭から跳ね返って庇に反射し、家の中へ届きます。庇から入った光は、さらに座敷に置かれた金屏風に反射して部屋の奥まで光を広げます。そして夜には和蝋燭を灯し、その光が金屏風に反射して薄明かりの淡い光を広げていきます。
「これが日本人の光りの原点。自然光を最大限に使いこなす、まさにサスティナブルな方法だと思いました。このような日本特有の光の生活が80年前くらいまで続いていましたが、今では白熱電球から蛍光灯、そしてLEDへ。日本古来の光の使い方が忘れ去られているように感じました」
そうしてはじまった日本らしい灯りを感じられる照明づくり。構想の末、辿り着いたのは「繭玉」「うちわ」そして「箔」。
「デザインは繭玉の緩やかなカーブと、うちわのユニークな形状からヒントを得ました。昔のうちわは、柄(持ち手)の部分が太いでしょう。面白い形だなと思って、繭玉の楕円形と組み合わせたらどんな形になるかとイメージして作りました」
ふたつの形状をリンクさせ、何通りもの形を頭の中に巡らせながら完成したデザイン画は、箔を貼るシェード部分とともに礫翔さんの元へ届けられました。
「アートピースとしてだけでなく、日常で使うものとしての照明を作るのは新しい試みです。構想から完成までは3ヶ月ほどで、割と早い方。というのも、お話をもらった時からイメージがふっと降りてきたんです。僕の作品の多くは月がテーマです。ほっとする柔らかい月灯りで自然と心が和んで落ち着く、そんな灯りのものができたらいいと思いました」と礫翔さん。
3つのコンセプトの内「箔」には、月灯りがイメージされることになりました。
変化しない金とプラチナ。ここにどう深みと味わいを出すかが僕の勝負
月繭は、最も純度の高い24k(金99.9%)の金箔と永遠の輝きを持つプラチナ箔があり、どちらも月面のような凹凸のある表と、流線型の模様が描かれた裏の表情を持っています。
箔が施されたシェードを見たとき、「正直どちらが表か裏かわかりませんでした。そのくらいどちらの面も素晴らしい」と遠藤さんは言います。
「ゴツゴツとした勢いのある面と、さざなみのように静かな面。動と静、相反する2面を楽しめると思いました。僕の勝手な想像ですが、インテリアとしての照明、アートとしての照明、どちらも汲んでくれたのかなと思いました」と遠藤さん。
元々、シェード部分はまっさらな平面状のもの。そこに薄さ一万分の1mmの箔を貼るわけですから、仕上がりももちろん平らなものになると誰もが予想していました。が、礫翔さんの頭の中には全く別のものがイメージされていたのです。
「箔を貼るだけなら、僕でなくてもいいでしょ?それに立体的な方が綺麗だろうなって。金とプラチナは金属の性質上、酸化しないので変化がありません。この変化のないものにどうしたら深みや味わいを出せるか、そこが勝負だと思いました」
礫翔さんは銀の酸化を思いのままに操り色彩豊かに表現したり、モノクロ写真に金泥(金の粉)を塗って点描画のように見せたり、これまで叶わなかった国宝文化財の複製という新たな技術を開発したりと、伝統工芸の枠を超えてさまざまな技法を編み出してきました。「箔とはこうでしょう」といった考えをさらりとかわし、皆が一驚する作品を作り続けているのです。
さて、薄く繊細な箔を隆起させ、うねりや立体感、模様を施すにはどのような仕組みとなっているのでしょう。
ノリがないなら作ればいい
表面には、礫翔さんならではのふたつの意匠が施されています。ひとつは金箔を貼るノリ。
京都の伝統工芸のひとつである箔押しは、漆や膠(ニカワ)といった接着剤を塗って箔を貼っていきますが、月繭に使われている接着剤は全く別もの。
元々、平面だったシェード部分に凹凸をつけるため、貝殻から作られた「胡粉」という白色顔料が使われています。ただ、この胡粉もそのままでは経年劣化し剥がれてしまうため、粘着力が持続する特殊な接着剤を配合してオリジナルのノリを作成しました。
「僕は月繭一つ一つを作品と捉えていますが、あくまで照明なので、使ってもらうことを考えると強度の高いノリが必要でした。漆や膠だけでは、新しいものを開発しようとしても限界があります。伝統工芸から見れば邪道ですが、ひねりがないことには範囲を狭めてしまう。文化財複製の新しい技法が生まれたのも、可能性を広げた結果かなと思います」
箔、金泥、墨、三層の味が出る
ふたつ目は、墨。礫翔さんは「月繭には三層の味がある」と言います。胡粉を塗り重ねて立体感を出した後、箔を貼り、金泥を這わせながら墨をたらし込んで、トップコートで仕上げます。シェードの下部に向かって墨のグラデーションとなっているのが、おわかりいただけるでしょうか。
「金箔、金泥、その上に墨を垂らしこんだのがミソ。『風神雷神図屏風』に雲が描かれているでしょう。複製した雲の部分には墨を垂らしていて、イメージはそれなんです。でもね、屏風は平面だけど、月繭には凹凸がある。これによって墨が溜まったり溜まらなかったりする箇所ができ、部分的に濃淡が出てくるんです。狙ってできるものではなく、自然に墨が流れてできあがるもの。そこが月繭の面白さじゃないかな」
礫翔さんが誂えた箔には、一層(金箔)、二層(金泥)、三層(墨)と所々で層の異なる面が織りなす美しい陰影が現れます。表面の立体感も墨の垂らしこみも、同じ作業工程であるものの全く別のものができあがります。
裏面には宇宙が広がる
月繭の裏面には、緩やかに流れる川のような模様が描かれています。
「裏面は、ノリづけの際に刷毛で流線型を描きました。宇宙と月とを考えると真っ直ぐではなかった。月を見上げた時に見えるもの、流れ星や流星群を思って筆で書き下ろしたらこんな感じになるんじゃないかなと思いました」
ノリを塗り刷毛でなぞり、そこに箔を貼ると模様が浮かび上がってきます。3寸6分角(10.9cm)の箔を隙間なく貼っていくのですが、金箔の裏面は滑らかで箔足(=継ぎ目)がありません。一方、プラチナ箔には箔足が見られます。
「箔足の違いは、金属の特性によるもの。プラチナは金よりも硬い金属なので、継ぎ目が出てきます。箔足を埋めてしまおうかとも考えましたが、これはこれで美しいと思いあえて残しました。マス目に対して流れるような模様が浮き出て、バランスがいいですよね。灯りをつけると裏面の方が光が強いから、例えば昼は表、夜は裏にして使い分けるのも良さそうです」
金箔・プラチナ箔は、照明をつけた時の灯りも異なります。金箔は温かい光がふわりと広がり、プラチナはどこか都会的で鋭い光りを放ちます。
「金は月灯りそのままで、黄味のある温かい光。それに対し、プラチナのシャープな光りは面白いと思ったんです。僕は元々、酸化して色の変化を楽しめる銀が好きですが、今回は照明ということもあって輝きが変わらないプラチナにしました。もちろんトップコートで酸化を抑えれば銀もいいけど、それ以上にプラチナから跳ねる青い光が面白いと思いました」
日本人が忘れかけている「日本の光の原点」を再現
月繭は、下から上へ光を照らすアッパーライトという手法が使われています。
現代の日本の照明は、天井に直付けされた蛍光灯で“上から下に”直接光を当てるのが一般的。日本人は、80年ほど前からこのような直線的な光に触れてきました。一方、遠藤さんが見てきた欧米の光は、“下から上に”当てられます。下から光を当てることで天井に反射し、優しい光が部屋全体を包み込みます。
そうした考えがアッパーライトという方法で、月繭のデザインに反映されました。そして冒頭のエピソードにあった日本人の光の原点に繋がります。
「イタリアを旅した時に見た光の使い方は、リラックスして眠りに入ることを意識しているように感じました。夜はフロアスタンドとテーブルランプを使い、昼間とは違う柔らかい光の中で過ごします。欧米のような間接照明や光を調整するといった考えは、今の日本にはあまり馴染みがないようで、これまでフロアスタンドを作っても受け入れられないことが多々ありました。ただ、日本家屋の建築様式や金屏風を使った自然光の取り入れ方などを見ると、元々は私たちが親しんできたもの。欧米の人たちから見ても、これ以上手を加えることのない完璧な光の使い方だと言われます」
遠隔だからこそ生まれたコラボレーション作品
実は礫翔さんが照明として完成した月繭を見たのは、取材時がはじめてでした。箔の仕上がりに遠藤さんが驚いたのと同じく、礫翔さんも灯りのついた状態を見た時に自身の作品とは異なる発見があったよう。
「あぁ、これは暗がりで灯りをつけて見るものだね。表情が全く違う。さっきまで(灯りをつけていない状態)はオブジェのような印象で灯りをつけるとこれまでの作品とは違う体験ができたように思います。これはいいね、かっこいい」と礫翔さん。
「もっとこう、ボワッと箔全体を照らされるのかなと思っていました。でもグッと光を絞ることで、陰影がくっきりと出てさらに良くなりましたね。もし作る前にこの灯り具合を見ていたら、攻め方が違っていたかもしれない」
遠藤さんは東京でデザインをおこし、礫翔さんは京都で箔を誂えました。時勢柄、対面での打ち合わせはなく、遠隔でのやり取りが続きました。多くを語らず、お互いが相手の考えを想像し、時には遊び心を覗かせながら形にしていったのです。お一人での作品とはまた異なる、技と技のコラボレーション。表情豊かな箔の美しさと、どこか懐かしさのある癒しの灯りが完成しました。